精神科Q&A

【1899】2010年のnature誌に、非定型抗精神病薬は古くからの抗精神病薬と効果も副作用も差がないという研究結果が出ていましたが本当でしょうか


Q: 60代男性です。息子が統合失調症で入院し、3ヶ月を過ぎましたが、病識や親や友人への妄想的思いなどの点で回復が思わしくありません。今日は先生に抗精神病薬に関する質問をさせていただきます。 

英国の科学雑誌Natureの2010年11月11日号でCombating schizophreniaという特集が組まれており、記事や論文がいくつか載っています。その中の”The Drug Deadlock”という解説記事によると、米国で2005年までの4年間にわたって大規模な臨床試験が行われ、いわゆる非定型抗精神病薬と第一世代に属するペルフェナジン(PZC)の間に、効果の点でも副作用の点でも差が認められないという、驚くべき結果が得られた、とのことです。私どもが一般向け書籍などから得る知識とはかけ離れた認識が国際的にはなされているのでしょうか? 患者家族にとっては、失望するような結論と思いますが、私どもはやはり(新しい)薬に希望を託していくしかありません。このNature誌の結論について、実際の臨床医の先生はどのような見解をお持ちでしょうか? 調査では、服薬を中断した人が多いようなので、この種の調査の限界と考えるべきでしょうか?
 

林: 最初に私の見解を申し上げます。非定型抗精神病薬は、総合的にみて、定型抗精神病薬よりやや優っているというのが私の見解です。あくまで「やや」優っている、です。

それはさておき、ご質問にお答えしたいと思います。

英国の科学雑誌Natureの11月11日号でCombating schizophreniaという特集が組まれており、記事や論文がいくつか載っています。”The Drug Deadlock”という解説記事によると、米国で2005年までの4年間にわたって大規模な試験が行われ

質問者がお読みになったNature誌の2010年11月11号では、統合失調症が大きく特集されています。Nature誌は、医学雑誌ではなく、科学全般の雑誌、それも世界最高レベルの一流誌で、統合失調症が特集されるというのはまさに異例のことです。”The Drug Deadlock”(文献1)は、その特集の中の解説記事の一つで、抗精神病薬がテーマとなっています。

 この【1899】の質問者は、メールの文面からみて何らかの分野の科学者であると思われますので(掲載にあたってはメールの内容は一部削除するなど改変してあります)、それを考慮して少々詳しく回答することに致します。

この【1899】の質問の中心であるNature誌の文献1の中で紹介されていた論文(文献2)は、CATIE Study (ケイティ・スタディ: Clinical Antipsychotic Trials of Intervention Effectiveness)と名づけられている、非常に有名で信頼性の高い臨床研究の結果を発表する論文です。


1. ケイティ・スタディとは

ケイティ・スタディは、1990年代後半に開始された、史上最大規模の抗精神病薬の臨床研究です。研究費用は実に4100万ドル。しかもそれが、NIH(National Institutes of Health。「米国国立保健研究所」と訳されることが多いのですが、「米国国立医学研究所」のほうが、実体によく合った訳語です。NIHは世界最大の医学研究所で、ケイティ・スタディは、NIHの中のNIMH: National Institute of Mental Healthが主導している研究です) の公的資金でまかなわれているという点に大きな特徴があります。ケイティ・スタディが開始された背景には、統合失調症の治療薬について、ケイティ以前に行われた研究への批判や反省があります。

すなわち、ケイティ以前には、「統合失調症の新しい薬=非定型抗精神病薬は、効果の面でも副作用の面でも、古くからある薬 = 定型抗精神病薬 に優っている」という定説が流布していました。アメリカで最初に非定型抗精神病薬が発売されたのは1993年ですが(リスパダールが最初です)、その前後から、「非定型抗精神病薬は抗精神病薬に優る」という研究結果が大量に発表されていました。これらの研究は、一つ一つを見れば、科学的に妥当なものではあったものの、批判や反省もまた数多くありました。たとえば
a. そもそもの研究の条件が、非定型抗精神病薬に有利に設定されている。
b. 製薬会社が研究資金を出している。
c. 研究の条件設定が、現実の臨床場面とはかけ離れている。

