【3840】精神病は甘えではないとしても、甘えた性格はそれとは別の話ではないでしょうか
Q: 私は30代男性です。約10年前に統合失調症と診断され、現在は精神障害の手帳を持ち、定期通院しています。処方された薬は欠かさす服用しています。現在仕事はしていません。B型施設に通いながら、年金、自立支援医療とサポートを受けて生きています
ここで本題なのですが、私は自分を甘い人間だと自覚しています。
仕事の辛さで精神を病み退職したこと、現在まで何とか生きてきたこと。これらは私なりに頑張って来たので甘えてはいないのですが、私は性根が甘い人間な事は事実なのです。甘やかされればつけあがるし、できれば楽をしたい。誰もが少しは持っている様な感情ですが、私はそれが人一倍強くあると思っています。そんな私ですから、酷く疲れては居ないのに、作業スピードを少し落としたり、疲れている風に顔をしかめたりなどの行為で楽をする事があります。すると「大変でしょう?無理して頑張らなくて良い」「時には立ち止まる事も必要」と言い周囲は私を誘惑してきます。甘えた人間の私ですから、そんな事を言われては、ますます楽をしようとしてしまいます。そう言われるのを期待し疲れた風を装ってしまうのです。なので診察で私が自分は甘えている様な主旨の発言をするのですが、主治医は自己を肯定する事の大切さを話します。主治医の話では「あなたは頑張っているのに、その事実に気づけない」のだそうです。私が頑張っていないのを信じてくれないのです。
今、うつ病を始めとして精神病は甘えではないと言う主張がテレビ、SNS、雑誌、本など様々なところで語られる事が多いように感じます。
精神病は甘えでなるものではないのは科学的に確かだと私は思います。しかし、甘えた性格の人間が精神を病む可能性はそれとは別問題で区別するべきだと思っています。
このままの世の中では、甘えた性格の私は病気を言い訳に堕落していくのは確実な事です。
発病のメカニズム、原因と、そもそもの甘えた性根の関係性の区別のされない社会とどう向き合えば良いか困っています。
林:
精神病は甘えでなるものではないのは科学的に確かだと私は思います。しかし、甘えた性格の人間が精神を病む可能性はそれとは別問題で区別するべきだと思っています。
それはその通りです。
ただしここで、「精神を病む」という表現がどこまでの範囲を指しているかは重要な問題です。たとえば「甘えた性格」が原因で「気持ちが落ち込む」ことを「精神の病」と呼ぶかどうかは議論があるところで、常識的にはそれは甘えであって病ではないというべきでしょう。しかし現代の日本においては、少なくともその一部(「甘えた性格」が原因で「気持ちが落ち込む」というケースの一部)も、「精神の病」と呼ばれるようになっています。(この問題をめぐっては、「うつ」は病気か甘えか。が大いに参考になると思います)
というように複雑な問題は残りますが、「病」と「甘え」は別問題で区別するべきという点においては、質問者のご意見はその通りです。
しかしそのことと、
甘えた性格の私は病気を言い訳に堕落していくのは確実な事です。
は別の問題です。つまり、【3840】の質問者の「病」が「甘え」である、ないしは、「甘え」からくるものであるかどうかは別の問題です。
質問者が甘えた性格かどうか。それを判断する材料は、
私は自分を甘い人間だと自覚しています。
という質問者の自己申告のみですので、客観的にみて甘いかどうかは判定不能です。
そして一般論としては、「自分は病気ではなく甘えている」と主張する人は甘えではなく真の病気の人であり、「自分は甘えではなく病気である」と主張する人は真の病気ではなく甘えのことが多いものです。もちろんこれは一般論ですので個々のケースでは「甘え」と「病気」のどちらにあたるかはケースごとに判断することが必要ですし、この【3840】がどちらであるかはわかりませんが、現に統合失調症と診断され治療を受けているわけですから「病気」であることは確実ですし、甘えの影響は仮にあったとしてもとても小さい可能性の方が強いとまでは言えるでしょう。
(2019.6.5.)