【3824】とても支配的な母に育てられた私が精神医療関連の職に就くことの是非

Q: 20代女性です。 私は、何か困難にぶつかった時や嫌なことがあった時など、直ぐに「死にたい」と思ってしまいます。そういった場面に遭遇する度に「この困難を乗り越えるために努力するくらいなら死んだ方が楽、どうせ努力した所で私の人生はろくなことが無いのだから」と考えています。

自分のいままでの生い立ちでは、三姉妹の長女であり、中学生までは、母親に毎日のように叱られていました。 母親は一日の行動を朝起きてカーテンを開け顔を洗うところから食事の食べ方、親の機嫌を損ねないなどの項目がある表を作成し、その項目にバツが付いたらその日の反省文を書き、次の日からは前日までの反省文の模写とその日の反省文をと言うことを繰り返しやるよう強要されたり、罰として腕立て伏せや腹筋をさせられたり、道徳の教科書の書き写しを毎日やらされていました。妹たちの習い事の間は「お前は1人にすると家で何をするかわからない」と外に閉め出されました。また、中学時代には部活で部員全員から無視されていました。親との関係では、母親との喧嘩になった時には取っ組み合いになり親が諦めたこと、見かねた叔母が児童相談所に連絡をしてくれ、介入があったことから罰は無くなりました。

また、大学生辺りからか、他人の目を過剰に気にするようになったと自覚しております。誰かとの会話の際にはその人の気分を害さないか、嫌われないかばかり考えてしまい、他人からなにか言われれば悪い方に捉え、嫌われてしまった、もうだめだ…とバイトも途中でやめてしまったり、大学の臨床心理士の先生とのカウンセリングでも表情を見ながら「先生はこういって欲しいんだろうな」という言葉ばかり選んで話してしまいます。
自殺未遂はしたことがなく(輪にしたロープを首にかけて締める程度なら何度かありますがいずれも少し苦しいだけ)日常生活には気分面で何をするのもやる気が出ませんが、学校等行かなくては行けないところには行くことが出来ています。
嫌なことが一つでもあると今までの悲しかった思い出がどんどん湧き出してきて死んだ方がマシだと思ってしまう考え方が精神科にかかり処方を受けることで改善するのなら、頼りたいです。
また、私は看護学部に通っており、看護師として就職する予定です。もともと心理学や精神科領域に興味があり、前述した「人の気持ちを一番に考えて関わる」ことができることを強みと捉えれば、精神科に勤務し、精神疾患にかかり苦しんでいる人の気持ちを尊重した看護を行えるのでは?とも思っていますが、私のこの考え方では勤務中に患者さんから転移を受けたり、バーンアウトしたりするのでは?という不安もあります。ここにあるだけの情報では難しいと思いますが、私のような人間が精神医療の領域で働けるかどうか、先生の意見を伺いたいです。
長文、乱文になりましたが、ご回答いただけると幸いです。

 

林: なんらかの精神的問題をかかえている当事者の方が(以下、「当事者」ということにします)、精神医療の仕事に従事される場合、より患者さんの気持ちが理解できるというメリットがあると考えられます。
この【3824】の質問者が、

精神疾患にかかり苦しんでいる人の気持ちを尊重した看護を行える

とおっしゃる通りです。

しかしもちろんデメリットもあり、それも【3824】の質問者がお書きになっている通りで、

勤務中に患者さんから転移を受けたり、バーンアウトしたりするのでは?という不安もあります。

その不安はもっともです。特に危惧されるのはバーンアウトのほうで、これは当事者に限らず、あまりに熱心すぎる医療者にしばしば見られることです。それを避けるためには、常に患者さんと一定の距離をおくよう心がけることだと思います。いくら熱心でも、あるいは優秀でも、一人の人間にできることは限られていますから、限界を意識することが必要です。そのように言われると、仕事に手を抜くことを勧められているように感じ、また、100%努力しないと自分が手を抜いているのではないかと罪悪感を持つ人も多いのですが、全力疾走してバーンアウトしてしまえば結局は患者さんのためにはならないのですから、限界を意識することで長く仕事を続けることが最終的には多くの患者さんの役に立てることを十分に認識していることが大切です。

また、一定の距離をおくのは、患者さん自身のためにもなることです。昨今は「寄り添う」という言葉が異様に流行しており、寄り添うことは常に正しいという空気が生まれている感さえありますが、ただ寄り添えばそれでいいというものではありません。たとえば、昔からよく知られているヤマアラシのジレンマというものがあります。ヤマアラシは体中にトゲがありますから、互いに寄り添いすぎると互いを傷つけてしまいます。つまり寄り添うといっても、適度な距離をおくことが必要というのがその意味するところです。

それからもう一つ、

前述した「人の気持ちを一番に考えて関わる」ことができることを強みと捉えれば

確かにそれは「強み」と捉えることができます。
ただし、ここで質問者がいう「前述」とは、

誰かとの会話の際にはその人の気分を害さないか、嫌われないかばかり考えてしまい、

を指しているようですが、「その人の気分を害さないか、嫌われないか」が、「人の気持ちを一番に考えて関わる」ことの適切な姿と言えるかどうかは疑問です。
これは当事者がしばしば陥る陥穽の一つのパターンで、「自分は当事者なので、患者さんの気持ちがよりよくわかる」というのは、正しい面がある一方で、当事者といっても一人一人はすべて異なるわけですから、ある当事者個人の気持ちが他の当事者にすべて共通するわけではありません。この点もよく認識し、「気持ちがわかる」ことを過信しないことも大切でしょう。

当事者が精神医療に携わることについては【3717】病識についてと、精神病患者が精神科医になることについてもご参照ください。

(2019.5.5.)

05. 5月 2019 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A