【3140】弟の統合失調症発病から現在に至る20年間

Q: 私は30代後半の男性です。
一歳違いの弟は、15年ほど前に統合失調症と診断され、現在は実家で両親と暮らしており一応は平穏です。
貴サイトは最近知ることが出来ましたが、より以前から貴サイト及びご紹介のある書籍の知識があれば、弟の治療に対して別のアプローチがあっただろうと考えることがあります。
現時点で切迫した危険や問題があるわけではありませんが、弟の発症(当時は全く無知でよくわかりませんでしたが)から現在に至る経緯をご報告することで、同じ病に苦しむ患者の方や特にご家族の参考に供することができればと思い投稿いたします。

弟はもともと頭がよく、同時にかなり神経質なところがありました。
小学校高学年から中学の前半にかけては、チックがみられましだか、通院し症状はやがてなくなりました。

弟は偏差値の高い他県の高校へ進学すると同時に実家を離れ、寮での生活を始めました。
今から考えれば、この高校生活のいずれかの時期に統合失調症を発症したと思われます。
高校では、どうやらいじめにあっていたらしく(いじめは中学でもあった気配がありますが、詳しくは分かりません)、「勉強ばかりして」などの陰口や教室全体から白々しい空気を感じた、とも言います。
いじめは事実かもしれませんが、陰口や全体からの無視などは病気の症状だった可能性も今から考えれば高いように思います。
高校時代の多少奇妙な言動で思いつくのが服装へのこだわりです。
卒業式などのイベントにはスーツを着用するのですが、弟は雑誌に載るような高価なスーツや靴でなければならない、と両親にねだることがしばしばでした。
その後も、外出用のコートや靴などは、彼の普段の質素な好みとは少しかけ離れた高価なものを買うことが多かったように思います。

それでも高校時代は文科系でしたが部活にも取り組み、大きな問題は見られませんでした。しかし大学進学後、明確に症状の悪化があったようです。
夜中に私に電話をかけてきた弟は、「通学のバスのなかで皆が自分を気持ち悪いという」「学校でも人に避けられ、陰口を言われる」「帰宅後は部屋から出られず、もう限界である」と泣きながら訴えました。
その訴えは多少大袈裟に聞こえましたが(症状であれば、当人にとってはまぎれもない事実と感じられたでしょうから、大袈裟な訴えではなかったのでしょう)、結局大学は休学して実家に帰り、その後退学しました。
その頃は私も独り暮らしをしていましたので、詳しくは分かりませんが、実家では地元の病院に通院し、鬱や対人恐怖気味であると診断され、統合失調症のおそれもあると言われたようです。
他のQ&Aにあるような患者の方とは違い、弟は通院をいやがらず、また明確な妄想や独言や奇行もなかったため、両親がつきそうこともなく一人で通院していましたが、症状を控えめに医師に伝えていた節があります。
また、両親にも色々な意味で病気への偏見はなく、統合失調症なら統合失調症で治療をしていけばよいと考えていたようです。

ただ、病気への偏見がないことと、知識があることは当然違いました。
通院し続けながらも弟は病を養い続けていました。
主な症状は幻聴と妄想気分だったでしょう。
買い物にいけば、店員が自分を変な人間が来たような態度で接したり裏でキモいよねなどと悪口を言う、家に来客があれば「いい歳をして自宅で遊んでいるのはおかしい」と自分を非難する話をしている、自分の様子がおかしいので外を歩くと回りの目が気になり疲れてしまう、といったことをたびたび話したようです。
文字にするといかにも被害妄想的で誰が見ても普通ではないと思うのでしょうが、恐ろしいことに、家族は次第にそれを普通のことのように気にしなくなってしまうのです。そんなことはあるわけない、と思いながらも、弟は神経質だし病気でもあるのだからそう感じることもあるのだろう、と逆に病気だから過敏に反応するものではないという考えに傾いてしまうようなのです。

