【4402】ある日突然文章が読めなくなり、またある日突然読めるようになった

Q: 30代女性です。20代半ばの体験について気になっているので、もし教えていただけたら嬉しいです。 

当時、私は大学院の博士前期課程に在籍し、後期課程への進学を目指して研究していました。その進学試験(3月)の、英語の科目を受けていた際に、突然文章が全く理解できなくなったのです。もちろん一文字一文字は分かるし、単語も理解できる。文法も分かっているはずなのに、全く読めなくなりました。頭が真っ白になって、文字が滑るような感じです。それから、英語はもとより日本語の文章を読むことも、人の話を理解することも難しくなりました。情報は理解できているはずなのに、頭に霞がかかったようで、人の表情もうまく読み取れず、会話もできているのかできていないのか、自分でも分からなくなりました。 
そんな状態でも進学は叶い、修士論文を焼き直した形で論文を執筆しましたが、これまた何を書いているのか、何の学術的意義があるのか自分でも分からず、とにかく頭の中にある文章の作り方のセオリーを思い出して、淡々と書いたのを覚えています。ただ、ゼミや研究がとても困難になったので、進学から半年後(9月)に休学しました。 
休学中は小売店でアルバイトをしましたが、そこでも商品名や値段、店員さんの名前などがなんとなく覚えられず、計算も電卓に頼り、人とコミュニケーションをとることが難しいとずっと感じていました。周りの人はとても親切なのに、自分がそれに反応できない感じです。 
この間、夜、訳も無いのに涙が出てきたり、眠れなくて朝まで起きていて、日が出ることやっと寝付くことが多々ありました。ぼんやり死にたい、と思ったことも何度もありますが、実行しようと思ったことはありません。 
絵を描くのが趣味だったのですが、あまり気力がわかずそれもしなくなり、たまに描いたものもデッサンが雑だったり書き込みが荒かったりで、全体的に質が落ちていて満足できませんでした。何もない日は、布団に入って一日ぼーっとしていました。何が辛いわけでもないのに、何かが辛かったのです。大学院をやめようかと思いましたが、研究自体は好きだったので、あまり深く考えずに翌年4月から復学しました。 
復学後もぼんやりした状態が続いていましたが、秋にゼミで研究発表をやることになり、これでダメならもうやめようと、ずっと好きだったけれど研究論文にするには向かないだろう、と思っていた史料を読んでいたのです。すると、その時、急に曇りがとれて、文章が頭に入ってくるようになりました。入試からちょうど一年半ほどたった時でした。論理的な思考能力が帰ってきた、と感じました。この間、病院に行ったことも、服薬したこともありません。 
質問は、この一連の体験が何だったのか、ということです。軽いうつ状態だったのでしょうか。だとすれば、薬を飲まなくても治ったということでしょうか。また、再発することはあるのでしょうか。 

なお、上に述べた症状が現れた時期の私の状況について、次に少し触れます。 
実は、私は大学院在学中、一貫して人間関係のトラブルを抱えていました。思い出したくもないですし、実をいうとこの間の記憶はあまり無いのですが、一学年上の女性の先輩Aを中心としたトラブルです。 
研究室に入った当時、私にとっては、Aは複数いる女性の先輩の一人で、私は他の先輩と同様に接してきたつもりでした。しかし、Aには私が彼女を無視している、もしくはあまり尊敬していないと映ったようです。ある日、一人の同期から「Aが、私から嫌われている、ということを周りに言いふらしている」といったことを色々な人に言っていると聞きました。実際には私は友達も少なく、特に研究室で仲の良い人などいませんでした。 
ところが、Aに好意を寄せていた男性の先輩Bも一緒になり、とにかく私の見えないところで、私の悪口などを盛んに言っていたようです。さらに、Aがいかに優れた人間か、それに対して私がいかに劣っているかを述べ、私に嫌われるといじめられるから関わるな、といったことを、どうも研究室の後輩などに酒の席などで触れて回ったようです。具体的に説明するのは難しいのですが、何となく私の研究の足を引っ張るところがあり、私にとって、このAとBの存在は、とにかく耐え難いストレスでした。(彼女たちについては触れたくもないので詳述しませんが、私の友人はAを境界性パーソナリティ障害だろうと言っており、私もこのサイトを読んで、友人の意見に納得しています) 
ちなみに私が文字を読めなくなった前日には、何の脈絡もなく「あなたのスカートは短い」という趣旨の短いメールがAから送られてきました。それまでメールなどしたことはなかったのに。 
個人的には、上記のぼーっとした出来事のきっかけに、こうした研究室内の人間トラブルがあったのではないかと思っています。 

また、実は私は当時研究についても迷いがありました。修論の内容は、元々やりたかったものではなく、またその内容にも満足してはいませんでした。しかし、この分野のある先生にその内容をいたく褒められ、修正もできないまま(対案を思いつかなかったのです)世に出してしまいました。つまり、当時の私は、研究室内の人間関係と研究そのものについて、葛藤していたのです。 

なお、私は現在、色々ありましたが好きな仕事に携わり、のんびり生きております。

 

林: 解離の一症状です。

現代の公式の診断基準では解離ではなく変換症 conversion disorder という診断名になりますが、実際は解離の一症状です。診断名をめぐるこの事情は【4383】突然目が見えなくなりましたをご参照ください。また、この【4402】は【4383】と本質的には同じ症状であるという点からも【4383】は参考になると思います。

【4402】のメールには、診断の推定のために必要な情報が具体的に詳しく書かれていますので、症状発生のメカニズムを含め、解離という診断は確実であると言うことができます。