などを挙げることができます。それぞれについて簡単に説明しますと:

a. そもそもの研究の条件が、非定型抗精神病薬に有利に設定されている。
薬の効果を最大にし、副作用を最小にするには、適切な量を用いることが必要なのは当然です。ところが、定型抗精神病薬と非定型抗精神病薬を比較する研究の多くにおいて、定型抗精神病薬の量が少なすぎる設定になっていたり(この場合は効果が不十分なのは当然です)、逆に多すぎる設定になっていたり(この場合は副作用が強く出るのは当然です)していたという状況がありました。これでは公平な評価ができないのは言うまでもありません。

b. 製薬会社が研究資金を出している。
スポンサーが製薬会社。そのため、製薬会社にとって有利な結果ばかりが発表されていたという事態が強く考えられます。非定型抗精神病薬は、定型抗精神病薬に比べて高価で、製薬会社にとっては利益が大きい。したがって、「非定型抗精神病薬は定型抗精神病薬より有効で副作用も少ない」というデータが発表されることが望ましいわけです。だからといってデータを捏造するのは誰が見ても不正行為であり、そのようなことが大々的に行われるとはまず考えられません。けれども、「都合の悪いデータは発表しない」ということは十分に考えられることです。たとえば10の研究を行ったところ、そのうち5つの研究では効果に差はない、あるいは定型抗精神病薬のほうがむしろ優れているという結果が出た。残りの5つの研究では非定型抗精神病薬のほうが優れているという結果が出た。そうなれば当然、後の5つの研究結果が大きく発表されるということは十分に考えられます。前の5つの研究結果は発表されずお蔵入りになるかもしれません。このように、研究費の出資者が薬と利害関係を持っていれば、発表される結果には何らかのバイアスがかかることは避けられないと言えます。(これをpublication bias 出版バイアス といいます)

c. 研究の条件設定が、現実の臨床場面とはかけ離れている。
薬の効果を科学的に厳密に比較するには、厳密な条件設定が必要です。すなわち、それぞれの薬を投与した二つのグループの間に、薬以外の点で違いがあってはなりません。薬の飲み方も同じようにしなければなりません。その他、細かい条件設定が必要ですが、現実の臨床では、そこまで厳密な条件で治療を続けることはほとんど考えられません。したがって、論文の結果は科学的には妥当でも、臨床的には妥当でないという事態がしばしば起こり得ます。

このような背景の下、前述のケイティ・スタディが開始されました。
【1899】の質問者がお読みになったNature誌に紹介されている文献2は、ケイティのフェーズ1 (phase 1: 第1相)についての論文(2005年)です。そして結果は、【1899】の質問者が指摘されている通り、研究に参加した統合失調症患者のうち約74%、つまり四分の三の人が途中で薬を飲むのを中断してしまいました。
中断理由は、「効果がないため」が23% (23/74という意味です)、「副作用のため」が15% (15/74)、「患者の意志による」が30% (30/74)でした。「患者の意志による」とは、自分には薬が必要ないという自己判断もあれば、引越しのため研究に参加できなくなったなど、あらゆる理由が含まれています。

ところで、文献2は2005年の論文です。そして、フェーズ1というからには、フェーズ2、さらにはそれに続くフェーズ3もあるわけです。フェーズ1での中断理由が副作用の場合、中断した患者はフェーズ2の対象となり、フェーズ1とは別の薬を試すことになります。それもまた中断した場合にはフェーズ3に進み、また次の薬を試すという流れになっています。2010年現在、すでにフェーズ3の結果の一部が論文として発表されています。フェーズ2については文献3, 文献4、フェーズ3は、文献5をご参照ください。詳細は省略しますが、フェーズ3まで進み、クロザピンclozapine (日本では制限つきで認可)が他の薬に比べて優れているというデータがはっきり見えて来つつあります。


