医学論文と精神科Q&A (7年前、【1138】うつ病、幻聴、けいれん、そして原因不明の死 をめぐって)

2007年2月に掲載した、 【1138】うつ病、幻聴、けいれん、そして原因不明の死 は、精神科Q&Aの中でも特に詳細に症状と経過が記された、そしてあまりに悲劇的なケースである。
この【1138】をアップしてから、確か一年後ぐらいだったと思うが、実際にこの方の治療にあたったと思われる医師が書いた論文を偶然発見した。
当時それを読んで思うところは多々あったが、デリケートな問題ありと考え掲載は控えていた。掲載から7年が過ぎた今、Q&Aの記載と論文の記載を比較対照する形で記しておきたいと思う。内容理解のための簡単な説明は適宜付記するが、今回はコメントなしとしたい。

その論文とはこれである。

幻聴を合併し、治療不耐性を示したMEN type1の1例
高橋杏子他
臨床精神薬理 8: 515-520, 2005.

論文冒頭の要約は次の通り。

多発性内分泌腫瘍症(MEN) 1型の56歳男性に幻聴を主とする精神病症状が出現した。MENに精神病症状が出現することは文献的にも非常に稀である。治療としてはhaloperidol・risperidone・perospironeを投与したがいずれも少量にて著しいparkinsonismを認めた。

Haloperidol = セレネース
Risperidone = リスパダール
Perospirone = ルーラン
Parkinsonism = パーキンソン症状
である。
パーキンソン症状は、抗精神病薬でしばしば見られる副作用だが、このケースでは、ごく少量の抗精神病薬でパーキンソン症状が見られたというのが、この論文の主題の一つである。
家族歴、既往歴、病前性格、生活史は次のように記されている。

症例 56歳、男性
家族歴: 同胞2人中2番目。精神科的遺伝負因は否定。但し、MEN type 1 については父親が脳腫瘍にて死亡(おそらくMEN由来)、実姉・姉の子供・患者の子供3人がMEN type 1 の診断を受けている。
既往歴: 40歳時、胃十二指腸潰瘍にて胃亜全摘。47歳時、膵胆嚢部分切除。49歳時、副甲状腺切除。50歳時、副甲状腺自家移植。52歳時、頸部良性腫瘍摘出。
病前性格: 精力的、社交的、粘り強い(妻)。神経質(本人)。
生活史: 東北地方にて生育。都内の大学を卒業後、アメリカの大学院へ2年間留学しMBA (経営学修士号) を取得。その後は海外の証券会社や国内の銀行などに勤務。45歳時翻訳行を立ち上げるなどし、現在まで仕事を続けている。離婚歴があり、前妻・現妻の間にそれぞれ挙子2人ある。現在は妻と子供の3人暮らし。

以下、【1138】の記載からの引用文をイタリック体で示す。緑字はこの論文の対応部分からの引用である。

【1138】うつ病、幻聴、けいれん、そして原因不明の死

Q: 58歳で他界した主人のことでご質問します。主人は40歳時、何度かの十二指腸潰瘍をわずらい、胃1/2、十二指腸切除を切除し、以後起こった低血糖発作 の末、48歳の時、内分泌多発性腫瘍 MEN TYPEⅠと診断を受け、すい臓部分切除、副甲状腺の移植等、病院漬けの2年間を過ごしました。

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X-15年(40歳)頃から消化器系の不調を自覚すようになった。精査の結果胃十二指腸潰瘍を発見され胃十二指腸亜全摘。その後は仕事に復帰していた。年に1,2回明け方に全身の震え・発汗を伴う意識消失発作があったが原因は不明と言われた。X-9年(47歳)頃より体重減少が目立つようになり、同年10月に精査目的にてA病院入院。そこでMEN type 1 と診断され、12月にはinsulinomaのため膵臓1/2および胆嚢摘出術施行。X-8年2月原発性副甲状腺過形成のため副甲状腺摘出術施行。同時期から原因不明の腹痛を訴えるようになり各種鎮痛剤と一時的にmorphineも投与されていた。

insulinoma = インスリノーマ
morphine = モルヒネ
である。

 

