精神科Q&A

 【1138】うつ病、幻聴、けいれん、そして原因不明の死


Q: 58歳で他界した主人のことでご質問します。主人は40歳時、何度かの十二指腸潰瘍をわずらい、胃1/2、十二指腸切除を切除し、以後起こった低血糖発作の末、48歳の時、内分泌多発性腫瘍 MEN TYPETと診断を受け、すい臓部分切除、副甲状腺の移植等、病院漬けの2年間を過ごしました。診断がついたときにはインシュリンを即始めねばならない状態でした。が、手の痺れ、口中ミミズが這うかんじ、という不快感は一向に改善されず、あるときは、それが痛みに変わることがありました。また約4年の仕事の出来ない状態は、主人を現実の厳しさに直面させ、なかなか仕事に就けない苦しさの中で『自分の経済価値がなくなっていく気がする。死にたい』と訴えました。(現役当時、彼は国際的な企業の代表をしており、男は仕事が出来なければ意味がないと全身に自信をみなぎらせている人でした)

それから6か月うつ病治療のため、大学病院に入院しました。回復期においては、『貴方の体力はもう普通の人の半分だと思って障害年金を申請してゆっくり生きる余生を考えたらどうでしょう』と勧める精神科医に『何を言うか。あの医者は何もわかっていない』と突っぱねる元気がありました。

退院後、呂律が回らない、話し方がおかしい等の障害はありましたが、それまでの貯蓄を使い、自らの会社を興しました。自分の会社という事に燃えて、以前の快活さを取り戻したかに見えました(約1年ほどですが)。先行投資だといって、3千万円ほどの投資をし、株にも大きく手を出しました。その間も胃潰瘍で2度ほどの入退院を繰り返しました。9・11のテロ事件以後仕事量が激減し、従業員も次々と辞めて貰わざるを得なくなり、会社を閉鎖し、またどこか会社勤めを捜さざるを得なくなり、ハローワーク通いを始めたのですが、年齢のためかなかなか思うような仕事に就けません。かなりのストレスがあったことは事実です。

 X年1月ごろより、幻聴が聞こえるようになった(自分を徳川将軍と呼べ。お前は役に立たないから死んでしまえ。耳が痒いからかけ等2、3人が話しかけたり、本を読めば先読みし、集中出来ない等、後には『娘(13歳)をレイプしろ』等の内容)とのことで、6月よりセレネースという抗精神病薬を飲み始めました。一日に、0.75mg×2錠という精神科医からしたら微量な量だそうですが、飲み始めてすぐに主人は眼が据わり、表情がなくなり、食事に2時間もかかるようになり、よだれを流し、呂律は回らず、動きは大変にスローになり、ネクタイも結び方を忘れ、コンタクトも外せなくなり、まるで認知症のようになりました。リスパダール1mg×2錠に変えても症状は全く変わらず、秋から『人格破壊症状を露呈する薬を飲ませるなら、入院させてほしい』と訴え、約4ヶ月精神科に入院しました。その間、糖尿病がありますので、使える薬は限られるとのことでしたが幾つかを試した結果、主人の場合は他の方と違って、予想外の副作用が強く出るとのことで、ルーラン以外の投薬はできないとの見解でした。退院後は一日に4mg×2錠を服用していましたが、ルーランを飲んでいても彼は明らかに違うのです。思考力が落ち、自分から物事をしようとしません。結婚して以来、金銭の心配をさせたことがなかった私にすべて任せ、自分で考えようとしません。子供の教育費のことを考える様はするのですが、心配なのは自分の食べる事と、医者代のことだけです。『離婚しないで、最後まで面倒見てくれるって言ったよね。』とただこれだけが心配なようでした。幻聴を伴う統合失調症は若年期に発症するとのことで、主人の場合は、統合失調症様障害というものでした。