弟は次第に、地元はせまいので精神科に通うことが回りにすぐばれてしまうし、田舎なので精神科がひとつしかなく(これは事実です)自分に合う病院を選べない、遠いところで納得できる治療を受けたいと言うようになります。
実際には弟は地元の病院で事実を伝えていたか不明であり、医師が症状を正しく把握して適切な治療をできていたか分かりません。
それでも、家族は現状を変えるきっかけや自立の糸口になるかもしれない、と弟を独り暮らしさせてしまいます。
これは明らかに失敗でした。様々なQ&Aの事例にあるとおり、治療の十分でない患者を家族の目の届かない環境に置くのは、単に病気を進行させてしまうだけなのだと今はよくわかります。
独り暮らしをしてからの弟は、自分で病院を見つけ、障害者の自立支援団体に出入りりしてボランティア活動をするなど、一見たいへん活動的に生活していました。
しかし、そのような団体に出入りしたりグループホームのようなところでの生活をしたらよいかもしれないと考えつつも、病院では対人恐怖や赤面症と診断されるように症状を説明し、統合失調症としては治療を受けていなかったようでした。
自分は統合失調症であると考えて、グループホームやそれらを支援する団体に関係する必要を感じながら、病院では統合失調症と診断されたりその治療を受けることを拒否する態度を示すのは、何だか気持ちが分かるような分からないようなで、彼の葛藤を支えて導いてやることができなかったことは今更ながら忸怩たる思いにさいなまれます。

独り暮らしから三年ほどで、弟は症状を大きく悪化させてしまいました。
私の携帯にメールがあったのです。
「家のまわりをたくさんの人が取り囲んで罵倒している」「敵はベランダにもいるぞ!」「集団的に嫌がらせをされることは実際にある。悪口を録音することに成功した。自分はこれを発表して世間に訴えるつもりである」
翌日私は仕事を休んで彼を迎えに行き、実家に送り返しました。
迎えに行ったその日も、「アパートまでタクシーで迎えに来てくれたね」(私は駅から徒歩で迎えに行きました)、「悪口を言っていた近所の住人に苦情をいってきてくれて嬉しかった」(私はそんなことはしていません)、「電車から空港までついてきている人がいる。今向かいから歩いてくる人がそうだ」、など妄想とはこういうものかと愕然としたのを覚えています。

実家に帰った弟はしばらくは「盗聴器があるかもしれないから壁を調べた」などの言動がありましたが、通院服薬して落ち着きました。「独り暮らしのときに外から聞こえていた罵声と、今実家にいて聞こえてくる罵声の声が同じだ。こんな離れた場所で同じ声の人物がいるはずがないから、やはり幻聴なのかもしれない」という言葉が印象的でした。

その後数年がたちますが、弟は現在も実家で通院しながら生活をしています。
落ち着いていましたが、ほんの半年前、再び「部屋のものがなくなる」「声が聞こえる」と言い出し、病院で新たな薬を処方してもらったことがあったようです。
「今は実家にいないのが確実な兄の声が聞こえたから幻聴と判断できたけど、また盗聴器がある気がしてコンセントの差し込み口を調べたりした。病気と自覚していても思い込むと冷静にはなれないものだよ」とは、弟本人の言です。

緩解はあっても完治はない病気なのだと思わざるを得ません。
弟のケースは、誰かに殺されるとか電波に命令されるといったエキセントリックな妄想や、暴力や失踪といった奇行のない、変な表現ですが、インパクトの強くないものかもしれません。
しかし、百人に一人が発症するというある意味ありふれたこの病気を経験している多くの患者や家族はこのように端からはあまり目立たない闘病生活を送っているのではないでしょうか。

このような比較的穏やかな患者でも、家族の高齢化、就職先や支援施設、医療機関の地域格差、再発や重症化へのおそれなど、不安を抱えながら(発症を高校からと考えるとすでに20年)暮らしています。まして、症状の重い患者や家族の苦労を思うといたましいほどの気持ちです。

