【3306】小中学生時代、毎日、母に怒鳴られ、殴られていました(【1773】のその後)
Q: 【1773】幼少時のアスペルガー障害であるとの診断と現在抱える問題についてご回答頂いた30代女性です。ものです。あれから5年が経過し、いろいろなことに細かな変化はありましたが、依然悩みは尽きません。
あの質問掲載の後、医師eから医師Fに変わったのが5年前で変わってすぐにF医師が独立なさったので先生についていき現在に至ります。成り行き上でしたがこれ以上お医者さんが変わるのが嫌でしたし、何となく信頼できそうだと感じ転院しました。
まず近況を申し上げますと、前回質問時におりました職場で周りに迷惑をかけながらも継続して現在も働いております。体調や精神的な浮き沈みのほかに能力的な変動もあることにその後気づきました。(記憶力低下;集中力低下;判断能力低下;計算力低下;母国語のリスニング力の低下のほか視野狭窄?のようなものが不調時にあります。)しかし薬を欠かさず服用していればそれらはある程度収まるようです。現在処方が変わりまして以下の通りです。
デパケンR500mg、パキシル25mg、ラミクタール100mg 不調時のみまれに睡眠導入剤。
(量の変動はあっても、薬の種類はもう何年も同じです。)服用さえ忘れなければつらいときはあっても、本格的に悪くなることは抑えられているようです。しかし、2〜3日間続けて飲み忘れたり、だるくて行動することがきないせいで病院に行くことができず1週間〜2週間程度薬をきらしたりすることがあります。(予約はいつも17時以降ですがなかなか行動ができないのです。甘えもあると思います。)自らのこのようなミスで不調に陥ってることもあります。
薬で困った実例としては…
●パキシルとラミクタールをきらしたときは憂鬱で死にたかったり、激しく落ち込み昼夜問わず泣いたり、憂鬱で朝方まで泣き緊張で眠れない生活が続き社会生活に問題をきたしたりしました。
●デパケンの100mg錠をきらして400mgしか服用できなかったときは些細なことで一日中怒りが抑えられなくて一日中、人や物、自分(人にできないので仕方なく)を破壊したくて仕方ないことがありました。
また、処方外のものですがロキソニンの飲み過ぎ?(多いときで一日一回120mg以上を月の半分以上の日数使用。頭痛や肩こり、吐き気などの体の不調を軽減するためです。)それが原因かは定かではありませんが過去には十二指腸潰瘍や頭痛がひどかったりしました。最近は努力して控え、月に7日以下に抑えた上なるべくガスターD20mgなどを一緒に服用します。数ヶ月ほどそれを実行しましたがそれにもかかわらずその後胃けいれんが起きるようになりました。約15年続く過食嘔吐があるので胃の不調はそのためもあるかもしれませんし、また、数週間処方薬をきらしていた時期であるためストレスもあるかもしれません。内科医に吐いていることは言えず、胃けいれんの原因は不明、(胃カメラ検査をしていないため。でも、最近の定期検診のバリウム検査では問題なかったので胃がんとか、緊急性のあるものではなさそうです。現在、空腹時にまれにある胃痛や腰痛が過去の十二指腸潰瘍を思わせますが、上記の胃薬で治ります。胃けいれんはありません)
現在困っていることとしては…
●15年近く続く過食嘔吐。その前2年間は嘔吐のみ。15年間の前半は毎日行いほぼ残らず吐いていましたが、後半から現在に至るまでは衝動を抑えるようにして不定期に一年のうち三分の一程度収まっていることがあります。しかし吐かない時期も過食はするので最近は体重がどんどん平均値を超えてきています。吐かない期間が出現してからじわじわと30キロ近く増えました。、この悩みは誰にも言ったことがなく6年お世話になっている医師Fにすらずっと打ち明けられず、半年ほど前やっと相談することができました。ラミクタール50から100mgに二段階に分けて増えました。