診断がついたときにはインシュリンを即始めねばならない状態でした。が、手の痺れ、口中ミミズが這うかんじ、という不快感は一向に改善されず、あるときは、それが痛みに変わることがありました。

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X-7年2月(49歳)頃から手指のしびれ感・口唇・口腔内の違和感(口の中でミミズがとぐろを巻いて出てくる感じ)・不眠などが出現した。症状は持続していたが断続的に翻訳の仕事はこなしていた。X-6年(50歳)、二次性糖尿病に対してinsulin導入・残存副甲状腺全摘・副甲状腺自家移植施行。術後は上記症状がむしろ悪化、そのためイライラ・抑うつ気分も増悪し希死念慮も漏らすようになった。器質的には糖尿病による末梢神経障害や頸椎障害などは認めないため当科にリエゾン依頼あり。X-6年10月28日当科初診。抗不安薬にて治療開始されたがあまり症状の改善はみられなかった。

 

また約4年の仕事の出来ない状態は、主人を現実の厳しさに直面させ、なかなか仕事に就けない苦しさの中で『自分の経済価値が なくなっていく気がする。死にたい』と訴えました。(現役当時、彼は国際的な企業の代表をしており、男は仕事が出来なければ意味がないと全身に自信をみなぎらせている人でした)
それから6か月うつ病治療のため、大学病院に入院しました。回復期においては、『貴方の体力はもう普通の人の半分だと思って障害年金を申請してゆっくり生 きる余生を考えたらどうでしょう』と勧める精神科医に『何を言うか。あの医者は何もわかっていない』と突っぱねる元気がありました。

また、再就職の面接に落ちたことも相まってさらに抑うつ気分・希死念慮が増悪したためX-5年2月、当科第1回入院となった。Amitriptyline・maprotilineなどの抗うつ剤を加えたところ、症状は持続しつつも軽減。同年7月に退院となった。退院時診断は疼痛性障害とされた。

Amitriptyline = トリプタノール
maprotiline = ルジオミール
である。

精神科Q&Aにいただいた質問メールには「うつ病治療のため」と記されているが、医師はうつ病とは診断してなかったことがわかる。このようなことはよくある。すなわち、本人や家族はうつ病と思っているが、医師の側は決してうつ病とは診断していないというのは、精神科医療ではごく一般的に見られることである。

 

退院後、呂律が回らない、話し方がおかしい等の障害はありましたが、それまでの貯蓄を使い、自らの会社を興しました。自分の会社という事に燃えて、以前の 快活さを取り戻したかに見えました(約1年ほどですが)。先行投資だといって、3千万円ほどの投資をし、株にも大きく手を出しました。
その間も胃潰瘍で2度ほどの入退院を繰り返しました。

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その後は断続的に翻訳の仕事などをこなしていたが、手のしびれや口腔内の違和感などの訴えは続いた。X-1年10月, 11月とsubileusにて当院内分泌外科に短期入院、保存的治療にていずれも軽快退院していた。

subileus = サブイレウス。腸閉塞 (イレウス) になりかけている状態。胃潰瘍とは異なる。

 

9・11のテロ事件以後仕事量が激減し、従業員も次々と辞めて貰わざるを得なくなり、会社を閉鎖し、またどこか会社勤めを捜さざるを得なくなり、ハローワーク通いを始めたのですが、年齢のためかなかなか思うような仕事に就けません。かなりのストレスがあったことは事実で す。

 X年1月ごろより、幻聴が聞こえるようになった(自分を徳川将軍と呼べ。お前は役に立たないから死んでしまえ。耳が痒いからかけ等2、3人が話しかけた り、本を読めば先読みし、集中出来ない等、後には『娘(13歳)をレイプしろ』等の内容)とのことで、

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X年2月頃(56歳)から自転車に乗っている際に「青だ!」などの声が聞こえるようになり、さらに患者を「バカ将軍」と罵る声や念仏を唱える声などが聞こえてくるようになった。時には「自殺しろ」などという命令形式の幻聴、自分の考えていることを先取りして他人の声として聞こえるという考想化声と思われる幻聴も認めた。幻聴は徐々に悪化、一日中聞こえるようになった。集中力・記銘力も顕著に低下、幻聴に巻き込まれて自宅の台所に立ちつくしていることもあった。

