【2684】76歳で亡くなった母の精神病は何だったのでしょうか
Q:3年前に、甲状腺癌により母が76歳で亡くなったのですが、その母が、亡くなる直前まで患っていた精神病が何だったのか、私の対応が悪かったのかと考え、メールさせていただきます。
私(男・53歳・未婚)の母は、30歳で夫(私の父)を内臓の病気で亡くし、以来、私と2人の姉を一人で育てました。(母の)実家の援助もありましたが、専業主婦だった母は、部屋を人に貸したり、パートに出たりしていました。元来、内向的で、人と接するのが苦手な母は、経済的にも、精神的にも不安な子育てだったと後年、私に漏らしています。
2人の姉が嫁ぎ、私が地元の大学を卒業して就職すると、母は、待ってましたとばかりにパートを辞め、私に付いて神奈川県にやってきました。母は50歳でした。 今思えば、その頃から、精神病の予兆がありました。昼間、一人で居ると、隣や近所の人を異常に気にするのです。大家さんの敷地内の借家に居た時は、大家さんが近くを歩くのを嫌がり、別のアパートに越すと、話しかけてくる隣の奥さんをけむたがり、またも引っ越すと近所のおばあさんをうるさがったりしました。 分譲マンションに住むようになっても、上の階の物音に敏感に反応し、嫌がり、更に引っ越しを訴えました。これらの訴えについて、私は、ほとんど同意できなかったのですが、母は「お前は夜しかいないから、わからない」と言い張りました。その結果、短い時は半年足らずで、長くても3〜4年で引っ越しを繰り返していました。でも、その頃は、まだ病気とは私も思っていませんでした。
私が、母の精神に病的なものを感じるようになったのは、母が50代後半になってからです。私が、初めて13日間の海外旅行に行って、帰ってきたら、母がおかしなことを言い出したのです。 その頃は、上の階に対する母の意識過剰に懲りて、眺望のよい6階建てマンション最上階の部屋に住んでいたのですが、そのベランダに出て洗濯物を干す時に、数十m離れた他のマンションの奥さんがにらんでくるので、ベランダに出たくないと言い出したんです。しかも、隣の部屋の人が深夜に異様なうなり声をあげる、隣の人はきっと障害者だとも、言うようになったのです。
今考えれば、その時に病院に連れて行けばよかったのでしょうが、私は引っ越しを選びました。 今度は、隣のマンションのベランダが気にならないように、15階建てのマンション最上階にしました。それでも、母は、下の階の人がまたも障害者で、夜、うなり声を出す、私たちの生活を監視していて、料理をすると匂いをかいで来るなどと、訴えました。もちろん、前のマンション同様、私は、母の言う「異様なうなり声」を一度も聞いていません。
私は、初めて母を病院に連れて行きました。母に病識はありませんから、適当な言い訳をつくって、総合病院の精神科に一緒に行ったのです。母は明らかに嫌がり、私を不信の目で見てきました。待合室には、ひとめで精神病とわかるような人もいましたから。 それでも、なんとか、診察室に母と入り、精神科医の問診を受けたのですが、母は精神病とは診断されませんでした(或いは、様子を見ようということだったのかもしれません。よく覚えていません。薬などの処方は全くありませんでした)。隣近所のこと以外は、全く正常で、家事も一人でこなしていた母は、医師の質問にテキパキと答えたのです。
少なくとも、認知症ではないと診断されたので、田舎育ちの母が集合住宅に適応できなかったのだろうと私は考え、一戸建てを建てて引っ越しました。もちろん、母の希望でもありました。母は、60代後半でした。 このとき、私は、度重なる引っ越しやマンションの買い換えなどで金銭的に余裕がなくなっていたこともあり、母に「これが最後の引っ越しだから、今度は、何があっても我慢するように」と言い聞かせました。実際、設計で母の希望を入れて、隣家に接する南側1階には窓がないという、変わったつくりの家にしたので、売却は難しいと思ったのです。 しかし、このことが母に余計にプレッシャーをかけたのでしょうか。一戸建てに引っ越した直後から、母の様子は激変していきました。急に無気力になっていき、料理を作りたくない、買い物もできない、と言い出したのです。結局、私が仕事帰りにスーパーでお総菜などを買って帰ることになりました。洗濯も、土日に、私が手伝ってやるようになりました。