私どもの経験が患者と家族の一サンプルになれば幸いに思います。

末筆ながら、貴サイトの発展と、読者の皆様の安らぎ、先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

林:

弟の発症(当時は全く無知でよくわかりませんでしたが)から現在に至る経緯をご報告することで、同じ病に苦しむ患者の方や特にご家族の参考に供することができればと思い投稿いたします。

ありがとうございます。

高校では、どうやらいじめにあっていたらしく(いじめは中学でもあった気配がありますが、詳しくは分かりません)、「勉強ばかりして」などの陰口や教室全体から白々しい空気を感じた、とも言います。
いじめは事実かもしれませんが、陰口や全体からの無視などは病気の症状だった可能性も今から考えれば高いように思います。

おっしゃる通りです。被害妄想であった可能性は高いでしょう。但しそれは後から振り返ればそう言えることですので、リアルタイムではわかりにくかったと思います。本人は「いじめ」と認識していても、実のところそれは妄想であるという事例は、統合失調症という病気の高い発症率に照らせば、相当な数にのぼっているはずです。

高校時代の多少奇妙な言動で思いつくのが服装へのこだわりです。

これも、後から振り返ってみれば、統合失調症の初期や前駆期に特有の、奇妙な思考であったとみることができます。しかしこれを病的と判定するのは、被害妄想以上に難しいので、リアルタイムでの判定は無理だったでしょう。

大学進学後、明確に症状の悪化があったようです。
 夜中に私に電話をかけてきた弟は、「通学のバスのなかで皆が自分を気持ち悪いという」「学校でも人に避けられ、陰口を言われる」「帰宅後は部屋から出られず、もう限界である」と泣きながら訴えました。

統合失調症の顕在発症です。

 買い物にいけば、店員が自分を変な人間が来たような態度で接したり裏でキモいよねなどと悪口を言う、家に来客があれば「いい歳をして自宅で遊んでいるのはおかしい」と自分を非難する話をしている、自分の様子がおかしいので外を歩くと回りの目が気になり疲れてしまう、といったことをたびたび話したようです。

統合失調症の典型的な症状です。

 文字にするといかにも被害妄想的で誰が見ても普通ではないと思うのでしょうが、恐ろしいことに、家族は次第にそれを普通のことのように気にしなくなってしまうのです。そんなことはあるわけない、と思いながらも、弟は神経質だし病気でもあるのだからそう感じることもあるのだろう、と逆に病気だから過敏に反応するものではないという考えに傾いてしまうようなのです。

おっしゃる通りです。第三者が見れば、あるいは後から振り返ってみれば、明らかな精神病症状であっても、ご家族はさほど病的とは見ていないことはしばしばあります。そこには、家族が精神病であるという事実を否定したいという心理も大きく関与していることが多いです。

弟は次第に、地元はせまいので精神科に通うことが回りにすぐばれてしまうし、田舎なので精神科がひとつしかなく(これは事実です)自分に合う病院を選べない、遠いところで納得できる治療を受けたいと言うようになります。

これは本人の言う通りの理由かもしれませんし、病院をかえて統合失調症としてではない治療を受けたいという意図が理由かもしれません。

 実際には弟は地元の病院で事実を伝えていたか不明であり、医師が症状を正しく把握して適切な治療をできていたか分かりません。

おっしゃる通りだと思います。

それでも、家族は現状を変えるきっかけや自立の糸口になるかもしれない、と弟を独り暮らしさせてしまいます。

非常によくある、重大な誤りです。

これは明らかに失敗でした。様々なQ&Aの事例にあるとおり、治療の十分でない患者を家族の目の届かない環境に置くのは、単に病気を進行させてしまうだけなのだと今はよくわかります。

