【3790】「認知の歪み」を理解している者がカウンセリングを受けても意味があるか

 Q: 40代男性、教育学の研究者です。
研究者といえば聞こえはいいですが、自分の研究分野は、世間から見れば実に些末な、重箱の隅をつつくような内容で、数年前から、果たしてこれが教育現場で何の役に立つのか、児童や生徒の人格形成と何の関係があるのか、単なる自己満足ではないのか、という迷いを抱いています。論文を執筆しながら、あるいは学生の指導をしながら、自分のような無能な人間が何を偉そうなことをしているのかと苦痛を感じ、賃金を貰いながらこんな無意味な研究とやらをだらだらと続けるより、いっそ研究など辞めて塾講師にでもなったほうが人の為になるのではないかと(無論、研究者と塾講師の優劣を述べているのではなく、そのほうが自分に合っているのではないかという意味です)半ば本気で考え、かといって現実問題としてそれを実行に移すこともできず、鬱屈した気持ちに押しつぶされそうになっています。
医者にはかかっていませんが、仕事柄周囲には心理学系の同僚もおり、この考えを打ち明けたところ(正式のカウンセリングのようなものではなく、個人的な相談のような形で)、即断はできないが、おそらくそれは「認知の歪み」からくるうつ状態で、専門家のカウンセリングを受けて認知の歪みを直せば改善が見込めるとアドバイスされました。
しかし、私はそのこと(自分の考えが、必要以上に自己否定的であると、客観的には見えること、つまり認知が歪んでいると思われるのももっともだということ)は自覚しているのです。研究とは各分野の研究者の地道な積み重ねが、長い目で見れば教育という行為の進歩に何らかのかたちで貢献できるもので、すぐに社会や現場に反映されるものではないと分かっておりますし、それを建前でなく本音で肯定しています。また、これも職業柄ですが、「認知の歪み」というのがどういうものか、専門外ながらそれなりに理解しているつもりでもあります。それでも、これも客観的観点からですが、自分の研究が何らかの発展的な意味を持つとは、どうしても思えないのです。
そのような自分がカウンセリングや精神科の治療を受けて、効果があるものでしょうか。自分でも意識していない、根深い歪みが無意識にあって、専門家なら是正することが可能なのでしょうか。あるいは、自分が自分の認知の歪みを自覚しているということそのものが認知の歪みであり、カウンセリングを通じて正しい(というと語弊がありますが、もっと前向きな)意識を持つことができるのでしょうか。
近々精神科の治療を受けることを決心しておりますが、認知の歪みというものを理解した上で、なおかつ客観的視点から自己否定の意識を持つ者に、治療は有効でしょうか。
うまく考えがまとまらず、何がいいたいのか分からない文章になってしまったかもしれませんが、もし可能ならご返答をいただければ嬉しく思います。

 

林:
認知の歪みというものを理解した上で、なおかつ客観的視点から自己否定の意識を持つ者に、治療は有効でしょうか。

もちろん有効です。
ご本人に認知の歪みの存在を自覚していただくのは治療の第一歩であり、そこから次の段階の治療が始まるからです。そして多くの場合はこの第一歩に達するまでがそう容易ではありませんので、この【3790】のケースではすでに第一段階をクリアしているという意味で、よりスムースに有効な治療が進むことが期待できるとも言えます。
さらにもう少し別の見方をすれば、

認知の歪みというものを理解した上で、

ここで第一段階をクリアしているとも言える一方で、

なおかつ客観的視点から自己否定の意識を持つ

それがまさに認知の歪みということも考えられ、治療のターゲットになるかもしれません。

もう一つさらに言えば、

自分が自分の認知の歪みを自覚しているということそのものが認知の歪みであり、カウンセリングを通じて正しい(というと語弊がありますが、もっと前向きな)意識を持つことができるのでしょうか。

そのような疑問を持ち前進することを躊躇していること自体が認知の歪みからきているとも考えられます。

いずれにせよこの【3790】のケースで、治療の効果が期待できないと考える根拠はありません。

仕事柄周囲には心理学系の同僚もおり、この考えを打ち明けたところ(正式のカウンセリングのようなものではなく、個人的な相談のような形で)、即断はできないが、おそらくそれは「認知の歪み」からくるうつ状態で、専門家のカウンセリングを受けて認知の歪みを直せば改善が見込めるとアドバイスされました。

そのアドバイスは正しいと思います。

(2019.2.5.)

05. 2月 2019 by Hayashi
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