【2911】巨大バッタとすれ違いました。統合失調症でしょうか。

Q: 私は現在発達障害とそれに伴う鬱のため病院に通っている28歳女性です。
現在の症状と過去の記憶について気になることがあり今回メールさせて頂きました。

母の話によると私は生まれた時から他人を受け入れず、触られるのも抱かれるのも泣き叫んで嫌がり、成長しても人の輪にも入りたがらずに一人で遊んでいました。幼稚園に入るまではそれで幸せだったのですが、集団の中に入るようになるとそんな自分を恥に思うようになり、大人しいと思われるのも嫌で無理に自分を大きく見せるように生きてきました。
幼〜高校にかけては子供の生活は大まかに家庭と学校(クラス)に分かれると思います。
私は自分の普段慣れた環境(家庭とその時のクラス)では何とか暮らせていましたが、それ以外は全くの未知の世界というか、別の組の人とは口も利けず道や階段なども全く同じ所でなければ死ぬほど不安で、自宅の庭にも行ける場所と行けない場所があるほどでした。(その代り曲がり角を反対に曲がればそこは全くの未知の外国のように感じられ、いつも不安なのと同時に生活が不思議に溢れて面白くもあったかもしれません。)
なぜ慣れない場所に行くと不安になるかというと、一人でいても誰かが見ている。自分のしていることがばれていて、何か言われると感じていたからです。

そんなある日、小学四年生の夏の土曜日の事でした。大人は誰も信じてくれませんでしたが、私は通学路で巨大バッタとすれ違いました。
それから中学生になると、家の中で居ないはずの父の足音、声などが聞こえ出しました。
はっきりと名を呼ばれた事もありました。すれ違う電車の中に自分が乗っていたり、半透明のオバケのQ太郎のような赤ちゃんとすれ違ったり、玄関に巨大な男が立っていたこともありました。電車内で私の言っていることが分かる男がいたこともありました。(右手を上げて、と念じると私をちらりと窺いながら右手を上げるのです)
そういう物を見たときは、幽霊とか化け物に出会ったと思って素直に怖がっていました。本当にお化けなら別に問題ないのですが、今となって思うと統合失調症の症状にすごく似ているように思えるのです。
巨大バッタを見る前の幼稚園の頃から、自分は臭い、醜い、笑われているという思いがあり、巨大バッタを見だした頃は盗聴されている、自分の考えが他人に漏れているという考えを強く持っていました。なので人の大勢いる場所が怖く、スーパーやコンビニに一人で入れるようになったのも20歳を過ぎてからでした。

中学の時は引きこもりになり、高校からは電車通学になったのですが周りの人間への恐怖感が強すぎて毎日足まで流れてくるほど冷や汗をかきながら通学しました。
私の感じたことを親などに言うと、自意識過剰だと言われました。その時は実際に自分はつらい思いをして傷付いているので腹が立ちますが、一方で自分は人より過敏で誤った方向に思考が傾いているのであって、自分の捉え方次第で別の現実があるのだとも感じていました。
20代の初めごろ、大学生になった私はこのままでは苦しみが続くだけだと思い、痩せて見た目を変え、人ごみにあえて行くようにしました。
苦しくて恐怖で移動のバスの中で涙が出て来ることもありましたが、そのうち少しずつ慣れてきて、より行きにくい場所へと難易度を高めてそれをクリアする度自信も付いてきました。
そして私を好きになってくれる男性も現れると、変な話ですが自分に欲望をもって接してくる人が居るという事が、人混みなどでの悪意への恐怖感はやはり自意識過剰だったんだ、自分を性の対象として喜んでくれる人が居るということは自分の見た目などは異常ではないんだという証拠のように感じ(親や友人が異常ではないと言ってくれても、優しさや気遣いがあるため信用できなかった。男性の欲望は理屈ではないと感じ信用できた。)以後どこに行っても化け物も見えず、自分を苦しめる考えも出にくくました。

その後大学を卒業しても定職に着けず、アルバイトとして働くようになると、今度は別の問題が浮き上がってきました。発達障害とそれに伴う鬱です。
同じ頃に母が交通事故にあい高次脳機能障害になりました(脳に大きな穴が開きましたが、幸い今ではとても元気です)父は傍観者のような感じで私が民間の相談所を回ったり弁護士や保険会社と面談したりし、結局両親は離婚しました。それも大きなストレスだったはずですが、そんな事件より何倍も人の輪の中に毎日行くことが苦痛でした。
例えるならゴキブリを舐めさせられているような苦痛で、苦痛の感覚は幼少期から同じですが単純な仕事も覚えられずミスばかりで、自分が悪いのは重々分かっていますが屈辱感に耐え切れず毎日が恐怖でした。
頭の悪さに加え強い恐怖感があるのでいつもパニック状態で簡単な指示も理解できず、ものも覚えられず、仕事には休まず出勤しても帰宅後や休日は全身に激痛があり起き上がることも出来ません。病気かと思って色々な病院をまわりましたがどこでも原因不明と言われ、数年後にある内科で強度の鬱の可能性があると言われてから何度か精神科を受診しましたが、休日は鬱状態がひどく外出できないことが殆どで、ここ2か月でやっと体調が整い定期的に通院できるようになり今は様子を見ながら薬を調整したり、症状を探っているといった感じです。

