【2713】電気けいれん療法で回復した妻。しかし今度は今までとは違う症状が出てきた
Q: 64歳の妻についてご相談したく、PCの前に座りました。夫の私も60代です。
妻は、30代前半に発症、当時は「非定形精神病」として4カ月A病院へ入院しましたが、芳しくなく、そこでECT(電気けいれん療法)を2度受けました。すると、嘘のように快癒して、2回目の電気けいれん療法の翌々日には退院、翌週にはパートを探して働き始めました。当時の主治医からは、退院後も通院することや服薬することの指示もありませんでしたし、私も無知だったので、すっかり治癒したのだと思っていました。
それから20年後、リストラの噂をきっかけに自分がリストラされるのではという不安から発症。「統合失調症」としてB病院へ医療保護入院しました。家に石を投げられる、隣近所の人が、自分の病気を噂しているというような被害妄想がありましたが、投薬だけで陽性症状が治まり、1カ月で退院となりました。
ところが、退院後は、光を恐れたのでしょうか、窓・障子・カーテンを開けることをとても嫌い、1日20時間、頭から布団をかぶり、床に臥している生活が始まりました。好きな歌謡曲や野球のテレビでの観戦もせず、家族との会話もなくなりました。家事は私の母が一切を仕切ってくれました。玄関から庭へ出ることさえ出来ませんでしたが、通院だけは、他人の目を逃れるようにさっと車に乗り込み、薬は規則正しく服薬していました。そんな年月が8−9年続き、ようやく外へも出られるようになり、テレビを愉しむようにもなり、旅行にも行けるようになりました。その間、実の母の逝去、姪の死去、娘の結婚式などありましたが、何とか参列だけはさせましたが、感動はなかったようです。
ところが、一昨年、自分で不調を感じたのでしょう。娘に「実は薬(ジプレキサ)を勝手に減らしている」と打ち明けたのです。そうすると頭がすっきりする、頭に被さっているもやもやしたものがなくなると妻は言いましたが、それから再発に時間はかかりませんでした。そのときは、B病院から独立開業した個人医の診察を受けていたのですが、先生に頼み、再びB病院へ医療保護入院させてもらいました。
ちょうど京都・伏見の花火大会での屋台のガソリン爆発事故があった頃ですが、その犯人は私(妻)だと言いだしました。ですから、逮捕される。焼き殺される。家が無くなるなどの妄想に加え、内容は解らないのですが、誰かが耳元で話しているという幻聴も始まり、3回目の入院となったのです。
昼は見張られていると言い、私が見舞いに行っても盗聴されているから話してはいけないと言い、夜は、窓際に立ちつくして殺人鬼が来ないように見張っているのでした。妄想は次々と膨らみ、陽性症状が7カ月も続き、体重も60kg近くあったものが20kg落ちました。
主治医に、電気けいれん療法を過去に受けているという話をし、主治医もちょうどそれを考慮していたところだと言われ、大学病院へ転院しました。
大学病院では、1クール10回、1カ月で退院できます、と言われました。
そして、8回の治療が終わったとき、もう寛解しているので、ここで止めてもいいし、再発予防の意味もあるから予約してある残り2回の治療も行いますかと訊かれ、10回で寛解しました。
ところが、すぐ退院というわけにはいきませんでした。
私が、同じ時期に内科へ入院し、引き続き整形外科で手術を受けたのです。その間7週間、妻をB病院で預かってもらいました。
私の内科の入院には、外泊許可を取って見舞いにも来てくれました。健康な妻の様子を見て、私は嬉々としていました。
7週間で、私の2か所の病院入院も終わり、私の退院の翌日に、妻を退院させました。
ところが、退院したその日、妻の顔色は必ずしも良くはありませんでした。しかし、これから陰性症状が始まろうとも、私が看病するつもりで、勿論主治医の許可も取って退院しました。
しかし、およそ2カ月で再発です。最初は単なる陰性症状だろうと思っていたのですが、「私は嘘つきだ。退院したかったからいい顔をしていたのだ」と言いだし始めました。そしてやはり入院しなければ寛解しないと言って、荷造りし、妻自ら任意入院をしました。
ところが、入院後、「私は嘘つきだ」と、そればかりを繰り返し、自分を責めます。希死念慮も口にするようになりました。そこで、主治医の先生に、再び電気けいれん療法を受けたいと頼み、先生も賛同してもらいました。しかし、3か月前に治療した大学病院はベッドの空きがなく、2か月先になると言われました。私は、そんなに永い間、妻の苦しみを観ていられなかったので、他の病院を紹介してもらいました。
そのC病院は、1クールを5回で行うということでした。そして、4月から大学病院から医師が転勤してきていて、その医師が妻を覚えていて、電気けいれん療法に立ち会ってもらえたということです。
ところが、4回終えた状態でも相変わらず妻は「私は嘘つき」と呪文のように唱えています。
いつもの妄想・幻聴と違う。
どこかへ出かけたいという気持ちは、現在全くない。
ベッドに縛り付けられて、テレビも観ず、退屈ではない。
何も考えていない。頭の中は「嘘」という概念しかない。その単語しかない。
あなた(私)のことも考えられない。孫はすっかり忘れてしまった。でも、これは病気がそうさせている。(病識があるということ?)