更に、ある日、私が帰宅すると、母が泣いていて、理由を尋ねると、「隣の人が私のおならを録音、再生して嫌がらせする。おならを我慢したいが、我慢しきれない。情けない」と言うのです。隣人が、床下の秘密の抜け道を通って我が家に侵入して来るとも言いました。 そして、真夜中に、母が私を起こし、近所の電柱の陰でみんなが自分(母)の悪口を言っている、見てきて欲しいと言ってきたこともありました。実際に、外に行って見てきた私が、「誰もいなかったよ」と言っても、母の被害妄想は全く収まりませんでした。
さすがに危機を感じた私は、母を心療内科(クリニック)に連れて行きました。前回同様、母は、医師からの認知症診断の質問を全問正解して、「認知症ではない」と言われたのですが、私が横からいろいろ話をしたので、薬を処方してくれました。ですが、薬はなかなか効き目があらわれず、症状は悪化するばかりでした。2度3度薬を替えて、やっと少し効き目があらわれてきました。 その時の医師は、母が「私は病気ですか?」と聞くと「隣を気にする病気です」と答え、私には「お母さんの訴えが非常識でも、否定せずに聞いてやりなさい。そして、薬は忘れずに飲ませてください」と言いました。私は、できるだけ、その通りにしようとしましたが、隣の人に抗議すると母が言い出すこともあり、思わず母を叱りつけたこともありました。
その後、(前のクリニックが嫌というのではなく、地理的な理由で)近所の精神科に替え、そこから薬を処方してもらい、やっと、母の被害妄想の訴えはなくなってきました。ですが、同時に、昼間、好きだったテレビも見ずにぼうっとしていて、夜眠れないと訴え、歩行も極端にゆっくりになりました。薬の副作用でしょうが、被害妄想がひどくなるよりはと考え、薬を飲ませ続けました。 一戸建てに引っ越してから、このような生活が5〜6年続いた後、前から患っていた甲状腺腫が急激に悪化して、母は76歳で、あっけなく亡くなってしまいました。
今、思うのは、一つは、一体、母は、何の病気だったのかということです。精神病だったことは間違いないのですが、亡くなる半年前まで、意識ははっきりしていて、記憶の混濁などもなかったので、「アルツハイマー型の認知症」ではないと思うのです。 幻聴がかなりあったので、「レビー小体型認知症」でしょうか?お世話になったヘルパーさんの中には「統合失調症ではないですか?」と言う方もいましたが。 もう一つは、私の母への対応がよかったか、ということです。もっと早く母を病院に連れて行き、医師に細かく母の様子を訴えたら、より適切な医療を受けられたのではないか?ということです。 母が亡くなった今、もう、やり直すことはできないのですが、林先生の質問コーナーを拝見しているうちに、気になって仕方がなくなり、質問させていただきました。長文で失礼しました。よろしくお願いいたします。
林: 遅くとも50歳の時点で被害妄想が始まり、以後、この妄想が発展し、
「隣の人が私のおならを録音、再生して嫌がらせする。おならを我慢したいが、我慢しきれない。情けない」と言うのです。隣人が、床下の秘密の抜け道を通って我が家に侵入して来るとも言いました。 そして、真夜中に、母が私を起こし、近所の電柱の陰でみんなが自分(母)の悪口を言っている、見てきて欲しいと言ってきたこともありました。
この時点では幻聴もあったと考えられます。
最も考えられる病名は統合失調症です。
隣近所に対する被害妄想は、統合失調症や妄想性障害で非常に頻度の高い症状です。引っ越せばよくなるのではないかと考えるのは、残念ながら妄想というものに無知なご家族のする対応であって、質問者が後悔しておられる通り、お母様の発症以後、ご家族が不適切な対応を続けてきたと言わざるを得ません。
ただし、
母は精神病とは診断されませんでした(或いは、様子を見ようということだったのかもしれません。よく覚えていません。薬などの処方は全くありませんでした)。母は、医師の質問にテキパキと答えたのです。
この時点で医師が正確に診断しなかったのであれば、その後の対応について、素人のご家族を責めるのは不合理で、この時の医師に非があったと判断すべきでしょう。
隣近所のこと以外は、全く正常で、家事も一人でこなしていた
という形は、妄想性障害でも、また統合失調症の一部でも、しばしばあることです。
後にかかられた医師の、
その時の医師は、母が「私は病気ですか?」と聞くと「隣を気にする病気です」と答え、私には「お母さんの訴えが非常識でも、否定せずに聞いてやりなさい。そして、薬は忘れずに飲ませてください」と言いました。
という説明・対応は、病識のない妄想患者に対する適切なものです。
もっと早く母を病院に連れて行き、医師に細かく母の様子を訴えたら、より適切な医療を受けられたのではないか?ということです。
その通りだと思います。
(2014.6.5.)