【2862】『佐世保事件、ジョーカー、タラソフ原則』(林の奥)の ”care” という語について
Q: 40代男性です。先生の「林の奥」のコラムの「佐世保事件、ジョーカー、タラソフ原則」の記事にコメント差し上げたくメール致しました。
記事の中で ”reasonable care”という語について
「いかなるときに、医師の守秘義務が解除され、危険にさらされている人の “care” の責務が発生するか、そしてその “care” とは具体的にどのようなものか。州によって解釈も運用もばらばらである。」
という言及をされていますが、Tarasoff v. Regetns判決の中で繰り返し出てくる careという言葉について誤解をされているように思われます。判決中で出てくる”reasonable care” ”duty of care” ”due care”などの言葉は、被害者にたいするcareの意味ではなく、不法行為における「過失」の前提となる法律上の概念としての「注意義務」(”duty of care”)のことを指しているものと思われます。
不法行為(torts)の成立には過失(negligence)、すなわち注意義務違反(breach of the duty of care)が必要ですが、その注意義務違反とは「ある事実を認識・予見することができたにもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったこと」をいいます。
”reasonable”とは 通常人であれば予見可能であり回避のための行動が可能である状態を指します。本事件においてreasonable careとは「通常の精神科医であれば予見が可能であり、結果回避のために適切な行動を取る期待が可能な状態」ということになります。
注意義務の有無や程度はある特定の者の「地位」によって異なります。特定の地位にある者にとって注意義務が発生するか否かは法律、条理、慣習等により決定されます。誰しも他人を怪我させない注意義務を負っているのは条理から当然とされます。また、全く見知らぬ他人の子がおぼれているのを見ても救助する義務はない一方、親権者は保護責任者としての地位により子を救助する義務が発生します。交通事故の加害者は道路交通法により被害者を救護する義務が発生します。そしてそれぞれその注意義務の不履行により何らかの結果が発生すれば義務違反として損害賠償等のペナルティに服することになります。当該判例では精神科医やセラピストの注意義務の根拠が明確には示されていないようですが、”pursuant to the standards of his profession”とあるように職業倫理上から注意義務を導いているように見えます。一方で患者の守秘義務を課しておきながら、他方で第三者への加害防止義務という二重の相反するようにも見える義務を負わせるのはちょっと理不尽な感じもしますが、当該判例はとにかくその義務を認定したということになります。
注意義務の中身は先生ご指摘の通り必ずしも一義的に決まるわけではありませんが、あくまで法解釈の一つであり、「何がreasonableかは現場の判断ということになる」というわけではありません。これは他人を怪我させたときに過失があるかないかが加害者の判断によるのではないのと同様です。過失があるかないかはあくまで「通常人における」「結果の予見可能性」と「結果回避の可能性」の解釈によります。マサチューセッツ州の運用指針はその一解釈例を示したものと思われます。
誠に差し出がましいメールを失礼致します。
林: 貴重なご教示をありがとうございました。ご指摘の内容につき、私も書籍を参照した上で、林の奥の佐世保事件、ジョーカー、タラソフ原則の内容を2015.1.5.付けで修正いたしました。ご確認のうえ、さらに誤り等お気づきの点がありましたらご一報いただければ大変ありがたく存じます。
ご教示にあらためて感謝申し上げます。
(2015.1.5.)