2. ケイティ・スタディの条件

ケイティ・スタディが現代において最も信頼できる研究であることには一点の疑いもありませんが、いかなる研究も万能でありません。その研究が行われた条件においてのみ信頼できるというのが重要な点です。ケイティ・スタディの条件はいくつもありますが、代表的なものをいくつか挙げてみましょう。


(1) 服薬中断を認めている

前述の通り、ケイティ・スタディでは、四分の三の人が、途中で服薬を中断しています。

調査では、服薬を中断した人が多いようなので、この種の調査の限界と考えるべきでしょうか

これは、「限界」ではなく、実はケイティ・スタディの「条件」です。
そもそもケイティ・スタディは、「何%の人が服薬を中断するか。そして中断理由は何か」を知ることが、当初から研究の主要な目的の一つになっているのです。
 これは、前述の、従来の研究への批判cから生まれています。すなわち、現実の臨床場面では、薬を飲むのを中断してしまう統合失調症の人がたくさん存在します。そういう人を研究の対象から外したら、現実とはかけ離れた結果しか得られない。それが、ケイティ・スタディで服薬中断を認めている、いや、服薬中断率そのものを知ることを主要な目的としていることの理由です。
ですから、自己判断による中断も、ケイティでは認めています。ということは、たとえば
【1897】精神病患者に抗精神病薬の中止を推奨するサイトについて
のサイトを読んで中断することも、
【1533】脳の傷を治療すれば統合失調症は治るのでしょうか
の医師の説を信じて中断することも、ケイティでは認めているのです。このような不合理な理由で服薬中断することもまた、統合失調症の臨床の現実だからです。

しかし、【1899】の質問者のような、統合失調症当事者のご家族の立場からすれば、「中断せずに飲み続けた場合に、どの薬が最善なのか」というデータのほうがはるかに必要性が高いでしょう。ケイティ・スタディからはそのデータを得ることは出来ません。

また、実際の臨床場面に目を向ければ、自己判断による服薬中断は認めず、強力な指導力によって飲ませるべきケースも統合失調症の一部には存在するというのもまた現実です。たとえば
【1171】母親にナイフで切り付け殺人未遂で有罪になった息子
【1861】隣人を包丁で切り付けた知人は統合失調症でしょうか 
などは、重大な被害が出た時点で振り返ってみれば、強力な指導力によって服薬させるべきだったと考えられるでしょう。

すると、
【1845】隣の奥様の妄想がひどくなり、窓ガラスに石を投げられるなどして実質的な被害が出ています 
【1852】統合失調症と思われる人に被害を受けており、警察に相談したところ、「完全には狂っていないから措置入院は無理」と言われました
【1729】娘が恋人に殺されるのではないかと心配です
などについても、強力な指導力によってでも服薬させるという判断があり得るケースと言えるでしょう。また、
【1465】あまりにもひどい部屋で子育てをしている友人
も、お子様達のことを考えればやはり同様です。

これらにおいて、強力な指導力によって飲ませるという決断がなされたとします。そのような場合、ではどの薬が最善かという問いが当然に生まれます。けれどもその答はケイティ・スタディからは決して得られません。
自己判断による服薬中断を認める。これがケイティの条件であり、見方によっては限界ともいえます。

では、副作用で中断するのを認めるのなら合理的でしょうか。薬を飲むのをやめなければならないような副作用が出るのなら、それはよくない薬である。そう考えるのが自然で合理的です。ところが、統合失調症では、そうとは言い切れません。
薬というのはどれも、効果と副作用のバランスを見て、飲む・飲まないを判断するものです。そして、どんな薬にも多かれ少なかれ副作用はあります。ですから、副作用の苦痛よりも、得られる効果のほうが優ると判断されれば、薬を飲み続けることになります。統合失調症で、病識がない、または病識が乏しいケースでは、そもそも病気による苦痛の自覚が薄いわけですから、わずかな副作用が出ただけでも、「副作用の苦痛のほうが効果より大きい」と判断されて、服薬中断となることが十分に考えられます。

