【3959】日常生活に支障のない恐怖症は精神医療の対象になりますか
Q: 20代後半の女性です。
先生のホームページは、以前うつ病で悩んでいたときから参考にさせていただいています。そちらの方は今では何とか落ち着き、本日は子供の頃から悩んでいる別の症状についてご相談いたします。
私は元々おとなしい子供でしたが、友達はそれなりにいて、対人関係に大きな支障はありませんでした。ところが小学4年生頃から、「友達と二人きりになると、急に緊張して何を話したらいいか分からなくなる」ということが出てきました。
はじめはたまに感じる程度でしたが、徐々に頻度が増え、中学生になってからは家族以外のほぼ全ての人に感じるようになりました。
教室で軽い雑談はできる相手でも、下校時などに長く二人きりになると途端にうまく話せなくなり、そんなときは体のこわばりや強い動悸がすることもあります。
自分も気まずいですが、何より相手を退屈させるのが申し訳なく、次第に人と二人きりになることを避けるようになりました。
仲良くなれた子から遊びに誘われたら、3回くらいまでは嘘の理由を言って断りますが、さすがにそれ以上は断りきれずに二人で出掛けると、やはりうまく話せず、沈黙が続いてしまいます。
これが三人以上だとあまり緊張せず、楽しく会話することができるので、人から誘われたら「◯◯ちゃんも誘おう」などと言って、三人以上で会うようにしていました。
しかし、いつまでも甘えてはいられないので、特に大学生になってバイトを始めてからは自分なりに努力し、長時間でなければ表面上は普通に話せるようになりました。
最近知り合った方は、私が会話に苦手意識があるなんて気付いていないと思います。
ですが、心の中の恐怖は変わりません。話が盛り上がっても、「よかった、うまく話せている」「でも次は何を話そう」などと考えてしまい、楽しいと思う余裕などありません。
嘘をついて誘いを断る、帰り道同じ路線の人がいたら、遠回りでも違うルートで帰るなど、回避行動も相変わらずです。
いつからか、家族でさえも、二人きりになると「何を話そう」と緊張するようになりました。
しかし、家族とは離れて暮らしているのでそう頻繁に会うことはなく、会社の方とも長時間二人きりにはなりません。友達は、グループであれば良好な関係を築けます。
ただ恋人関係だけは、二人きりで長時間過ごすことが必要になります。私が一番苦手なことなので、中学生の頃から恋愛や結婚は一生できないだろうと諦め、さみしいけれど仕方がないと思っていたのですが、最近友達が次々と結婚していくなか、私も一生に一度でいいから誰かと心を通わせてみたいという欲が出てきてしまいました。
ここまで長くなって申し訳ございません。お聞きしたいのは、私のようなケースは精神医療の対象になるのか、ということです。
私の問題は、実際の会話力の無さももちろんありますが、それ以上に「人と二人きり」という状況に対する、不合理とも言える恐怖ではないかと思います。
帰りのルートを変えてまでそういった状況を避けたり、ひどい動悸がしたりというのは、通常の苦手意識の範囲を超えていて、「恐怖症」というレベルなのではないかと自分では思っています。
ただ、私はそのせいで日常生活に支障を来しているわけではありません。なるべく一人で過ごし、避けられない状況では、恐怖を隠して表面上は楽しげに会話をする。
このようにして社会に適応してきました。
そんな私が精神科の診察なりカウンセリングなりを受けようとするのは、しかもその理由が人並みに恋愛してみたいからだというのは、切実に悩みながらも、やっぱりおかしいのかなという気がします。自分が孤独に耐えれば済むことだからです。
また、少し話は変わりますが、私は自分の容姿が人に不快感を与えないかという恐怖も抱いています。
ただ、醜形恐怖症と違うのは、周りの方に容姿を褒めていただくこともそれなりにあることから、「実際には自分は人並みかそれ以上の容姿なのだろう」と、頭のどこかで理解していることです(自惚れていてすみません)。
それなのに、人から見られると、「今私のことを醜いと思っているのではないか」などと考えて、不安な気持ちになります。
醜形恐怖症に当てはまらないこの恐怖感についても、どう捉え、対処したらよいものか、考えあぐねています。
身近なところでは高所恐怖症など、何かしらの恐怖症を抱えている方も多い中、精神医療の対象になるのはどのような場合なのでしょうか。ご教示いただけましたら幸いです。
このような長い文章を最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。
林:
ただ、私はそのせいで日常生活に支障を来しているわけではありません。
日常生活に支障がない場合、それでも治療が必要かどうかは一概には答えられない問題です。
第一に、「日常生活に支障がない」と本人は思っていても、客観的には大いに支障がある場合があります。
また、今は支障がなくても、治療しなければ悪化していくことがほぼ確実で、今のうちに治療を開始したほうがよいという場合もあります。
この【3959】のケースが上の二つのどちらかにあたるかあたらないか、厳密には不明ですが、一応ここでは あたらない すなわち、今は本当に日常生活に支障はないし、放置しても悪化するおそれは乏しい と仮定してみます。
すると、
なるべく一人で過ごし、避けられない状況では、恐怖を隠して表面上は楽しげに会話をする。
このようにして社会に適応してきました。
この自己努力による適応が、本人にとって満足できるものであるかどうかが、治療の要否の鍵になります。つまり、質問者が、現状に満足しているのであれば、特に治療の必要はないでしょう。
但しこの回答は、精神科での治療や他機関でのカウンセリングを試みることを引き止めるものではありません。うつ病の既往があることや、現在、他の症状もあること、そして現在の対処法が今後のプライベートな対人関係や会社の環境において、破綻なく続けられるかどうかは微妙であることは、むしろ治療・カウンセリングを推奨する根拠になるでしょう。
(2020.1.5.)