【3844】ADHD とうつ病であるというのは嘘ではないか
Q: 私は20代女性です。20代女性の知人(A)について質問したいことがあります。
Aは大学の研究室の同期です。Aの行動に迷惑しています。
話し合って決めたことが自分の意思に反するものであると、自分が納得のいくかたちになるまで、何度も話し合いをしようとしてきます。周りが折れるまで自己を主張し、時には教授に「みんなに仲間はずれにされてる。いじめられている」と泣きついて事を大きくすることもあります。
気に入らない人間がいると、その人の研究にいちゃもんをつけたりその人の人格を否定するようなことを言います。周りが止めてもやめません。どうしようもなくなって相手が黙りこむと、Aは「勝った」と誇らしげに言います。Aにターゲットにされ、来なくなった学生もいます。何度もしつこく攻撃するため、研究室のメンバーはAの顔色ばかり窺い、研究室はまるでAの城のようです。
またAは失恋して研究室に3週間姿を見せないことがあったのですが、「失恋してうつ病になり学校に行けなくなった」と言っていました。しかしAは研究室を休んでいた期間、SNSで学外の友人らと飲み会をしていた写真をいくつか上げていました。Aが休んでいた期間にAが発表する大事な大会があったのですが、それでもAはうつ病になって研究室に行けないといい、来ませんでした。
Aはよく「私はADHDだから」と言います。他人に対して感情的で攻撃的になってしまうのも本人いわくADHDだからだそうです。
ADHDだとAのような行動に出るのですか?ADHDといえば、遅刻をする、マルチタスクができない、片付けられないというのを聞いたことはありますが、Aは遅刻をしないし(むしろ誰よりも早く着いている)マルチタスクにも問題はないようにみえます。部屋は汚いようです。また、Aはうつ病なのですか?
林: 本人は病気であると主張している。だが周囲からみると病気とは思えず、ただの自己中心的な人に見える。そして病気というのは嘘ではないかという疑いが生まれる。
これは現代の日本の職場では非常によく見られるパターンです。この【3844】もその典型的な例であると言えるでしょう。質問者のメールのタイトルは「ADHD とうつ病であるというのは嘘ではないか」という疑問文の形ですが、メール本文からは質問者の怒りさえ伝わってきます。これもまた非常によく見られるパターンです。
さて、ではこの【3844】のAさんの病気は詐病(本当は病気でない)でしょうか。それはメールだけの情報からは決してわかりません。質問者が見ているのはAさんの一面に限られており、さらに言えば、質問者はAさんの病気は嘘ではないかと強く疑っている以上、質問者からの情報には(つまりこのメールの記述には)偏りがかなりあると思われるからです。
けれども、この【3844】のケースのような場合、真の問題は、病気が嘘かどうかではありません。現に質問者や職場(ここでは研究室)の人たちがAさんの言動に大いに迷惑しているということが真の問題であって、それはAさんが病気かどうかということとは別の次元にある問題です。
もしAさんが本当に病気だとすれば、それはそれでAさんに同情すべき点はありますし、病気の人に対するいたわりは必要です。しかしだからといって、Aさんの主張を周囲が無制限に受け入れなければならないということにはなりません。迷惑は迷惑として、不条理は不条理として、その事実は否定せず、必要ならAさんに改善を促し、職場として受け入れられないことは受け入れられないと明確にするべきです。
Aさんのような言動を、病気だから仕方ないとして限度なく受け入れることは、逆に病気の人に対する拒否や嫌悪感に繋がり、こんな人の言動を病気だからといって受け入れなければならないのだとしたら、病気の人を職場に迎えるのは強く拒絶するという姿勢が生まれるのはごく自然です。
Aが休んでいた期間にAが発表する大事な大会があったのですが、それでもAはうつ病になって研究室に行けないといい、来ませんでした。
Aはよく「私はADHDだから」と言います。他人に対して感情的で攻撃的になってしまうのも本人いわくADHDだからだそうです。
このような事実があるとき、周囲の人が第一に考えるべきことは、
ADHDだとAのような行動に出るのですか?
Aはうつ病なのですか?
というような疑問文ではなく、病気であるとして、ではどこまでが受け入られるか、ということです。病気を万能の免罪符として認めることは、決して病気の人のためにもなりません。
なお、うつ病でないのにうつ病である主張することをめぐる問題を私は 擬態うつ病 として2000年に出版しました。以後、精神科Q&Aの擬態うつ病 にこの問題についての実例は多数ありますのでご参照ください。
(2019.7.5.)