こうした問題があることを十分に理解したうえでなお、服薬中断を認めるというのが、ケイティの基本的姿勢です。このように、服薬中断まで含めた現実の臨床場面での薬の効き目を有効性effectivenessといいます。これに対し、より厳密科学的というか、いわば同じ条件できちんと飲んだ場合の薬の効き目を薬効efficacyといいます。
 さて、ここでもう一度文献2の論文のタイトルをご覧ください。Effectiveness of antipsychotic drugs in patients with chronic schizophrenia. です。ケイティは、薬効efficacyの研究ではなく、有効性effectivenessの研究なのです。


(2) 慢性の統合失調症だけが対象になっている

これも論文のタイトルにあります。今一度、文献2をご確認ください。タイトルはEffectiveness of antipsychotic drugs in patients with chronic schizophrenia.です。Chronic、つまり「慢性の」統合失調症患者だけが、ケイティ・スタディの対象です(ケイティで対象としている統合失調症患者の平均罹病期間は14年です)。初発の患者は対象から外れています。この【1899】の息子さんの統合失調症がいつ発症し、どのような経過をたどっているのか不明ですが、

息子が統合失調症で入院し、3ヶ月を過ぎましたが

が、初発して最初の入院経過だとすれば、ケイティの結果は参考にならないということになります。ケイティは初発の患者を対象から外しているからです。


(3) インフォームド・コンセントのバイアス

これはケイティに限ったことではありませんが、精神疾患、特に統合失調症の臨床研究には宿命的な限界があります。それが「インフォームド・コンセントのバイアス」です。すなわち、臨床研究に参加していただくには、インフォームド・コンセントが必須ですが、
【1810】殺人犯に自宅に侵入されひどい嫌がらせを受けています 
【1141】脳コントロールが大々的に行われている
などのケースからインフォームド・コンセントを得ることは到底期待できません。したがって、【1810】や【1141】は研究対象からは外れます。

しかし火急に治療が必要なのはむしろこうした人々です。こうした人々にどの薬が最も適切かについては、いかなる臨床研究からも明らかにすることは出来ません。したがって研究ではなく、臨床医の経験が唯一のデータということになります。
 結局のところ、臨床研究から明らかに出来るのは、「病状が著しく悪くなくて、インフォームド・コンセントを得られる患者」に対する適切な治療法だけということになります。これは統合失調症の臨床研究の宿命的な限界です。


3. クロザピンへの期待

先ほど少しだけ触れましたが、ケイティのフェーズ2、フェーズ3と進むに従って、クロザピンという薬の優秀性がじわじわと明らかになりつつあります。

クロザピンは、顆粒球減少症(顆粒球とは、白血球の一種です)という重大な副作用があることもあって、日本国内では2009年から制限つきで承認されており、万一副作用が出た場合に対処できる大学病院などを中心に使用されています。将来には、クロザピンと同等の効果を持ち、しかし顆粒球減少症の副作用がない新しい薬が開発されることも十分に期待できます。それこそが、「定型抗精神病薬より優れている」と真に言える薬だと思います。
現在の非定型抗精神病薬は第二世代の抗精神病薬と呼ばれています。何十年後かに現代を振り返れば、「第二世代の抗精神病薬は、フライングだった」という評価が下されるのではないかと私は考えています。第一世代とはあまり変わらない、口ほどにもない新薬だったという意味です。
 そして、クロザピンの改良型である第三世代が、歴史的にも評価される新薬になるでしょう。

