【4000】退院しました。元気です。(【3473】、【3939】のその後)

Q: 林先生、お久しぶりです。【3473】17歳女。父の性的接触を受け入れてしまいます【3939】入院しましたが、父のことは話せていません でご回答を頂いた女性です。20代になりました。

掲載の時期についての先生のご判断に感謝致します。私のプライバシーや身の安全に配慮しての事だったと思います。思い違いでしたらすみません。
それから、【3522】への先生のご回答は私を形作る上で大きな助けになりました。ありがとうございました。

うまく推敲ができず長いメールですみません。この2年、私は新しい友人にも恵まれて幸せでした。

強迫症状やうつが抗うつ剤によって改善に向かったので、入院から1ヶ月ほどで退院することになりました。
退院したくなくて色々と主張をしたように思いますが、生きる気持ちが回復したのは事実でしたし、病院に甘えようというのは無理がありますし、両親への金銭的な負担も心苦しかったので家に帰りました。

母のお腹の子が女の子だとわかったとき、目の前が真っ暗になったのを覚えています。体温が失われて体が自分のものではないように感じました。
両親はそれぞれ別の部屋で寝るようになっていました。

私は退院後月経過多の治療のピルを処方してもらうためにと婦人科へ通い始めました。
なぜそうしたのかよく覚えていませんが、退院して3ヶ月後から父と性交渉を行うようになりました。
無理やりされたわけではなく私が選んだことです。18歳の誕生日は迎えていました。

月に1、2回ほどで父との行為をしていました。
恐怖心はあっても無理やり引っ張られたときのものとは違って、自分の意思でする行為は幸せなものでした。
父に満足してもらうことが私にとっての喜びで、そうしなければ不安で仕方がありませんでした。
幼稚だと思います。

退院後しばらくは、大学病院の外来で診ていただいていました。
父と性交渉をするようになってから私の鬱症状は嘘のように改善して(普段はともかく、診察日は本当に愉快な気持ちでした)、大学病院の先生から別のクリニックへ通院するように勧められました。
全く知らない先生にお願いするのは不安だったので、主治医チームの1人だった先生の所属する精神科病院へ通院することになりました。

入院中の私(また、父に依存し顔色を伺っていた私)は自分の思考回路を、(誘拐や監禁の被害者ではありませんが)ストックホルム症候群に似ていると考えていました。
父を庇い、父の行いを隠すことに必死でした。

入院時から、主治医チームの中の一人の先生には空元気で振る舞ってしまったのですが、もう一人の先生には一番自然に接することができたので、本当のことを話せる気がしていました。思えばただ陽性転移をしていたのかもしれません。

その後(退院から約半年後です)に妹が生まれました。
私はほとんど半狂乱でした。悲しくて不安で泣き叫んだり体がすごく辛くなって倒れたりしました。
そんなのは普通ではないので、どうしても頭のおかしい姉にしか見えなかったと思います。

妹の誕生を喜べないのが父には理解できない様子で(当然ですが)、とても不愉快そうでした。
両親は育児に忙しくなり、私と父との性交渉はほとんど無くなりました。
疎ましく思われているようにも感じました。
父の欲求を満たせない事への不安がどんどん膨れ上がっていきました。

夫婦喧嘩が頻繁に起き、月一度の診察とは噛み合わない不調が続いて、また入院をしたいと思っていた気がします。
妹の泣き声が私の泣き声に聞こえて気が狂いそうな日々でした。

父の関心が、愛が、妹に向いてしまったのが、私には心底耐えられない事だったのだと思います。

妹に何かするつもりならそれは許せないですし、そんなつもりが無いとしても、私は性の対象として見られたのに妹は妹のままで娘として愛されているのはどうしてだろう、と、訳の分からない感情を抱いていました。

お酒と薬をたくさん飲んだり、知らない男性と寝ようとしたこともありました。

あんなに憎めなかった寝ている間の性的接触をひどく恨む、嫌悪する自分がいつからか存在していて、父の関心を求める私、性交渉に積極的な私とはバラバラに動きました。

父が母にきつい態度を取ったり、妹を可愛がったり、そんなときに私は父を愛しているのも忘れて、死んで欲しいと思うような怒りを感じました。
いつもの自分とは違う、父を恨む自分がいました。
そういうときに暴れたのだと思います。
私は私が全く記憶しないところで父に怒りの感情をぶつけていたそうです。

こういった激しい怒りのエピソードを話しているといつからかレクサプロは処方されなくなり、漢方薬の処方を受けるようになりました。

妹が9ヶ月の頃、警察署に行って、自ら父と性交渉をしたということも含めて、何もかもを話しました。
そうしたら翌日父が事情聴取されて、でも寝ている間の接触も性交渉もやっていないと主張したそうで、証拠もないのでそれで終わりでした。

このときの記憶が曖昧で、父に聞いて少しずつ思い出したのですが、当時は自分で警察へ行ったのを覚えておらず、事情聴取されたと聞いて混乱しました。

電話の向こうの警察の方は、私を嘘つきだと言いました。
父によれば携帯を出すように言われ、私と父との恋人のような、また日頃の仲の良好なことが分かるやりとりを見られたのだそうです。

私は自分の意思で性交渉に及んだ、ずっと父との行為を喜んでいた、その記録を見たのですから、警察の方が私を虚言癖の色情狂だと思うのも無理はありません。ただ迷惑をかけただけでした。
ドラマのようなきつい取り調べが、仲がいいんだねと言われて最後は談笑のようになっていたと父は言いました。

