【3972】子ども時代に性的な被害にあったのに風俗嬢をしています
Q: 20代後半の女です。
高校生の時に両親が離婚し、妹2人と私は母親に引き取られました。
20歳の頃に独立し、今は猫を飼いながら彼氏と同棲しています。
私には、小学1年生から卒業までの6年間の記憶がほぼありません。
仲が良かった子、担任の先生の顔、修学旅行の思い出など、大きな出来事も覚えていません。
アルバムを見ても、へぇこんな写真いつ撮ったんだろ?隣の子は誰だろ?こんな人がいたのか、というあっさりとした認識のみです。
当時は母親から虐待を受けていて、児童相談所に一時保護されては帰宅することを繰り返していたので、それが原因なのかも知れません。
一時保護されていたから物理的に関わりやイベントがなく記憶が無いのか、それとも脳が削除しているのか、どちらかなのかは分かりませんが。
18歳の頃、子供用のシェルター?に入所する事になり、初めてカウンセリングを受診した事で、父親からの性的虐待を思い出しました。といっても、服の上から体を触られたり、下着に手を入れられたり、断っても風呂に入ってくる、くらいの軽いものです。
母親からは「知ってたよ」とだけ言われました。
学生時代はよく痴漢にあったり、知人程度の間柄の人に性的な行為を強要されたり、強姦未遂など、そういう事が時々あったので、思い出した時も他人のアルバムをめくったような「ふぅんそんなのあったんだ」程度の認識でした。
本題なのですが、私は今風俗店で働いています。風俗嬢です。
性的な被害にあったのに、性的なことをする場所で働いています。
これはおかしい事なのでしょうか?
打ち明ける機会のあった男性から「そういう事があったら普通は嫌悪するはず、そういう仕事が出来るお前は本当はそんな被害にあった事ないだろう」と言われました。彼氏ではない人です。
私は、男性が怖いと思うことはたくさんありましたし、たくさんありますが、恐怖症というほどではないと思いますし、お金のためとはいえそういう事が不特定多数と出来る人間で、ある程度の固定客もいます。
こういう会話をしたら喜ぶんだな、こういうキャラクターの女の子が好かれるんだな、という感じで、恋愛ゲームをしているような、誰かを演じているような、作り出したキャラクターが勝手に動き出すような、それがとても楽しいと思ってお仕事しています。
けど普通の人は、性的な被害にあったら嫌になるのが当たり前ですよね。
私はおかしいのでしょうか?普通では無いことはとても怖いです。
父親からの性的虐待は、私の作り出した偽物の記憶でしょうか?でも母親に知ってたと言われたので、本当にあった事だと思います。
心療内科に通ってはいますが、風俗店で働いていることや、父親からの性的な被害の記憶については、主治医に話せていません。
匿名だからこうしてメールが送れています。
私の主観のみなので病気だとは言えないでしょうが「性的な被害にあったのに風俗店で働くことはおかしいのか、私は普通ではない事例なのか」ということだけ教えて頂きたいと思います。
林: それは「普通」とまでは言えませんが、「普通ではない」とも言えません。つまり、比較的よくある事例です。
性的な被害にあったのに、性的なことをする場所で働いています。
これはおかしい事なのでしょうか?
打ち明ける機会のあった男性から「そういう事があったら普通は嫌悪するはず、そういう仕事が出来るお前は本当はそんな被害にあった事ないだろう」と言われました。
抽象的に理屈だけで考えるとその通りですが(「そういう事があったら普通は嫌悪するはず」ですが)、実際には、嫌悪するケースも確かにあるものの、むしろ性的に放縦なケースもかなりあります。
その理由は不明です。
不明ですが、理論的には次の二つが考えられます。
(1) 性的被害にあったことが、性的行動を促進した。(つまり、現在、性的に積極的なのは、性的被害が原因)
(2) そもそも性的被害にあったのは、性的行動が活発な素因が外観にも現れていて、被害にあいやすかった。(つまり、現在、性的に積極的なのは元々の素因によるもので、性的被害が原因ではない。逆に、元々の素因が性的被害の原因)
どちらも被害者本人にとっては不愉快な推定かもしれませんが、現にこの【3972】のようなケースが存在する以上、(1)(2)の可能性を推定するのは合理的なことです。性的被害が原因であるとするのが(1)で、結果であるとするのが(2)です。なお、(3) 性的被害と現在の状態は無関係で、全くの偶然による並存。 とみるのも論理的には考えられますが、実際には性的被害を受けた方の中の性行動が積極的な方の割合は一般人口より高いという印象があり(印象レベルですが)、すると(1)(2)のいずれかの可能性が高いと推定できることになります。
なお、(1)(2)については「被害者本人にとっては不愉快な推定」と言いましたが、不愉快であれ何であれ、事実は事実です。そして、事実を抑え込むことは、どこかで本人にとっても不都合が発生するものです。たとえば、
「そういう事があったら普通は嫌悪するはず、そういう仕事が出来るお前は本当はそんな被害にあった事ないだろう」と言われました。
このような推定が発生するのはごく自然ですが、もし事実から目をそらしてこのような抽象的な推定を正しいと認めてしまうと、性的被害にあったという最も重要な事項が闇に葬られ、本人はさらに深く苦しむことになります。
(2020.1.5.)