【3234】私が精神科へ行き始めた理由です(【1688】、【1797】のその後)

Q:【1688】中途失聴者である私の精神科での体験をお伝えしたく思います
【1797】「今の耳」を受け入れられるようになるまで  を送信した34歳女性です。 遅ればせながら「サイコバブル社会」を拝読しました。また【1901】から【1948】までの更新内容を読み、私が10年ほど前に精神科に行き始めたときのことを、お話ししたくなりメールいたします。質問ではございませんが、林先生をはじめ、どなたかのお役に立てましたら幸いです。

私の家族は、母方の祖父(故人)、祖母、父、母、弟、でした。私は幼少時より、アトピー性皮膚炎がひどく、服や布団、洗ったばかりの食器などを血で汚すことがしばしばありました。13歳のとき、近所の内科・小児科・皮膚科を標榜しているH先生の下へ通い始めました。 高校受験や大学受験に際し、食欲がない・腹痛がする・皮膚炎がひどくなる、といった症状が出ることがありました。高校は進学校受験を勧められたのですが、私は、学業成績がもともと良かったのではなく、ある時点から、理由もよくわからないまま急に良くなりました。そのため、自信がないまま受験が迫ってきたことが、身体症状が表れた理由だと思っていました。しかし、H先生は、既に他の理由に気づいていたようです。 大学院(理系)進学の3ヶ月ほど前、教官の急な辞職などの理由で、私は大学院で異なる専攻の研究室に配属されました。この頃、めまいや耳鳴りがひどくなりました。乗り物酔いのため、電車や自動車に10分も乗っていられない、まっすぐ歩けない、入浴中に激しいめまいで、家族に助けを求めなければならない、といったことが起こり、H先生から近所の耳鼻科開業医へ行くように勧められました。耳鼻科開業医の先生が「メニエール病であると思うが、検査をして脳の病気を否定するほうが良い」と、公立病院を紹介をしてくださいました。 このときは、大学院で研究内容が理解できず、ストレスで体調が悪化したのではと思っていました。教授からの「仮病じゃないのか?」といった言葉が、全て自分を責め立てているように感じられたことが、メニエール病悪化の理由かもしれないと、思っていました。専門外の人間ですので、私の研究能力が劣っていることは明らかで、責められるのは仕方ないと思いました。今となっては、教授は悪意というよりは、もっと軽い気持ちで言っていたのだと思います。 この頃、内科等のH先生から、知り合いの精神科の先生(【1688】の院長先生)を紹介していただきました。夜眠れず、朝起きられない、食欲がない、メニエール病が悪化する、大学院へ行くことが猛烈に不安、大学院の研究内容をこなせるはずなんかないと思い込む、などの症状がありました。耳鼻科の先生からも、「精神科へ行くことは、メニエール病にも良い影響があると思いますよ」と、励ましていただきました。 内科等のH先生の紹介状には「大学院の問題とは別に、家族との関係性に問題があるように思われます」という言葉があったそうです。私はそのことを知りませんでしたし、今も紹介状そのものは見ていないので、細かい言い回しは違っているかも知れません。 実は、私の母が家事をしないので、祖父母や私がしていて、私の両手は1年中、しもやけのような状態になっていました。長い間そのことの何が問題なのかわからず、H先生や看護師さんに驚かれたことがありました。毎年夏になると汗疹ができ、アトピーも激烈に悪化するので、H先生からエアコンの使い方を聞かれたのですが「私の部屋にはクーラーも暖房もないです」「冬はコートを着るのですが、夏は窓を開けるしかできません」と答えて、H先生に驚かれたことがありました。これもなぜ驚かれたのか私はわかりませんでした。また、病気などになったら、怒られることが普通だと、いつの間にか思い込むようになり、耳鼻科の先生に「メニエール病が治らなかったら、怒られるような気がする」と、何度か申し上げたことがありました。 精神科で「家族との関係」について深い話をする前に(私はこの時点で、これが問題だとは思っておりませんでしたので)、メニエール病の経過が良くないため、耳の手術を受けることになりました。耳鼻科の先生が、執刀医のK先生がいらっしゃる転院先を紹介してくださいました。お二人は大学の同級生だということでした。K先生から、手術説明や手術当日の家族の立会いを求められたのですが、「できれば家族に会いたくないので、会わずに済ませる方法はないんですか?」と何度か申し上げて、K先生は「珍しいケースだねぇ」とおっしゃっていました。とはいえ、手術はうまくいき、大学院も修了することができました。