アルバイトが終わった夜、父が迎えの車をコンビニに停めた中でその話を聞きました。
「俺の愛情が足りなかったんだね」と優しい父でしたが、「A子が望むなら触ったことを認める」と言うので「そうしてほしい」と言ったら凄く怒られました。
結果的に開放されたものの、まるで自分が性的虐待をしたかのように警察に責められてとても嫌だったのだそうです。もう十分だろう、これ以上何の罰を受ければいいんだと。

私はある日のことを思い出していました。
はっきり思い出せませんが、今から2年くらい前ごろだと思います。
夜中の激しい夫婦喧嘩に耐えきれず、私は母もいる前で「私が寝てるとき触ったくせに、(母に)偉そうなこと言わないでよ」と叫びました。

母にどういう事かと聞かれて、このとき自ら性交渉に及んだことは言えませんでしたが、眠っている間に父に触られたこと、性的な関係を持ちたいと言われたことがあることを話しました。

父は怒って、もの凄い大声で怒鳴りながら否定しました。
「どうしてそんなことを言い出すのか」「そんなことはやっていない」「もし触ったとしたら酔って母親と間違えたときで、そんなことは俺も覚えていない」「やった記憶のないことを言われても訳がわからない」と。
うまく表現できませんが人を殺めてもおかしくないような激しい怒りでした。

私はとても恐ろしくなってしまって、今のは全部嘘だと言いました。
人と付き合った事がないからちょっとしたハグで寝ぼけて性的な接触をされたように勘違いをした、離婚してほしくて虚偽の告発をしたと説明しました。

母はそんな弁明を疑っていましたが、夫が娘に猥褻をしたなんて元々信じられる話ではないので、どうにか納得してくれました。

このときのことを父に聞くと「A子にしたことはちゃんと覚えてるよ、でもあの時それを認めたら家族がバラバラになってたんだよ」と言いました。

帰ってからも眠れなくて、包丁を持って父の寝室に入りましたが何もしませんでした。

「また何かお父さんにされたら連絡して。嘘をついてるんじゃなければね」
私は過ちを犯すべきではなかったと思います。

「自分から誘ってしまうと聞いたけれど、そういう子もいるから自分を責めないでね」と支援団体の方がおっしゃってくださいました。
でも当時の私はショックを受けていて、もうこれ以上誰かに助けを求めようと思えませんでした。

腹部や脚の付け根をカミソリで切る自傷行為をその頃していました。
「かゆくて掻き壊してしまった」と嘘をつくために引っ掻くような傷をつけて消毒もしていました。
嘘に気づいていた父は悲しそうな顔で私を慰めて、なるべくしないで欲しいと言いました。

父はあまり夫婦喧嘩をしなくなりました。
意識して目をかけてとても優しくしてくれて、頻繁に求めてくれるようになりました。
馬鹿らしい話ですが、私にとってそれはようやく訪れた平穏でした。
ロラゼパムをあまり必要としなくなり、自傷も段々減っていきました。
「病院へ行かなくても2人でこうしていれば良い」と言われて、病院を離れる不安を持ちながら、確かにそうだと思うようになりました。

主治医の先生に、警察に行ったこと、今まで父との間にあったことを何もかも全部話しました。

私はいつも要領を得ずに長く話をしてしまう患者で、一番最後に診てもらっていました。
あなたにはカウンセリングの方が向いているとおっしゃった事もありました。
迷惑で申し訳ないことをしたと思います。

主治医の先生はこれ以上自分を責めないようにとおっしゃいましたが、私には合わせる顔がなくて、それから私は診察の予約を入れなくなってしまいました。

林先生、【3939】で前進しているとおっしゃってくださったのに、良いご報告ができずに申し訳ありません。
でも弱かった私と哀れな父を俯瞰することができる限り、私はもっと成長しながら生きていけると思います。

父はどうも病的酩酊のような気がします。
たくさん飲んでしまった日、酔ってトイレ以外のところで平気で用を足そうとしたり、静かな部屋でうるさいと言ったり、突然怒鳴ったり、普段とかけ離れた乱暴な行動をしてもそれらの記憶がありません。
昔、泥酔してスーツのまま海に入って目が覚めたら自室でずぶ濡れで倒れていたことがあるそうです。

一滴も飲まないでほしいですがせめて減らせればと思いアルコールと認知症のリスクについて話したら飲み過ぎることはなくなりました。
父は暴力的なアルコール依存の父親のもとに生まれたそうで、大変な苦労をしてきたのだろうと思います。
年上の男から性被害に遭ったこともあるそうです。
でも私は私の人生を生きなければいけません。

まだ何も変えられていませんが、私ももう大人ですから、一人でも生きられるようになろうと思います。
妹が困ったときに助けてあげられるような人間でなくてはいけないと思います。

ニュースで数々の無罪判決を見ます。
有罪になっても被害者の方にとってその刑は軽微なもので、されたことは消えません。
誰にも言えずに被害を受けている方、命を絶ってしまった方、今は加害者から離れていても、辛さを抱えながら生きている方も数多くいるでしょう。

亡くなった私の叔母も性的暴行の被害者でした。
私と同じように性被害に遭った方、また父も含めて、虐待を受けた方の心安らかに過ごせる時間が、これから少しでも多くあることを、私は願わずにはいられません。

林先生、重ね重ねご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。ありがとうございました。
どうかお元気でいてください。

 

林: 経過のご報告をいただきありがとうございました。

林先生、【3939】で前進しているとおっしゃってくださったのに、良いご報告ができずに申し訳ありません。

いえ、今回もまた、前進されていると思います。このメールのように、つらかったことを振り返ることができることが、それ自体、大きな前進です。
そして、振り返ることは、さらなる前進に向けて必ず通らなければならないステップです。
前進を続けられることを願っています。

(2020.3.5.)

05. 3月 2020 by Hayashi
カテゴリー: 性に関する問題, 精神科Q&A, 虐待