精神科Q&A

【1797】「今の耳」を受け入れられるようになるまで (【1688】のその後)‏


Q【1688】中途失聴者である私の精神科での体験をお伝えしたく思います を投稿したものです。掲載していただき、ありがとうございます。大変、驚きました。また、文章をプリントアウトして【1688】の院長先生と、若い先生、身体の先生にもお見せしましたら、とても喜んでくださいました。 精神科だけではなく、身体の科でも、医療用語を聞き間違えると大変です。そこで、一般向けの医学書の単語や文章を指差し確認することがあります。林先生のご著書も、そのように使わせていただいております。
ところで、今回は耳の病気が再発した時から、精神科の先生や身体の先生と、どうお話してきたのかを書きます。精神科の二人の先生がいなかったら、これほど早く立ち直れなかったと思い、病気で何かを失った人、諦めた人にとって、何らかの参考になればとも思います。ただ、林先生のもとへは、緊急を要する重大な相談が、多数よせられていることと存じますので、そちらを優先してくださって結構ですので、お時間がおありのときに、お読みくださいましたら幸いです。 10年近く前、精神科へ行ったばかりのころ、院長先生が「あなたには、森田療法が合っているかもしれない。ただ『誰にでも絶対に効果のある精神療法』というのは、現時点では存在しないので、あなたが森田療法の本を読んでみて、やってみたいと思うなら、外来で日記療法をしてみよう」と言われ、本を買いました。そして外来で日記療法をしていました。薬はトレドミン、ドグマチール、ソラナックス、ロヒプノール、ベンザリン、ハルシオンなどを利用していましたが、徐々に減らしていき、現在はリスミー2mg、ハルシオン0.25mg、デパス0.5mg(頓服)です。 私はSOHOで、自宅で仕事をしています。そのため、介護にも時間を割くことができました。しかし、高齢者にはSOHOというものが理解できなかったようです。被介護者が、親戚や知人に「仕事と称して一日中パソコンに向かっているだけの、ろくでもない人間」「ろくでもない生活をしているのだから、介護に長時間使ってもかまわない」と言っていたようです。 介護が済んだ後、耳の病気が再発していることがわかりました。そして、精神科の院長先生から若い先生へ診察を引き継いでいただいたことは【1688】で書いたとおりです。 若い先生のところへ、2,3回通った頃に、故人の「ろくでもない人間だ」という言葉を真に受けた親戚や知人などから、「いつまでそういう生活をしているんだ!!」と責められたり、身体の病気のことをからかうような言い方をされたりして、私は「介護を一生懸命やった結果がこれなのか」と悲しくて、情けなくてたまりませんでした。 あまりにも悲しくて、精神科の若い先生に面接をお願いしたのですが、話している途中で涙が止まらなくなり、どうしようかと思いました。そのとき、先生が絶妙のタイミングで「お仕事のほうは、進んでいますか?」と聞いてくださったのです。その当時、私は耳が正常に聞こえるときでも受けたことのないような、大きな仕事を担当させていただいているところだったので、仕事の話をして、落ち着き笑顔になることができました。 ところが、いつの間にか、私自身が「ろくでもない」という言葉を、利用するようになってしまいました。耳の聞こえづらいことでつらい目に遭ったり、ひどいことを言われたり、人に迷惑をかけてしまったと感じられるとき、私は「本当にろくでもない人間になった」と自分の価値を切り下げることで、つらさを感じないようにし始めたのです。そのようなやり方には、やがて限界が来ます。 精神科の先生に「私はろくでもない人間だから、つらい目に遭っても仕方がないのです。そう思うことの何がいけないのか、わからないのです。でも、しんどくなってきました」と、ノートに書いて見せたら、先生は「あなたは、大きな仕事も引き受け最後までできたし、他にもいいところがいっぱいある。そんな大事な仕事を頼むのに、ろくでもない人間に頼んだりしませんよね?」と話してくださいました。すぐには肯けなかったのですが、徐々に、つらくなったら自分や周囲の人の「いいところ」に目を向けたり、自分の「いいところ」を増やすようにしようと思いました。とはいってもこの時点では、何をどうすればいいのかわかりませんでした。 気持ちが上向きかけた頃、林先生のホームページで【0188】の方の質問を拝見し、メールを送ることにしました。 その頃、私の耳の病気を知らなかった知人から「小さなコンサートを企画したので、観に来ませんか?」と誘われました。今の自分にとって、音楽というものがどう聞こえるのかわからず、迷ったのですが、コンサートに出かけたところ、とても楽しむことができました。誘ってくれた知人にも、耳のことを話した上で「とても楽しかった。ありがとう」と心から言うことができました。このことは、私にとって「新しい楽しみ方を見つけた」「今までと同じ聞き方ができなくても、楽しむ方法はある」と、とても自信になりました。 先に書きました「自分のいいところを増やす」ためにはどうしたらいいか、と考えて、やりたいことをリストアップして、できる範囲で無理なく取り組むようにしていきました。具体的には新しい料理をおぼえるといった日常的なことから、資格を取るための勉強をしたいことなどです。 また、親しい信頼のできる友人に「今までのようにスムーズに会話ができないかもしれないけど、気を遣わずに接してください」とお願いすることができるようになりました。友人たちは「耳の病気にかかっていることを知らなくて、ごめんなさい。これからは、困ることは遠慮せずに話して」と親切な言葉をかけてくれました。 これらのことを、精神科の先生にもお話ししたく思い、ノートに書いていました。ちなみに、このノートは、精神科だけではなく、身体の先生にもお見せして「何科でいつどんな治療をしたか?検査の結果は?今後の治療計画は?」などがわかるようにしています。そんな中、年が改まり、林先生のホームページにメールを掲載していただいて、とても嬉しかったので、プリントアウトしてノートにはりました。精神科だけではなく、身体の先生にも見せて喜んでいただきました。

これからも紆余曲折があると思います。ただ、今までの一年余り、時には泣きながらもなんとかやってきたこと。その記録がノートという形で残っていること。このことが、これからも一年一年を積み重ねていけるという自信となりそうに思います。 今回も長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。先にも書きましたとおり、精神科の二人の先生がいなかったら、これほど早く立ち直れなかったと思い、病気で何かを失った人、諦めた人にとって、何らかの参考になればとも思い、メールいたします。これからも、林先生、そして直接お世話になっている先生方に感謝しながら、がんばっていきます。また、何かございましたら、ご報告させていただきます。


林: ご丁寧なご報告をいただきありがとうございました。【0188】の方にとっても、さらには他の読者の方々にとっても、静かに輝く贈り物のようなメッセージだと思います。またのご報告をお待ちしております。




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