今はまだ当たり前のように毎日死にたいです。こんなに辛くてもいつか死ねると思う気持ちが唯一の希望で、生きる支えです。
でも現実の生活にすっかり絶望しているわけでもなく、結婚の約束をしている男性と、母の2人が私の精神症状を知ったうえで支えてくれています。この2人のためにももっとまともになりたいです。

最後に質問なのですが、
(1) 私の過去の感じ方は統合失調症の症状に似ている気がします。でも当時の私は自分の気が小さいせいだと思い力ずくで直そうとして、それで今その症状に関しては殆ど収まったと思います。(収まっただけでゼロになったわけではないですが…)統合失調症は無治療だと悪化の一途を辿るようなので、私は可能性としては低いのでしょうか。

(2) 母は出産の際にカーテンの隙間から人が覗いている幻覚を見たと言っていました。(これは幻覚だと本人にも感じられたそうです)父からはそういう話は聞いたことはありません。そうすると私の精神症状は母方の遺伝なのでしょうか。

(3) 現在ストラテラ510の時に箸を上げる力も入らず、何とか仕事には出ても恐らく私の様子がおかしいのか、職場の人間も以前に増して私を奇異な目で見るようになりました。
家にいるとずっと涙が出て言葉も出なくなりました。記憶も混乱し、横になってどんなに疲れても眠れず、あまりこの頃の事は覚えていません。そして毎月きっちり来ていた生理も止まり、便通も全くなくなり肉体的なストレスも相当なものでした。
私が最近精神科に通えるようになったのは、必死の思いで通えるまでに自分の体調を整えたからでした。変な話ですが今が人生で一番好調なので精神科にも通えるようになったのです。それなのに、せっかく何年もかけて整えた体調が一瞬にして崩れた事への憤りが抑えきれず本気で強く死ぬことばかり考えていたとき、ふと薬を飲み忘れた日がありました。
するとその日は薬を飲む前の体調に戻り、次の日も飲まずにいたら好調で仕事のミスも減りものすごく楽になりました。
先生の回答も色々読んで、勝手な断薬は厳禁なのは分かっていたつもりでしたが、薬から解放された時すごく救われた気がしてどうしてももう飲めずにいます。
私はただでさえエイリアン扱いなのに、少しでも不調になればさらにとめどなくミスを重ね、周りにも迷惑をかけるし私自身耐え切れません。睡眠時間や食事など細心の注意を払って自分を整えたうえでのエイリアン扱いなのです。一度は私の頑張りを認めてくれかけた上司や同僚も薬を飲んだ時期以降は諦めたという態度で私を透明人間のように扱っています。自分のせいなのは分かっているので耐えられますが、死にたいです。
合う薬を見つけるために試行錯誤する余裕が私にはありません。一体私はどうすべきでしょうか。

薬に関しては精神科に通っているなら主治医の先生に相談すべきなのは分かっていますし近いうちに相談しますが、林先生のご意見もお聞かせいただきたいです。
統合失調症?については診察時間は20分で現在の苦しみの中心である発達障害と鬱を緩和させる事を優先したく思うのと、なんだか現実離れした恥ずかしい話に思えて主治医の先生には言いにくく感じます。

長文になってしまいましたが、ご回答頂ければ大変うれしく思います。
よろしくお願いいたします。

林:
(1) 私の過去の感じ方は統合失調症の症状に似ている気がします。でも当時の私は自分の気が小さいせいだと思い力ずくで直そうとして、それで今その症状に関しては殆ど収まったと思います。(収まっただけでゼロになったわけではないですが…)統合失調症は無治療だと悪化の一途を辿るようなので、私は可能性としては低いのでしょうか。

確かに統合失調症に似ている点はありますが、それよりむしろ解離性障害と考えるほうが適切な点が多々あります。つまり、この【2911】のケースは、解離性障害の可能性のほうが高いといえます。発達障害と診断されているとのことですが、発達障害に解離の症状を伴うことは少なからずあります。
また、悪化していない点も、統合失調症らしくない経過です。

そんなある日、小学四年生の夏の土曜日の事でした。大人は誰も信じてくれませんでしたが、私は通学路で巨大バッタとすれ違いました。

この幻視は統合失調症らしくありません。解離の症状としての幻視でしょう。

それから中学生になると、家の中で居ないはずの父の足音、声などが聞こえ出しました。

これらの幻聴については、その聞こえた「声」の内容や性質が問題ですが(つまり内容や性質によっては判定が変わることもあり得るということです)、解離の症状として矛盾はありません。

はっきりと名を呼ばれた事もありました。すれ違う電車の中に自分が乗っていたり、半透明のオバケのQ太郎のような赤ちゃんとすれ違ったり、玄関に巨大な男が立っていたこともありました。

