【3449】婚約者の祖父母から彼女に幼少期の記憶がないと聞かされました

Q: 私は20代前半の男性です。
相談したい婚約者も20代前半です。
先日婚約者の実家に泊まりに行ったのですが、夜婚約者が寝てから祖父母から
・婚約者が中学生まで虐待を受けていた(御両親と絶縁している理由として言われま
した)。
・児相に保護され中学校卒業の頃にようやく引き取れる事になった。
引き取れなかった理由としてはあまりにも精神的、肉体的な被害が酷く祖父母にも近付くことさえ出来なかったという事です。
・引き取ってからは普通の子供のように笑うようになっていて安心していた。
・しかし話をしていると小学校、中学校の記憶がほぼないと分かった。
・もちろんそれ以前の記憶はなく、しかも本人はそれをおかしいと思っておらず、忘れっぽいからと思い込んでいる。
・虐待を受けていたが、虐待の内容を全く覚えていない。
・今に至っては御両親の顔さえ覚えてない可能性が高い。

祖父母が私に話した理由として、最初は忘れる事で婚約者が楽になれるのならそれで良いんじゃないかと思っていたと。
だけどもしふと思い出した時に保護された当時のような状況になってしまうんじゃないかという不安、また忘れている事を何とも思っていないように見える婚約者を見てこのままで良いのか不安になったとの事でした。
実際昨日ポロっと小学生時代の話になりましたが修学旅行に行ったかどうか、行き先等々から一生懸命考えているようでしたが忘れちゃったなーで終わっていました。
友人の名前も同様でした。
しかもそれは忘れていても仕方ない事という感じで疑問にも思っていないように見えました。

林先生にお尋ねしたいのですが、このような場合精神科にかかるべきなのでしょうか?
今はごく普通の明るい女性なので治療を受けて無理に思い出してしまうような事をすべきなのか・・・。

また、祖父母の心配しているような突然思い出してしまって・・・という事は起こり得るのでしょうか?

 

林: これは虐待による解離性健忘の典型的な例です。「ごく平凡な一例」という表現は失礼な響きがありますが、事実としては「ごく平凡な一例」と言えます。ですから回答も実例に照らして行うことができます。但しそれは、対応が簡単であることは意味しません。この点については後述します。

まず、「虐待による解離性健忘」の例としては(但し記憶が曖昧なもの)、【1924】子ども時代の記憶が曖昧です。父に暴力を受けていたらしいのですが。【1926】母からの暴行、義父からの性的虐待、どちらも記憶が曖昧、などをご参照ください。

そして、

祖父母の心配しているような突然思い出してしまって・・・という事は起こり得るのでしょうか?

については、答は端的には イエス です。完全な解離性健忘から記憶がよみがえったと思われる実例として、【1944】ある日唐突に幼少期の記憶が思い出されました【1948】7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえった【3447】子どもの頃に親から受けていた暴力の事を、急に思い出しましたなどをご参照ください。

こういう例を目の当たりにしますと、

だけどもしふと思い出した時に保護された当時のような状況になってしまうんじゃないかという不安、また忘れている事を何とも思っていないように見える婚約者を見てこのままで良いのか不安になったとの事でした。

という不安は現実的と言えます。
しかし他方、「ずっとこのまま思い出さないで経過する」ことも考えられますから、そうしますと、

祖父母が私に話した理由として、最初は忘れる事で婚約者が楽になれるのならそれで良いんじゃないかと思っていたと。

という考え方ももっともであるということになります。
そもそも解離性健忘とは、「思い出したくないことを記憶の底に封印することで、自我の破綻を防ぐ」というメカニズムによる症状であることはほぼ確実ですので、「忘れる事で婚約者が楽になれるのならそれで良い」というのはまさにその通りです。

すると問題は、「将来、ふと思い出す」可能性がどの程度あるか、ということになります。
この問いに対する答は残念ながらわかりません。それは、このケースについてはわからないとか、私にはわからないとかいう意味ではなく、どのケースについても、誰にもわからないというのが現実です。

そうしますと、

今はごく普通の明るい女性なので治療を受けて無理に思い出してしまうような事をすべきなのか・・・。

という質問者の疑問はもっともであるということになります。
但しここで質問者の認識に一つだけ誤りがあります。それは、解離性健忘の治療とは、忘れていたことを思い出すことであるという認識です。実際の精神科での解離性健忘の治療目標は、決して「思い出す」ということではありません。逆に、治療によって思い出したために症状が悪化することは精神科では常識で、【1945】カウンセリングの過程で、幼い日の記憶がよみがえったのケースはそれが現実化した例です。(但し、【1945】は、実際には虐待はなかった、すなわち、虐待を受けたというのは偽記憶の可能性が残ります。それに対しこの【3449】のケースは、仮に将来虐待のことを「思い出した」場合、それが偽記憶でないとはっきり断定できる稀な例であると言えます。)また、【1948】7年前に父から受けた虐待の記憶がよみがえったの解説も大いにご参考になると思います。この回答の冒頭で述べた「対応は簡単でない」ことの理由も、そこから読み取っていただけるかと思います。
虐待による解離性健忘については以上のような事情があるため、

林先生にお尋ねしたいのですが、このような場合精神科にかかるべきなのでしょうか?

このご質問には明確に答えることは困難です。「わかりません」が正しい答と言えるでしょう。
しかし現実的には、今は精神科にかかることはお勧めしません。理由は二つです。
第一に、今ご本人的には症状がない。困っていない。「将来ふと思い出したら・・・」は周囲の方にとってもっともな不安ですが、思い出す確率が高いとも低いとも言えない以上、今かかる必然性がない。
第二に、このようなケースは精神科といっても高度に専門的な治療が必要で、もしかかるのであれば特殊な専門家を受診する必要がある(【1948】からも治療の難しさ・微妙さは読み取れると思います)。その専門家を探すのは現実にはとても難しい。(「専門家」を自称している人が本当に適切な治療をできるとは限りません)

以上、真の回答は「わかりません」ですが、あえてアドバイスするとすれば、「今すぐに精神科にかかる必要はない。しかし、将来にそなえて受診できる専門家の情報を収集しておくことは勧められる」ということになると思います。

(2017.6.5.)

05. 6月 2017 by Hayashi
カテゴリー: 精神科Q&A, 虐待, 解離性障害