【4369】強い心理的ショックを受けてから脳内が一部止まっている?

Q: 私は30代女性です。30歳の親戚についてお伺いします。
彼はもともと軽い発達障害の診断を受けていたらしい(幼少期に傾向あり、大学時代に確定診断とのこと)ですが、身内で話す限りでは特に問題ないように感じました。
ただ、やはりそれによるものか、あるいは7~8年前当時不景気傾向だったのもあり、就職には失敗ししばらくフリーターや期間作業員のようなこと、また彼の家が自営業をしておりその手伝いをしていたようです。
その頃会ったときは、もちろん将来の不安とかはあったようでしたが、まあなんとかなるでしょうという感じでいました。
5年前、強い心理的ショック?というのはこの時のことです。
自分の車(親に譲ってもらった。彼が小さい頃から乗っている思い入れのある車)で、祖母を送迎するつもりだったそうです。
(当時、祖母は足腰が弱っており、そのリハビリでした)ただ、その前日にお酒を飲んでいたこともあり、念のため知り合いに運転を頼んだそうです。
ところが、事件は起きました。
送迎中、その知り合いが運転を誤り、トラックに衝突しました。本人は飛び散ったガラスでけがをした程度でしたが、知り合いと祖母が死亡しました。
葬式にも出席しましたが、やはりショックは大きく、特に突然長年いっしょにいた祖母と愛車を失ったこと、別の人に頼んでいればという後悔から、大人とは思えないほど大泣きしていました。
そして、葬式中に倒れたほどでした。
ただ、1ヵ月後にあった際には、もちろん悲しさに打ちひしがれてはいましたが、それでもなんとか働いていたり、正常な生活をとりもどしつつはあったように思います。
その後、私は縁あってアメリカの本社で仕事をすることになりました。なので、その間のことはあまり知りませんでした。
向こうの仕事は充実していましたが忙しく、自分の親や弟と話すことで精一杯でした。
今年、コロナの影響で、日本に戻って仕事をすることになりました。
2ヶ月前頃、彼に会いました。
まず、当時はある程度仕事をしていましたが、現在はたまに自営業の手伝いをしているくらい出そうです。
ですが、話をしていたらどうも違和感を感じると思い、よく聴いてみると、脳内が自分が25歳、それも事故以前で止まっているようでした。
たとえば、
・私が30歳(現在35歳)だと思っている。
・仕事をしていないことについて問うと、「まあ障害持ちだし30までにゆっくり探せばいいかな」
・おばあちゃんは?と聞いて、激しい状態になるかもと覚悟していたが、普通に「膝が悪いので入院していると思う」(事故の3ヵ月くらい前まで手術で入院していたのは事実。)
(もう片方の祖母のことというのはあり得なくて、というのはもう片方の祖母は彼が幼いころ(20年以上前)に亡くなっている。)
・なんか部屋が突然変わっている気がするんだよねという。
などです。
奇妙なことに、ニュースなどは現実世界にあっている?というとちょっと表現がおかしいかもしれませんが、
・これからアメリカに仕事に行くんだよね。でもコロナで大変だし行けるかなあという。
(私がアメリカに仕事に行く、というのは5年前の記憶ですが、コロナは現在)
・今何日かを問うと馬鹿にしてんのかとは言いつつ何年何月何日と普通に答える(令和になったことも知っている)
と、こういったことに関しては現実と合っています。
また、なぜかそれに関連しない嫌なことについては覚えているようです。たとえば、
・昨日、母親から自分の趣味のものをゴミ扱いされ、ゴミを片づけなさいと言われ、キレてしまい自己嫌悪。
(まあはたから見ればゴミではありますが、昨日言ったというのは事実だそうです。なお、収集癖は昔からのようです。)
・先週のある録画を間違って消してしまった。(その番組は去年からやっている番組)
などです
どうも、ご両親から聞いた話では、その1ヵ月程度は悲しんではいたが理解できる範囲であったが、3ヵ月過ぎたころから言動が怪しくなったそうです。
もちろん、当時発達障害で受診していた精神科には相談したそうですが、
・発達障害者や知的障害を持っている方は、些細なことでもショックを受け心身不安定に陥りやすい。
・特に、今回の件は健常者でもショックであろうことだからショックを受けるのは仕方がない。
・ただ、これは一時的な反応で、長く続くことはないと思う。
との説明でした。
しかし1年ほどたっても改善が見られず、次第に精神科からもフェードアウトしてしまったそうです。

1. 考えられる病名はなんでしょうか。心理的な要因ももちろんですが、あるいは事故の際に脳に損傷を負った可能性もありますでしょうか。
2. 今からでもカウンセリングや投薬で改善の見込みはあるでしょうか。
3. 改善が難しい場合どのように接すればいいでしょうか?