少し話はそれますが、だから笠原先生の本 (#1) は今も不朽といえるのです。#1は、1998年、つまり非定型抗精神病薬(第二世代の抗精神病薬)が登場して間もなく書かれた本で、非定型抗精神病薬についての記述はごくわずかしかありません。けれども、非定型抗精神病薬登場の前後で、統合失調症の治療の原則や実際は変わっていないので、非定型抗精神病薬についてあまり書かれていなくても、統合失調症の本としては全く問題がないのです。
 他方、統合失調症を取り巻く状況は良い方向にどんどん変わっています。まだまだ不十分ではありますが、かつてと比べれば、統合失調症を支援する社会資源は大幅に整備され、統合失調症という病気の情報も広まりつつあります。私のサイトについていえば、【1805】から【1870】のように、精神科医に質問し、その回答が公開され、何万人もの人がそれをお読みになるという状況が生まれています。ネットの普及前には考えられなかったことです。


4. Nature誌解説記事の主旨

【1899】の質問者がお読みになった解説記事(文献1)の主旨は、非定型は理想の薬ではない、夢の薬ではない、もっと基礎研究が必要である、というものです。そこにはもちろんnatureという科学雑誌のポリシーも含まれています。
 統合失調症の治療は、昔よりは格段に発展しています。しかし理想にはほど遠い状況です。【1805】から【1870】(2010.10.5.)の中にも、悲惨なケースはいくつもあります。現実には、もっと絶望的な事例もたくさんある。そもそも最大限に悲惨なケースについてはメールが来ないでしょう。また、メールをいただいても精神科Q&Aに掲載していないケースの中にも、もちろんもっと悲惨な事例は存在します。逆に、もっと明るい事例もたくさんあります。
 そして、悲惨な暗い事例の中には、偏見や無知が大きく関与しているものもあります。その中には、薬に対する迷信が大きく影響しているものもかなりあります。とすれば、「非定型抗精神病薬は安全で素晴らしい」という誤報も、方便であるという考え方もできるでしょう。一方で、現代の最高の治療を行なってもなお、経過が思わしくないケースもあるわけですから、nature誌の解説記事(文献1)主旨の通り、研究の促進も必要です。その立場からすると、現代の治療法が素晴らしいと強調しすぎることはマイナスになります。

ケイティでは四分の三の人が服薬を中断しています。【1624】服薬をやめたら、「男性とお付合いすれば治る」などと言い出した統合失調症の従妹【1790】統合失調症の姉が、15年飲み続けていた薬をやめたら、とても怒りっぽくなりました【1891】統合失調症の弟の病状が、薬を減らしたら悪くなってきました などの例を挙げるまでもなく、自己判断による服薬中断とそれに続く病状の悪化は、統合失調症での最大の問題の一つです。
 そうしますと、仮に、ある統合失調症の人が「古い定型抗精神病薬は副作用が強いから嫌だけど、新しく副作用の少ない非定型抗精神病薬なら飲む」という考えであれば、それならそれでいいという立場もあり得るということになるでしょう。この人は、「古い薬 = 定型抗精神病薬は、副作用が強いので悪い薬。新しい薬 = 非定型抗精神病薬は、副作用が軽いので良い薬」という誤った情報を信じていることになりますが、そうだとしてもこの人が非定型抗精神病薬なら飲み続けるのであれば、誤った情報でも許されるのではないかという考え方も一理あるところです。

私どもが一般向け書籍などから得る知識とはかけ離れた認識が国際的にはなされているのでしょうか?