耳鼻科の手術後に、精神科で森田療法に取り組むようになりました。精神科の先生は、厳格な森田療法のルールを守らなくても良いので、日記に思うことを書くように言ってくださいました。この頃、一度だけ、母と精神科の先生が診察室で話す機会があったのですが、この時点では何が話されたのか、私は知らされませんでした。 2年くらい経ったころ、院長先生が「内科のH先生の紹介状に、家族との関係についての問題があるように思う、と書かれていたこと」「母が診察室に来たとき『病名を安易につけたり、薬を出したりするから、本人が暗示にかかるんです。あまり余計なことを教えないで下さい』という内容を言っていた」と聞かされました。母がとんでもないことを申し上げたのを知り、大変申し訳ないと思い、うろたえました。 そのことを、なぜか執刀医のK先生に話したことがありました。するとK先生は「精神科の院長先生は、あなたがその事実を聞いても、耐えられると思うから話されたんですよ。あなたが、親との距離を取れるようになったと、先生は思っています。だから、あなたが必要以上に落ち込んだり、悲しんだりしていると、先生はがっかりされますよ」とおっしゃいました。なんとなく納得できる言葉だったので、あまり落ち込まないようにしました。 この頃、父が単身赴任することになり、3年以上は離れて生活しました。ここまでは、母のことばかり書いてきましたが、実は父が、母の言動をたしなめたり、家事の面でもずいぶんフォローしてくれたりしていたのだと思います。離れている間に、そのことがよくわかりました。父の単身赴任中に、祖母の介護が必要となり(足腰をいためたことと、軽い認知症)、私は祖母中心の生活をするようになり、母の言動からは距離をおくようになっていました。母のきつい物の言い方や、家事や介護をしないことなども、祖母と苦笑いを交わすだけで、放置するようになっていたのです。 この頃、耳鼻科のK先生が、何かの用事のついでに「ご家族とはうまくいっているの?」と聞いてくださったことがありました。「『親だから子だから』という視点で見ると腹が立つし哀しくなるけれど、違う人生を生きている他人だということもまた事実なので、それを思えば落ち着くことができます」と答えたことがありました。 数年後、単身赴任から帰ってきた父は、母に再び注意をするようになったのですが、母は「家事や介護をやろうと思ったら、誰かが先にやっているから、やらないだけだ。言ってくれればやる」と言い、「母自身には改めるべき点は何もない」と思っていたようでした。また、介護が済んだ私が、耳の病気を再発させた時、「介護は頼んだが、体を壊すまでやって欲しいとは頼んでいない。耳の病気を再発させたのは、あなたが勝手にしたことだ」と言い、父や弟を怒らせましたが、私は「母の言いそうなことだ」と思っただけでした。 そして、このメールを送信する3週間前のことですが、母は「父は私に文句ばかり言う。そんな人とは離婚する」と言い、職場近くのホテルに泊まるようになりました。この時点では、「大騒ぎ」という感じではなかったのですが、私が母に「あなたの人生ですから、どうぞご自由に」と言ったときには、母だけでなく、父も弟も唖然としていました。数日はホテルに泊まった母ですが、誰からも「帰ってきて欲しい」というメールも電話もないことにパニックになったようで、弟の家にしばらく泊まった後、自宅へ帰ってきました。 私も一時的にはストレスで嘔吐がひどく、内科のH先生に点滴を打っていただいたりしました。精神科の若い先生が、臨時の診察をしてくださり「お母さんの言動からは一歩引いて、振り回されないようにしましょう」というアドバイスをいただき、落ち着くことができました。ちょうど資格試験を受ける予定や、仕事もありましたので、かえって落ち着いていられたと思います。 その騒ぎが落ち着いてから1週間後、耳鼻科のK先生の診察がありました。K先生が「もすうぐ、手術から10年になりますね。もちろん著効群に属されています。おめでとう」と言ってくださいました。「10年も気にかけてくださったのですね。ありがとうございます」と御礼申し上げました。 振り返ってみて、10年前と今と何が変わったのかよくわかりませんが、ただ「10年前より今のほうが、ずっと生きやすい」ということは、言い切れます。健康のことで言えば、10年の間に、耳の病気を再発させたり、婦人病や乳腺の病気になったり、アナフィラキシーから成人喘息になったりと、良いことばかりでは、ありませんでした。ただ10年の間に「信頼できる先生のもとで、正しく対処をすることと、対処をしているなら、必要以上に考えすぎないこと」のバランスがとれるようになったと思います。 これは、人間関係にも言えることで、家族や友人、知人などと過ごしていく上で、自分の意思をしっかり確認しておくことが大事で、自分の意思を殺して振り回される必要はないし、逆に自分が相手を振り回しても、良いことはないと思えるようになりました。 林先生のホームページには、色々なご家族の形が出てきますね。私の経験が、はたして何かの役に立つかわかりませんが、どなたかの参考にでもなればと思い、お送りいたします。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。これからも、林先生の更新を楽しみにしています。

林: 貴重な事実のご報告をいただきありがとうございました。読者にとって、様々な意味で有益な情報になると思います。
今後、さらに改善され、安定されることを願っています。

(2016.6.5.)

05. 6月 2016 by Hayashi
カテゴリー: サイコバブル社会, 精神科Q&A