●過去の古い記憶に悩まされる。私は、特殊な子供だったためは母から厳しく教育されたと以前お話ししましたが、実は小学生1年から中学生3年生まで毎日殴られ、怒鳴られて育ちました。(でも、頭のみですから痕は残りません。いつもたんこぶでぼこぼこしていて腫れていてなおる暇がありませんでしたが、殴り方がうまいのか血が出たことは包丁の背と職人仕様の重たいまな板で叩かれたときだけですし、病院にかかるようなダメージを受けたことはありませんし、暴力を楽しんでいる風ではなくしつけのためと母が思っているのがわかったので、私もしつけの範囲と思い我慢しておりましたが、ものすごい恐怖と苦痛でした。今となっては母の不幸の八つ当たりと感じる部分もあるのですが、私もその不幸の一つなので仕方ないとも言えます。)、兄弟の中でそのように接されるのは私だけでした。未だにほかの兄弟と比較して私と母の関係は対等ではありません。私の出来が悪いという意外に私の性格が悪いということ、などで当時は仕方なかったと母は言います。
また、私のような子供の治療法が無かった時代のせいでもあると言います。本人は今の時代だったら虐待だと通報されていただろうと客観的に振り返っていますが謝罪などはありません。今になって当時の悲しい感情が思い出されて一晩中泣いてしまいます。時々、誰かの怒鳴り声や子供の激しい泣き声で、当時の気持ちが思い出されてものすごく不快でしんどい気持ちになり、エネルギーを吸い取られ体が重くて一日中、または数日影響されます。激しく自分が怒鳴られると、反射で手で頭を覆う動作をしそうになることもあります。これも、このことは今初めて人に話します。F医師にも言えません。このことがつらいということを人に言えないのは、中学生の頃私が泣いていると母に言われた「自分を哀れんでいやらしい子だ、親にレイプされる子だって世の中にはいるんだから、あんたはちっともかわいそうじゃない」と言われたせいのような気がします。そのとき、わたしは私が泣いていたら頭を殴る手を緩めてくれるのではという期待から泣いていたのです。(それはいつもあまり効果がないのですが。)なんとなくそれで後ろめたい気分になりました。
●上記のような母の「いまのはなに?」というような言葉が時々繰り出されたのですが兄弟に言っても信じてもらえません。私の見ていた母と兄弟の見ていた母は別物です。実際母は私にかかり切りで、妹は放任&猫可愛がり、弟は自己愛の強い父にとられてしまったと言います3人とも全く別の環境で育ったようなものですので、お互い共感できない部分が多いです。にもかかわらずなぜか皆極端に自分に自信がないところはすごく似ています。救いは妹は私が毎日殴られていたことは知っていたので「かわいそうだとは思っていたけ。仕方無かったと思うが」と言ってくれることです。今客観的に考えると母は責任感が強すぎて子供をより良く育てる責任があると考えたのだろうと思います。妹が母は愛情によってではなく責任感によって子供を育てていると言っており、なるほどなと思いました。今つらいことは、こんなにも母に気持ちを乱され、不調になってしまうにもかかわらず、母との付き合いの比重が兄弟の中で私の割合が大きいことです。負担なのです。たとえば母が私が太っているのが嫌いなので、私の過食嘔吐の周期が帰郷に左右されることもあります。(ダイエットが成功するかは別にして)そもそも嘔吐するようになったこと自体が母にやせろと言われたことです。(新体操基準では少し太っていた)そのように母の言葉で左右されることが疲れるのです。よく思われたいと思うし、性格が悪いと思われていたようなので信用を挽回したいとの気持ちもあります。心配なので定期的に電話して愚痴も子聞きますし、帰郷せよと言われれば休みを取ります。でも、帰郷することがストレスです。
ほかにもいろいろありますが、いま一番の悩みは以上の点です。
前回は、客観的な内容だったのですが今回はただの悩みで、解決の仕様も無いかもしれません。でも、誰かに話してみたかったのです。ここまでお読みいただきありがとうございました。
林: 経過のご報告をいただきありがとうございました。今回、特に私から申し上げことはありません。今の先生の治療を続けてください。
(2016.11.5.)