これらも解離性障害にしばしば見られる性質の幻視です。
自分の姿を見るのは自己像幻視と呼ばれ、いかにも解離性障害らしい幻視です。もっとも、統合失調症でも自己像幻視はあり得ますが、この【2911】のケースでは、他の幻視とあわせ、解離性障害の症状としての幻視とみるのが妥当でしょう。(「巨大バッタ」「半透明のオバケのQ太郎のような赤ちゃん」「玄関に巨大な男が立っていた」のような、かなり明確な視覚性を持った幻視は、統合失調症では稀で、解離性障害ではしばしば認められるものです)

電車内で私の言っていることが分かる男がいたこともありました。(右手を上げて、と念じると私をちらりと窺いながら右手を上げるのです)

これだけを取り上げると、統合失調症を思わせる体験といえますが、他の症状とあわせれば、やはり解離とみるべきでしょう。

そういう物を見たときは、幽霊とか化け物に出会ったと思って素直に怖がっていました。本当にお化けなら別に問題ないのですが、今となって思うと統合失調症の症状にすごく似ているように思えるのです。

ここまでの説明の通り、統合失調症よりははるかに解離性障害の症状に一致しています。

巨大バッタを見る前の幼稚園の頃から、自分は臭い、醜い、笑われているという思いがあり、巨大バッタを見だした頃は盗聴されている、自分の考えが他人に漏れているという考えを強く持っていました。なので人の大勢いる場所が怖く、スーパーやコンビニに一人で入れるようになったのも20歳を過ぎてからでした。

ここでも、「盗聴されている、自分の考えが他人に漏れているという考えを強く持っていました」は統合失調症らしい症状といえますが、上記の通り、他の症状とあわせれば、やはり解離とみるべきでしょう。

20代の初めごろ、大学生になった私はこのままでは苦しみが続くだけだと思い、痩せて見た目を変え、人ごみにあえて行くようにしました。
苦しくて恐怖で移動のバスの中で涙が出て来ることもありましたが、そのうち少しずつ慣れてきて、より行きにくい場所へと難易度を高めてそれをクリアする度自信も付いてきました。

これは一種の自己流認知行動療法ともいうべきものですが、結果として奏功しています。統合失調症では、このような対処法でよくなることはまずありません。

そして私を好きになってくれる男性も現れると、変な話ですが自分に欲望をもって接してくる人が居るという事が、人混みなどでの悪意への恐怖感はやはり自意識過剰だったんだ、自分を性の対象として喜んでくれる人が居るということは自分の見た目などは異常ではないんだという証拠のように感じ(親や友人が異常ではないと言ってくれても、優しさや気遣いがあるため信用できなかった。男性の欲望は理屈ではないと感じ信用できた。)以後どこに行っても化け物も見えず、自分を苦しめる考えも出にくくました。

上記の自己流認知行動療法、及び良い人にめぐりあえたことによる精神の安定が、症状を消失させたとみることが出来ます。解離ではこのように心理的・環境的変化だけでよくなることがあります。

(2) 母は出産の際にカーテンの隙間から人が覗いている幻覚を見たと言っていました。(これは幻覚だと本人にも感じられたそうです)父からはそういう話は聞いたことはありません。そうすると私の精神症状は母方の遺伝なのでしょうか。

出産のように意識状態が変化している場合には、誰でも幻視体験があっても不思議はありません。したがってこの出来事を根拠にお母様に何らかの精神疾患があるとは言えません。

(3) 現在ストラテラ510の時に箸を上げる力も入らず、何とか仕事には出ても恐らく私の様子がおかしいのか、職場の人間も以前に増して私を奇異な目で見るようになりました。
・・・
それなのに、せっかく何年もかけて整えた体調が一瞬にして崩れた事への憤りが抑えきれず本気で強く死ぬことばかり考えていたとき、ふと薬を飲み忘れた日がありました。
するとその日は薬を飲む前の体調に戻り、次の日も飲まずにいたら好調で仕事のミスも減りものすごく楽になりました。
先生の回答も色々読んで、勝手な断薬は厳禁なのは分かっていたつもりでしたが、薬から解放された時すごく救われた気がしてどうしてももう飲めずにいます。

なぜこの【2911】のケースにストラテラが処方されているのか理解できません。現に断薬したら症状がよくなっていることからみても、ストラテラの処方は不適切であったと判断したいところです(もっとも、他の薬も同時に処方されていますので、どの薬がどう作用しているかは厳密には不明というべきでしょう。しかし最も疑わしいのはストラテラです)。

合う薬を見つけるために試行錯誤する余裕が私にはありません。一体私はどうすべきでしょうか。

解離性障害では、薬が必要な場合もあれば必要でない場合もあります。「合う薬を見つけるために」という言葉は、薬が必要なことを前提とするものと読めますが、そもそもその前提が誤りかもしれず、治療方針を見直す必要があります。
解離性障害というものの理解、及びその治療については

柴山雅俊著 解離性障害 ちくま新書

柴山雅俊監修 解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 講談社

を読むことをお勧めします。

(2015.2.5.)

05. 2月 2015 by Hayashi
カテゴリー: 発達障害, 精神科Q&A, 統合失調症, 解離性障害