【3933】コンサータの安易な処方がこの世からなくなることを願います
Q: 30代女性です。
先日は、偶然に先生の【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある に対するご回答を拝見し、はじめて患者の声に真摯に答えてくださるDrに出会えた気がしました。とても救われる思いでした。
私もコンサータを内服しております。
医療機関に勤務しておりますが、社会人数年目ではじめて、職場で関わったある発達障害の専門医に、普段の喋り方や仕事の段取りが悪い、ミスが多いことなどからADHDと診断されました(WAIS?等の検査は受けておりませんが、そのDrは確信されていましたのできっとそうなのでしょう)。
診断後すぐに、「離脱症状のない薬である」「内服して本来の自分になること、それにより二次障害を予防することはとても大切で、成人であるあなたの人生にもこの薬は役立つ」「業務に支障が出ているので迷わず試してみて欲しい」「あなたは自己評価が低いけれど、それが解決するかもしれない」とICを受け、コンサータ内服を開始しました。
薬の効果は劇的にありました。しかし、日々自分というものの在り処について苦しむ日々が始まりました。喜怒哀楽が毎日不連続で、薬効が切れかけると高確率で抑鬱があらわれました。これを飲んでいるお子さんはさぞ苦しいだろう……と想像しました。
自分に自信が持てるようになったのか? ときかれても、自分とは何なのかがわからなくなりました、としか答えようがありません。
眠剤が身体に合わないため質問者のように薬が切れている間を眠って過ごすこともできず、地獄のようでした。
主治医を変更して、現在は頓服という形に内服を減らしましたが、まだそれでも自己同一性のゆらぎは消えません。仕事は比較的出来るようになりましたが、自分の魂とはなんだろうとよく思い悩みます。
なによりそれを理解してくれる医療者が誰もいないということが苦しい気持ちを増していました。
先生のQ&Aを色々と拝見して、患者の質問をしっかりと受け止めて下さるDrもいるのだという事実に、救われる思いでした。
コンサータの安易な処方がこの世からなくなることを願います。
林:
社会人数年目ではじめて、職場で関わったある発達障害の専門医に、普段の喋り方や仕事の段取りが悪い、ミスが多いことなどからADHDと診断されました
このように、社会に出てから発達障害やADHDの症状が顕在化し(社会に出てから「発症」したという意味ではなく、それまでは症状があっても適応できていたが、社会に出て、役割が増すことによって、症状による問題が顕在化したという意味です)、その時点で初めて診断されるのはよくあることです。【3297】就職してからはっきり認識するようになった自分の異常性は、何らかの障害を示唆するものなのか などもご参照ください。
問題は、ではどうするか、ということで、何らかの対応は必要であるとまでは言えますが、薬による治療が必要かどうかについては慎重に判断する必要があります。
この【3933】のケースを診断した医師からの、コンサータについての説明は、一部は正しく、一部は疑問です(「疑問」というのは、だからといって直ちに「誤り」とまでは言えませんが)。
「あなたは自己評価が低いけれど、それが解決するかもしれない」
これは正しいです。
「業務に支障が出ているので迷わず試してみて欲しい」
「業務に支障が出ている」のはおそらく事実でしょう。しかしそれが事実だとしても、そこから直ちに「迷わず試す」のが正しいとは限りません。ここは、その具体的な支障の程度などをもとに慎重に考える必要があります。
「内服して本来の自分になること、それにより二次障害を予防することはとても大切で、成人であるあなたの人生にもこの薬は役立つ」
「二次障害を予防することはとても大切で、成人であるあなたの人生にもこの薬は役立つ」は正しいです。しかし、【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある の質問と回答の通り、コンサータを内服することで変化した精神状態を「本来の自分」と考えるかどうかは非常に難しい問題です。
薬の効果は劇的にありました。
単純には喜ぶべきことです。しかしそう単純にはいかないというのが、【3868】の、そしてこの【3933】で示されている問題です。
喜怒哀楽が毎日不連続で、薬効が切れかけると高確率で抑鬱があらわれました。
これは広い意味での副作用あるいは離脱症状とみることができ、これはこれとして小さくない問題ですが、真の問題は別のところにあります。
すなわち、
しかし、日々自分というものの在り処について苦しむ日々が始まりました。
この問題、すなわち、【3868】と共通する、「自己とは何か」という苦悩の発生が、最大の問題です。
自分に自信が持てるようになったのか? ときかれても、自分とは何なのかがわからなくなりました、としか答えようがありません。
この苦しみは、おそらく本当の意味では、当事者にしかわからない質のものだと思います。
コンサータの安易な処方がこの世からなくなることを願います。
その願いには100%同意します。
但し、何をもって「安易」と判定するかは、容易ではありません。
たとえばこの【3933】についても、文面からは「安易な処方」がなされたと読めますが、このメールに書かれていない客観的な情報によっては、決して安易ではないという判断に傾く可能性も否定できません。精神科の治療とはそのように、主観的な治療の必要性の判断と、客観的な治療の必要性の判断が一致しないことがしばしばあります。このとき、抽象的に考えれば、どこまでも本人の意思を尊重すべきだということになりますが、抽象を離れ現実に目を向ければ必ずしもそうはいかないことは、精神科Q&Aの多くの実例から読み取れると思います。
(2019.12.5.)