一般向け書籍には一般向け書籍として適切なメッセージというものがあります。専門家の科学雑誌であるnatureとは違います。非定型抗精神病薬と定型抗精神病薬に、それほど大きな差はないということは、国際・日本国内を問わず、それなりの精神科医であれば誰もが知っていることです。しかしそのことと、一般向け書籍に求められるメッセージや、診察室での患者さんへの説明に求められるメッセージは異なります。
 先ほどお書きした通り、「昔の薬より格段に副作用が少ない」という偏った情報によって、服薬中断者が減る可能性はかなり大きいといえます。そうなれば膨大な数の統合失調症の人々が救われるでしょう。医療情報というのはこのように、偏りが必ずしも悪いとは限りません。希望を持って適切な治療を受けるためには、必ずしも真実を知る必要はないのです。

但しこの精神科Q&Aでは、その立場は取っていません。悪い情報も、絶望的な情報も、事実である限りすべて回答します。したがって精神科Q&Aは医療相談ではないし、人を助けるためのものでもありません。ただ事実を回答するだけです。絶望的な情報を受け入れない人には、真実は決してわかりません。

最後に二つ追加です。

文献2が発表された同じ年の2005年に、文献2の著者のLieberman教授が来日し、精神薬理学会でケイティ・スタディについて講演しており、その日本語訳が文献6として発表されています。かなり優れた翻訳文です。今回【1899】の回答はケイティについてのごく一部、それも単純化して説明したものにすぎませんので、もしケイティについてさらに知りたいとお考えの場合には、まずは文献6をお読みになることをお勧めします。
 といいたいところですが、それはあまりお勧めしません。ケイティは膨大で複雑な研究であり、非専門家が論文を読んでも、十分に理解できなかったり、かえって誤解されるおそれがあるからです。【1899】の質問者には、むしろ、信頼できる主治医に治療を全面的にお任せすることのほうをお勧めしたいと思います。

もうひとつは、抗精神病薬とカネについてです。
非定型抗精神病薬が発売される1990年以前、全米の抗精神病薬の市場は5億ドルでした。それが、文献2が出版された2005年には140億ドル市場に膨れ上がっています。もちろん、高価な非定型抗精神病薬の処方量が膨大になったためです。
そしてその背景には製薬会社の宣伝活動、特に、「非定型抗精神病薬は、定型抗精神病薬より優れている」という、偏った研究データの矢継ぎ早の発表があります。そして、非定型抗精神病薬が発売された当初は、「確かに非定型抗精神病薬は高価である。しかしこの新しく素晴らしい薬によって、入院患者が退院できるようになり、さらには働けるようになるから、差し引きでは経済的にもプラスである」というようなことが言われていました。
それから約20年がたち、その見通しは誤りであったことが明らかになっています。
すると、製薬会社は非難されるべきでしょうか。
それは各自にお考えいただくとして、これを書いている私は、事実を指摘しているだけで、非難する意図はありません。
 さきほど私は、クロザピンの改良薬としての第三世代抗精神病薬に期待できるとお書きしました。これが現実味のあるものとして期待できるのは、第三世代抗精神病薬を開発すれば、カネになるからです。市場が大きく、利益が見込まれるからこそ、製薬会社は本気で開発するのです。
 もちろん製薬会社は、利益だけのためにしているのではありません。薬の開発者の心には、患者を救おうという意図が根本にあることを私は全く露ほども疑っていません。
 けれども、利益が見込まれなければ、開発はストップします。ないしは遅くなります。心だけでは現実問題を何も解決できないのです。
 それは、抗生物質の開発状況の中に具体化しています。現代では、抗生物質は、開発費に見合っただけの利益が期待できないため、いくつもの製薬会社が開発から撤退するという状況が生まれています。もし抗精神病薬の開発に利益が見込まれなければ、抗生物質を取り巻くのと同じ状況が発生するでしょう。
 【1899】の質問者がお読みになったnature誌の解説記事(文献1)の結びにも、統合失調症は患者数がとても多いこと、したがって抗精神病薬の巨大な市場は、会社にとって非常に魅力的なものであることが指摘されています。
 この現実があって初めて、統合失調症の治療の大きな発展が期待できるのです。統合失調症は、きれいごとを並べていて何とかなるような病気ではありません。


(2010.12.5.)


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