その通りです。

 独り暮らしをしてからの弟は、自分で病院を見つけ、障害者の自立支援団体に出入りりしてボランティア活動をするなど、一見たいへん活動的に生活していました。

一時的にそのような良い状態が、少なくとも表面的には良い状態が、見られることはよくあります。しかし早晩悪化します。このケースもそうなっています。

しかし、そのような団体に出入りしたりグループホームのようなところでの生活をしたらよいかもしれないと考えつつも、病院では対人恐怖や赤面症と診断されるように症状を説明し、統合失調症としては治療を受けていなかったようでした。

よくあることです。

 自分は統合失調症であると考えて、グループホームやそれらを支援する団体に関係する必要を感じながら、病院では統合失調症と診断されたりその治療を受けることを拒否する態度を示すのは、何だか気持ちが分かるような分からないようなで、彼の葛藤を支えて導いてやることができなかったことは今更ながら忸怩たる思いにさいなまれます。

お察しいたします。

独り暮らしから三年ほどで、弟は症状を大きく悪化させてしまいました。
 私の携帯にメールがあったのです。
 「家のまわりをたくさんの人が取り囲んで罵倒している」「敵はベランダにもいるぞ!」「集団的に嫌がらせをされることは実際にある。悪口を録音することに成功した。自分はこれを発表して世間に訴えるつもりである」

表面的には安定しているように見えても、あるときこのように激しい妄想が出て来ることはよくあります。このような場合、文字通り急に悪化したのか、それまでも潜在的に悪化が進行していたのかは不明です。しかし後者の場合のほうが多いです。

迎えに行ったその日も、「アパートまでタクシーで迎えに来てくれたね」(私は駅から徒歩で迎えに行きました)、「悪口を言っていた近所の住人に苦情をいってきてくれて嬉しかった」(私はそんなことはしていません)、「電車から空港までついてきている人がいる。今向かいから歩いてくる人がそうだ」、など妄想とはこういうものかと愕然としたのを覚えています。

このように火を見るより明らかな妄想を目の当たりにするまで、妄想というものの存在をなかなか人は信じられないものです。

 実家に帰った弟はしばらくは「盗聴器があるかもしれないから壁を調べた」などの言動がありましたが、通院服薬して落ち着きました。「独り暮らしのときに外から聞こえていた罵声と、今実家にいて聞こえてくる罵声の声が同じだ。こんな離れた場所で同じ声の人物がいるはずがないから、やはり幻聴なのかもしれない」という言葉が印象的でした。

ある程度の病識は持っておられると言えます。但し、一人の患者さんについてみても、病識は揺れます。このように「幻聴かもしれない」と自覚される時期もあれば、「絶対に本当に声がした」と主張される時期もあるのがむしろ普通です。(もちろん全く病識がないケースも膨大に存在します)

その後数年がたちますが、弟は現在も実家で通院しながら生活をしています。
 落ち着いていましたが、ほんの半年前、再び「部屋のものがなくなる」「声が聞こえる」と言い出し、病院で新たな薬を処方してもらったことがあったようです。
 「今は実家にいないのが確実な兄の声が聞こえたから幻聴と判断できたけど、また盗聴器がある気がしてコンセントの差し込み口を調べたりした。病気と自覚していても思い込むと冷静にはなれないものだよ」とは、弟本人の言です。

上記の通り、病識が揺れています。

このような比較的穏やかな患者でも、家族の高齢化、就職先や支援施設、医療機関の地域格差、再発や重症化へのおそれなど、不安を抱えながら(発症を高校からと考えるとすでに20年)暮らしています。

お察しいたします。
ただ一つ追加しますと、現在の治療内容についての記載がありませんので、弟さんの現在の状態が、治療をしてもこれ以上改善は望めないやむを得ないものなのか、それともまだまだ改善が望めるかは不明です。

 私どもの経験が患者と家族の一サンプルになれば幸いに思います。

貴重なご経験をお知らせいただきありがとうございました。このように詳細まで生き生きとした描写は、大変多くの方々にとって貴重な参考例になると思います。
弟さんの病状が安定し、改善されることを願っております。

(2016.2.5.)

05. 2月 2016 by Hayashi
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