以下、メールに書かれている順にそって、その結論に至る道筋をご説明します。

当時、私は大学院の博士前期課程に在籍し、後期課程への進学を目指して研究していました。その進学試験(3月)の、英語の科目を受けていた際に、突然文章が全く理解できなくなったのです。もちろん一文字一文字は分かるし、単語も理解できる。文法も分かっているはずなのに、全く読めなくなりました。

これはメールの冒頭近くの記載ですが、この時点で、解離であることはほぼ確実です。ほかに考えられるものとしては読字に関する高次脳機能障害で、突然発症したとすると、脳血管障害(脳梗塞など)の可能性があります。しかし20代半ばでそのような脳血管障害が発症することはきわめて稀ですから(くも膜下出血は若い年齢でも発症することがありますが、その場合はこのように「字が読めない」という症状で初発することはあり得ません)、やはり解離であることはほぼ確実と言えます。そうだとすれば何らかの心因すなわちストレスがあったと考えられ、「進学試験(3月)の、英語の科目を受けていた際に」という状況からみて、そのストレスは当時在籍していた大学院での出来事であると推定できます。

頭が真っ白になって、文字が滑るような感じです。それから、英語はもとより日本語の文章を読むことも、人の話を理解することも難しくなりました。情報は理解できているはずなのに、頭に霞がかかったようで、人の表情もうまく読み取れず、会話もできているのかできていないのか、自分でも分からなくなりました。

この症状は、解離であるという推定を強く裏付けるものです。すなわちこの時点で解離であることは確定です。

休学中は小売店でアルバイトをしましたが、そこでも商品名や値段、店員さんの名前などがなんとなく覚えられず、計算も電卓に頼り、人とコミュニケーションをとることが難しいとずっと感じていました。周りの人はとても親切なのに、自分がそれに反応できない感じです。

大学院が解離症状の原因だとすれば、休学によって症状が速やかに解消することも考えられましたが、実際にはこのケースでは休学後も症状が続いています。一つには、大学院でのストレスが非常に強かったため、そう容易には回復しなかった可能性、もう一つは、退学でなく休学であったため、また大学院に戻ることが決まっていたわけですから、ストレスから脱することができたとは言えなかったためという可能性が考えられます。

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この間、夜、訳も無いのに涙が出てきたり、眠れなくて朝まで起きていて、日が出ることやっと寝付くことが多々ありました。ぼんやり死にたい、と思ったことも何度もありますが、実行しようと思ったことはありません。

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訳も無いのに」という記述の意味は二通り考えられ、一つは、当時、ご本人にも理由が全く見当がつかなかったという意味。もう一つは、大学院でのストレスが辛かったという認識はあったものの、このとき(涙が出てきた夜)にそのストレスを思い出していたわけではなかったという意味です。上の記述からはそのどちらであるか不明ですが、そのどちらであるにせよ、この時(複数)の涙と大学院でのストレスが結びつくという発想が質問者にはなかったことが読み取れます。それもまた解離の大きな特徴です。すなわち、原因となるストレスそのものが意識されていない、または、意識されていたとしても過小評価されているというのが解離でよく見られる特徴です。

絵を描くのが趣味だったのですが、あまり気力がわかずそれもしなくなり、たまに描いたものもデッサンが雑だったり書き込みが荒かったりで、全体的に質が落ちていて満足できませんでした。何もない日は、布団に入って一日ぼーっとしていました。何が辛いわけでもないのに、何かが辛かったのです。

その「何か」は大学院での何らかの出来事であることは確実です。

すると、その時、急に曇りがとれて、文章が頭に入ってくるようになりました。

解離(変換症)はこのように突然回復することがしばしばあります。

入試からちょうど一年半ほどたった時でした。論理的な思考能力が帰ってきた、と感じました。この間、病院に行ったことも、服薬したこともありません。

解離(変換症)はしばしば自然に回復します。

なお、上に述べた症状が現れた時期の私の状況について、次に少し触れます。 
実は、私は大学院在学中、一貫して人間関係のトラブルを抱えていました。思い出したくもないですし、実をいうとこの間の記憶はあまり無いのですが、一学年上の女性の先輩Aを中心としたトラブルです。

ここまで指摘してきた「大学院での何らかの出来事」が「先輩Aを中心としたトラブル」であることが判明します。

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ちなみに私が文字を読めなくなった前日には、何の脈絡もなく「あなたのスカートは短い」という趣旨の短いメールがAから送られてきました。それまでメールなどしたことはなかったのに。

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それまでもAさんからのストレスが蓄積しており、このメールが最後の一押しとなって解離(変換症)を発症したと考えられます。「考えられます」というより「確定的」です。

個人的には、上記のぼーっとした出来事のきっかけに、こうした研究室内の人間トラブルがあったのではないかと思っています。

その通りだと思います。

また、実は私は当時研究についても迷いがありました。修論の内容は、元々やりたかったものではなく、またその内容にも満足してはいませんでした。しかし、この分野のある先生にその内容をいたく褒められ、修正もできないまま(対案を思いつかなかったのです)世に出してしまいました。つまり、当時の私は、研究室内の人間関係と研究そのものについて、葛藤していたのです。

それが蓄積していたストレスを構成する具体的内容であると判断できます。

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質問は、この一連の体験が何だったのか、ということです。

解離の一症状としての変換症です。

軽いうつ状態だったのでしょうか。

そうとも言えます。(うつ という言葉は非常に広範なものを含んだ非特異的な用語ですので、他のいかなる精神疾患であっても、同時にうつ状態が併存していると表現することができます。したがって真の意味では診断上の意味はありません)

だとすれば、薬を飲まなくても治ったということでしょうか。

解離の一症状としての変換症が、薬を飲まなくても治ったということです。それは珍しいことではありません。

また、再発することはあるのでしょうか。

再発の可能性は高いとは言えませんが、あり得ると言えます。

(2021.10.5.)

05. 10月 2021 by Hayashi
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