情報不足かもしれませんが、お答えいただければ幸いです

 

林:
1. 考えられる病名はなんでしょうか。心理的な要因ももちろんですが、あるいは事故の際に脳に損傷を負った可能性もありますでしょうか。

選択健忘が最も考えられます。選択健忘は、解離性健忘の一種で、ある期間の出来事の中の一部だけが思い出せないという現象です。このように言葉で説明すると、そんな現象は誰にでもよくあるではないかと感じられると思いますが、選択健忘でいう「一部だけが思い出せない」というのは、たとえば、ある一人の人の存在が思い出せない(実例として【1937】一人の人間の存在だけが記憶にない があります)、ある一人の人についての特定の出来事が思い出せない(実例として【1191】不倫。1000万円の借金。ホストとの同棲。どれも事実らしいのですが、記憶がないのです。があります。)などのように、普通に誰にでもある体験とは全く異なる奇妙ともいえる現象を指しています。そしてこの【1937】、【1191】からも読み取れる通り、本人にとって思い出すことが苦痛な体験にかかわっていることが大部分です。(大部分というよりすべてかもしれません)

また、解離性健忘の中には、ある一定期間についての出来事がすべて思い出せないというものもあり、これは限局健忘といいます。(選択健忘という言葉と限局健忘という言葉はしばしば混乱して使われており、また、区別せずに使われていることもあります)。たとえば、子ども時代のある一定期間のことがすべて思い出せない(【4331】幼少期の記憶がほとんどない など)というのがその典型で、このような場合の多くは虐待に関連しています。すなわち虐待を受けていた期間の記憶が失われているという形です。

この【4369】のケースの記憶障害は、選択健忘と限局健忘の両方の性質をあわせ持ったものであると言えます。いずれにせよこれは解離性健忘で、事故という心理的なストレス=トラウマによると考えるのが妥当です。事故のときに脳への物理的障害が発生したことによるという解釈は不可能でありませんし、そのような解釈を100%否定することは不可能ですが、トラウマが原因である可能性のほうがはるかに高く、このような記憶障害は脳の損傷によって生ずることはないというのが現代医学の常識的な考え方です。

 

2. 今からでもカウンセリングや投薬で改善の見込みはあるでしょうか。

投薬では改善しないでしょう。カウンセリングによって改善する見込みはあります。ただしここでいう「改善」は、「記憶が戻る」ことを指しており、記憶が戻ることがこのケースにとって良いことかどうかは別の話です。彼が現在のような記憶障害に陥ったのは、この事故とそれをめぐる事実を認めることが耐え難く、もしそれを認めれば自分というものが崩壊してしまうからであって(だから故意に認めていないという意味ではありません。無意識のレベルでそうしたメカニズムが作動しているという意味です)、つまり思い出さないことで精神の安定を維持できているわけですから、思い出すことは精神状態を著しく悪化させる可能性が非常に大きいと言えます。したがって、彼の記憶を「改善」させることは、彼の精神状態を「悪化」させるという結果になると、高い確度で予想できます。【1947】うつ病がなかなか治らないのは、過去が関係しているのでしょうか などもご参照ください。

 

3. 改善が難しい場合どのように接すればいいでしょうか?

彼が認識している偽りの過去を、周囲の方々も認める形で接するのがよいでしょう。その接し方は欺瞞であるというのであれば、それはその通りです。欺瞞に支えられた平穏と、真実の暴露による混乱の、どちらを取るかという問題ということになるでしょう。この【4369】は前者の場合にあたると思います。

(2021.9.5.)

05. 9月 2021 by Hayashi
カテゴリー: 発達障害, 精神科Q&A, 解離性障害