見舞いに来て貰っても、期待に答えられないし、困らせてばかりしているから、もう、来なくてもいい。ずっと、一年間来なくてもいい。
「嘘」をここで止めなくちゃいけないと思う。
私は正常なのに、これ以上電気治療をすればどうなっちゃう? ますます悪くなってしまうような気がする。
最近は、こんなことを口にします。2・3回目で、私に対する「気遣い」ができるようになりました。「見舞いに来てくれてありがとう」という言葉もでるようになりました。しかし、「私は嘘つき」は、相変わらず出ますし、テレビも観ません。
今回の主治医の先生は、「私は嘘つき」というのは妄想・幻覚から出ている言葉ではないので、電気けいれん療法では解決しないのではと言います。私もそんな感じがしてきました。明日の治療で1クールが終わります。
そこでご質問です。
もう1クール電気けいれん療法を続けるべきでしょうか?
「私は嘘つき」は、幻覚・妄想ではないのでしょうか? そもそも統合失調症でなく、他の障害は考えられませんか?
家族として、どこまで恢復したら退院させることができるのでしょうか?
以上、よろしく先生のお考えをお聞かせください。
林: 診断は統合失調症ということになると思います。ただし、典型的でない点がいくつかあります。
ひとつは、無治療なのに寛解していた期間が長いこと。
30代で電気けいれん療法で回復し、それから20年間、服薬なしで何の症状も出なかったというのは、統合失調症として典型的ではありません。(「典型的ではない」というのは、「だから、統合失調症ではない」という意味ではありません。20年間寛解していることだけで、統合失調症という診断は否定できません)
そして、その後の妄想の内容をみると、「自責」が基本的なテーマになっていること。もちろん統合失調症で自責的な妄想があってもいいのですが、むしろ自責はうつ病に特徴的な妄想ということもできます。
これらの二つを合わせると、30代当時に最初に下された、「非定型精神病」という病名が浮上してきます。現代ではこの病名は正式な診断基準の中には存在しませんが、それはこの病気が消滅したという意味ではなく、独立した病名としては認められないようになったというのにすぎません(現代では、という意味です。将来また復活するかもしれません)。現代の正式な分類では、かつて非定型精神病と呼ばれていたものは、統合失調感情障害か、気分障害の中の下位分類のどこかに分類されることになります。
しかしこのような分類学は、実地上はたいした意味がありません。
この【2713】で最も重要なのは、
もう1クール電気けいれん療法を続けるべきでしょうか?
というご質問です。そして、その答えは、
イエス
だと私は考えます。
その大きな理由は、現在の「嘘つき」をめぐる症状は、これまでの症状と十分な共通点があるということです。 その共通点とは自責です。したがって、
今回の主治医の先生は、「私は嘘つき」というのは妄想・幻覚から出ている言葉ではないので、電気けいれん療法では解決しないのではと言います。私もそんな感じがしてきました。
この見解には賛同できません。これまでと違う、というのは表面的な見方だと思います。電気けいれん療法を続けるべきです。それによる回復は、十分に期待できます。
そもそも統合失調症でなく、他の障害は考えられませんか?
このご質問に対する答えは、前述の通り、診断基準をめぐる議論になり、学問的には興味深いですが、実地上はあまり意味がありません。「典型的とはいえないが、統合失調症の範疇である」ということになります。「統合失調症圏の精神病」といってもいいでしょう。
(2014.6.5.)