 

6月よりセレネースという抗精神病薬を飲み始めまし た。一日に、0.75mg×2錠という精神科医からしたら微量な量だそうですが、飲み始めてすぐに主人は眼が据わり、表情がなくなり、食事に2時間もかかるようになり、よだれを流し、呂律は回らず、動きは大変にスローになり、ネクタイも結び方を忘れ、コンタクトも外せなくなり、まるで認知症のようになりました。

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そのため6月からhaloperidol 1.5mgが開始された。しかし幻聴は変化なく、むしろ呂律不良などのEPSが出現したためにbiperidenが追加された。

EPS = ExtraPyramidal Symptom (錐体外路徴候)  パーキンソン症状とほぼ同義である。

 

リスパダール1mg×2錠に変えても症状は全く変わらず、

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7月下旬より仮面様顔貌・流涎・嚥下困難などの症状が増悪、risperidone 2mgに置き換えとした。しかしEPSは改善せず、さらに1mgに減量した。

仮面様顔貌・流涎・嚥下困難などもEPSである。

 

秋から『人格破壊症状を露呈する薬を飲ませるなら、入院させてほしい』と訴え、約4ヶ月精神科に入院しました。

その後も幻聴およびEPSは持続するためX年8月31日、当科第2回入院となった。

 

その間、糖尿病がありますので、使える薬は限られるとのことでしたが幾つかを試した結果、主人の場合は他の方と違って、予想外の副作用が強く出るとのことで、ルーラン以外の投薬はできないとの見解でした。

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入院時にはrisperidone 1mg に減量後にもかかわらずEPSは持続しており、特に構音障害は著しく会話もままならない状態であったために risperidoneを中止とした。その後も幻聴は持続していたが巻き込まれはなく、日常生活に関しては自弁で行える状態であった。(中略) 幻聴に対しては第8病日よりperospirone 4mg を開始した。しかし精神症状に変化なく、むしろ貧血・下肢の浮腫などの身体症状が悪化したために一時的に身体科に転科となった。その後身体症状は保存的治療にて軽快。Perospirone 8mgに増量したところ、幻聴はやや小さくなった。第30病日より12mg に増量した。増量後2週間は特に変化はなかったが、第42病日頃より急激に仮面様顔貌・流涎・小刻み歩行などのparkinsonismが悪化。嚥下困難・構音障害も出現し、歯磨きなどの簡単な日常動作にも支障を来すようにった。そのため第48病日より8 mg に減量するも改善はみられず、コンタクトレンズの着脱やinsulin皮下注射も自力で行えない状態が続くため第53病日に全量中止とした。第55病日頃よりEPSは改善傾向。日常生活レベルについてはほぼ正常まで回復した。しかし「口が勝手にパクパクと動いてしまう」といった訴えには変化ないため、第72病日より遅発性ジスキネジアに対してビタミンE投与を開始した。その後幻聴は持続していたが、入院時に比べ改善した状態で維持された。また英字新聞を毎日読むなど集中力についても改善がみられ、試験外泊でも問題なく過ごせたため第114病日に退院となった。

論文には上記に続き考察が記されているが、一般論の記述を超えるものは何もなく、見るべき内容はないので省略する。

退院後は一日に4mg×2錠を服用していましたが、ルーランを飲んでいても彼は明らかに違うのです。思考力が落ち、自分から物事をしようとしません。結婚して以来、金銭の心配をさせたことがなかった私にすべて任せ、自分で考えようとしません。子供の教育費のことを考える様はするのですが、心配なのは自分の食べる事と、医者代のことだけです。『離婚しないで、最後まで面倒見てくれるって言ったよね。』とただこれだけが心配なようでした。幻聴を伴う統合失調症は若年期に発症するとのことで、主人の場合は、統合失調症様障害というものでした。

論文によれば、退院時にはルーランの服用は中止となっており、精神科Q&Aのメール記載とは不一致がある。
論文に記されているのは上記退院時までの経過にとどまる。
この後の経過は、 【1138】 に記されている。医学的にも非常に重要と思われる経過と結末であるが、おそらく論文出版後に起きたことなのであろう。

12. 2月 2014 by Hayashi
カテゴリー: コラム