【3313】弟は発達障害のようなのですが、本人が困っていないので困っています
Q: 自分は20代男性です。相談したいのは4歳下の弟(20代)についてです。
先日テレビを見ていて、発達障害というものを知り、弟は発達障害じゃないかと思い至りました。弟も一緒に観ていたのですが自分がそうかもとは全く思わなかったということでした。後日発達障害について書籍で調べ、ますます弟は発達障害じゃないかという思いが強まったので、兄としてはおまえは発達障害なんじゃないかと思うと伝えると、弟は「ふうん、そうなの」という位の反応で、「何か困ってることある?」と聞いたら「特にない」という返事でした。本で調べたところ発達障害の人は困っていることがわからない
場合もあるということだったので、それも本に書いてあった方法で、「幸せの度合いは10段階でいくらか」という質問もしてみました。最大の幸せを10として、弟が自分で感じる幸せは9という答え(満点でない理由はニヤニヤして教えてくれませんでしたが、そのうち満点になると自信満々で言っています)で、予想はしていたもののぜんぜん困っていない風でした。
本人が困っていないというのだから、病院へ連れて行く理由もなく、従って診断も受けていないのですが、兄としては弟について困っています。以下に小さいころから今までの弟の様子を書きます。
弟は小さい頃から少し変わった子供でした。人見知りがひどくて、他人と目が合うと床にゴンゴン頭を打ち付けて泣いたり、靴や靴下が嫌で履けず、そのせいで幼稚園をかわったり、小学校でも学校指定の運動靴や上履きを嫌がって履けなくて、母親が「靴の代わりにサンダルを履かせてほしい」と要望し学校側と母とで大バトルになったり、後々まで家庭内で語り継がれるさまざまな出来事がありました。結局弟は小学校一年生を終わらないうちに不登校になって、学校の先生や親戚からは「○○くん(弟)はふつうの子と違う。精神科で見てもらった方がいいのではないか」という助言があったみたいですが、母は「普通の子と違うからといって病院に行く必要はない」とつっぱねたらしいです。「学校が普通の子しか受け入れてくれないなら、普通に合せるのが苦しい子供の居場所は自分で作る。」というのが母の言で、母が中心となり不登校の子供が集まる居場所(フリースペースと呼ばれていました)を立ちあげて運営し、弟はそこで義務教育期間を過ごしました。
その頃の弟は人見知りやはげしい癇癪もなくなって、まあまあ穏やかで気さくな感じになっており、フリースペースに集まる子供たちや保護者と打ち解けているようでした。妙な感性の絵を描くので一目おかれたりもしていました。とはいってもやっぱり靴や靴下は履かないし、髪の毛は伸ばし放題(人に髪の毛を切られるのが嫌)、夏だろうが冬だろうが一年中Tシャツにスウェット素材のズボン、しかもボロボロになるまで着倒すため見た目はかなり変でした。
フリースペース主催の合宿で隣の県に宿泊している時、寝ているはずの夜中に宿泊施設から忽然と姿を消し、大騒ぎになったこともありました。なんと40キロの道のりを夜通し歩いて家まで帰って来て、その帰って来た理由が「飼い犬の散歩のため」でありました。そういう事があるので、外泊の時には「家事はしなくていいから」と念押しして言っておかなければなりませんでした。その他にも普通の会話では能弁なのに電話だと会話できなかったり(冷や汗をかいてしどろもどろになる)、論文を読み上げるような喋り方だったり、いきなり笑いだしたり(なんで笑ったか聞くとたいてい思い出し笑い)熱があっても普通にしているなど摩訶不思議なところが多いです。学力の方はいまいちよくわかりません。試験やテストみたいなものはフリースペースには無かったからです。日常の読み書き計算は普通にできています。
本を読むのは好きで、難しい内容も整理して筋道を立てて話す事ができるので、特別知能が低いということはなさそうに見えます。
こうして書いてみると弟は相当変わっているのですが、母が変わっていることを問題視しなかったことと、周囲の人が親切で寛容な人達ばかりだったことで、弟が変わっていることはあまり問題にはなりませんでした。そうしてそのまま変わった大人に成長しました。
数年前に母が亡くなりましたが、生前の母が築いた親切で寛容な人達との繋がりのおかげで、フリースペースの運営の手伝いを持ちかけてもらったり、デザインの仕事をしている人が弟のイラストを仕事として使ってくれたり、会社を経営している人がアルバイトにさそってくれたり、なんだかんだとやっていけています。自分は弟と一緒に家事などすると、まじめなのはいいもののあまりの段取りの悪さと融通の利かなさにうんざりすることがしばしばありますので仕事を任せてくれる人達の寛容さには恐れ入ります。弟が「困ってない」というのは今こういう状況だからだと思うんですが、もともと人と関わることへの欲求が弱いと言うか他人への興味が薄い弟は、亡くなった母や兄である自分が仲介役をしなければ、親切な人達とも簡単に関わりを無くしてしまいそうです。そうなったらすぐに困ることになると思うんですが・・・。
テレビに出ていた発達障害の人はうまく社会に適応できないことで大変苦しんでおられる様子だったので、今弟がそうじゃないことはよかったと思うべきなのかも知れませんが、もうちょっと自分の性質と社会の現状に対する理解を深めてほしいです。万が一兄に何かあっても、自分の力で、この社会の中で幸せに生きていけるようになってほしいと思います。
長くなりましたのでまとめますと、質問したいのは以下の3点です。
(1) 弟は発達障害で間違いないでしょうか
(2) 本人が困っていない場合、病院に連れて行っても無意味でしょうか
(3) 弟が幸せに生きて行く為に兄としてしてあげられることは何でしょうか
林:
(1) 弟は発達障害で間違いないでしょうか
はい、まず間違いないと思います。
このメールに書いていただいた弟さんについてのこれまでの経過と状態は、まさに発達障害の方を描写しているものと言えます。そう言える理由は全体像ですが、あえて部分的なポイントを指摘しますと、
靴や靴下が嫌で履けず、
これは感覚過敏によるものだと思います。
母親が「靴の代わりにサンダルを履かせてほしい」と要望し学校側と母とで大バトルになったり、
発達障害についての理解がある程度広まっている現代であれば、やや違った展開になっていたかもしれません。発達障害には感覚過敏という特徴があるという理解がなければ、靴を履くという学校の規則に従わないのは単なるわがままと見られてしまうのは無理もないことで、この時もおそらくそうだったのでしょう。
学校の先生や親戚からは「○○くん(弟)はふつうの子と違う。精神科で見てもらった方がいいのではないか」という助言があったみたいですが、母は「普通の子と違うからといって病院に行く必要はない」とつっぱねたらしいです。
「普通の子と違うからといって病院に行く必要はない」というお母様の言葉は実にもっともです。実にもっともですが、現実には、「普通の子と違うというのは、どのくらい違うのか」「その違いの原因は何か」を追求することが、ご本人の将来の幸せのために必要なことと言えます。しかしこれについても、発達障害についての社会からの理解が浅かった時代には、追求そのものが困難であったと考えられます。
妙な感性の絵を描くので一目おかれたりもしていました。
発達障害では芸術的な才能を伴うことがあります。
論文を読み上げるような喋り方だったり、
発達障害にありがちなことです。
本を読むのは好きで、難しい内容も整理して筋道を立てて話す事ができるので、特別知能が低いということはなさそうに見えます。
いわゆる高機能自閉症にあたるのでしょう。
こうして書いてみると弟は相当変わっているのですが、母が変わっていることを問題視しなかったことと、周囲の人が親切で寛容な人達ばかりだったことで、弟が変わっていることはあまり問題にはなりませんでした。そうしてそのまま変わった大人に成長しました。
その通りだと思います。問題は、「これまで問題にならなかった」ことが、ご本人にとって良かったのか、良くなかったのかということです。
(2) 本人が困っていない場合、病院に連れて行っても無意味でしょうか
きちんと診断を受けることに大いに意味があります。
(3) 弟が幸せに生きて行く為に兄としてしてあげられることは何でしょうか
きちんと診断を受け、医師(とは限りません。発達障害の専門家であれば、医師とは限りません。但し、自称専門家には注意すべきですが)今後の人生を送っていく指針を示していただき、また、定期的に相談を受けていくことができる態勢を作ることだと思います。
万が一兄に何かあっても、自分の力で、この社会の中で幸せに生きていけるようになってほしいと思います。
そのためには上記(3)が必要です。
もうちょっと自分の性質と社会の現状に対する理解を深めてほしいです。
おっしゃる通りで、その方向に進むことができるようにサポートするのが、お兄様としてできることだと思います。
(2016.11.5.)