そんな中でX+1年の夏のある日の午前2時、トイレに行こうとしてベッド脇でけいれん発作を起こしました。立ったまま、額からあごまで顔面全体をクッチャンおじさんのように激しくクチャクチャ繰り返し、腕から指先まで硬直して激しくけいれんをしています。眼は見開き、しかし、ことばを出そうとするのですが、声が出ない。低血糖発作とは明らかに異なります。10分ぐらい何を話し掛けても彼は声を出そうとするのですが、声が出ません。ベッドに寝かせてしばらくすると収まり、『今自分がどうなっていたかわかる』と聞くと『変な事をしていたよな』と応えました。数時間後起床して6時半ごろ朝食を食べようとすると、また先ほどの発作が起こりました。眼は据わり、顔面クチャクチャ、声が出ない。20分ぐらいして収まり、朝食を食べ、直後に吐き、しばらくして、またけいれん発作が起こりました。しばらくして収まり話せるようになり、一人電車に乗って医者に行こうとして、電車の中でまた発作が起こり、救急車でかかりつけの大学病院に搬送されました。約6時間後私が救急センターに駆けつけた時には、まだ20分おきぐらいにその発作の波が来ていました。けいれん止めを注射したとのことで、大きな顔面のけいれん発作は目立たなくなりましたが、発作が起こっているときは声が出なくなるので20分おきぐらいの周期で繰り返されている事がわかりました。土・日は脳波が取れないとのことで月曜日に取るという約束が引継ぎが悪く、水曜日に取り、もうなんらの乱れも発見されなかったとのことで、原因不明でした。てんかんではないとのことであり、CTの結果脳腫瘍も否定されました。救急車で搬送された時の血糖値は108だったそうです。このけいれん発作の原因と軽い肺炎のため約1ヶ月入院をし、様子をみました。私は素人考えでルーランのつもり積もった副作用ではないかと訴えましたが、否定されました。

彼の幻聴の原因もわからず、MEN TYPETに起因するものではないかという見方もあるようです。(過去において一例だけ症例があるそうです)
主治医の言うに、『抗精神薬を飲ませて、明らかな変化が出るのは、薬が効いている証拠です。けいれんとの因果関係は不明です』とのことでした。

X+1年の秋、セカンドオピニオンを受けた別の大学病院の精神科医は、主人と約1時間じっくり話した末、『この方は精神病ではありません。しかし、幻聴が聞こえる方に何の薬も飲ませないわけにはいかないので現在の主治医の処方にお任せするよりほかないのではないでしょうか』
とのことでした。

以後、1週間に一度ぐらいの割でけいれん発作が起こりました。けいれん中彼の意識はあるそうです。X+2年年初に起こったけいれん発作はそれは激しいもので、自分で口を引き裂いてしまうのではないかと恐れたほど怖いものでした。
そして、思うにけいれんが起こるたびに、彼の記憶、思考能力が落ちていっているような気がしました。

けいれん発作は時として不意に起こりましたが、彼の能面のような表情は次第に薄れるようになりました。この、あの、その、と指示語ばかりで単語が出てこない、物事に統合性がなくなるように感じられようになりました。目を閉じて口を開閉しながら、体が上下に揺れている様子も度々気になりました。

私は、彼の思考力が落ちていたと認識しているのですが、息子に言わせると『囲碁をしていても俺に勝つ時があった。パパの思考力は落ちてはいなかった。時々変な手を打つ時があったが、注意すると気付いて直した』と申します。(息子は囲碁三段です)

そんな中、地方の親戚の所に1人で行き(よく1人で行って来れたと思うようなとぼとぼした程でしたが)、ある風呂敷包みを『親戚からのお土産だ。俺の袋に入っていた』と言って持ち帰りました。見れば、親戚の預金通帳及び銀行印鑑一式でした。親戚は『いつもしまっておく引き出しが開いていた』と申しますが、彼は自分がそこから持ち出したことを全面否定します。確かな事は彼はその風呂敷包みの中身を何か全く知らないということでした。

また、冬には、私の手紙と脳のMRIを持参させ、別の大学病院へ1人行かせたのですが、『医者が見なかった』と言って私の手紙を封も切らず、持ち帰っていました。1週間後2人で受診した所『この患者さんは過日何のために来たのかさっぱりわからなかった。奥さんの手紙もMRIも患者さんは見せませんでした』と申し、主人は『見せましたよ。見せましたよ』と繰り返すのみでした。『この患者さんは、東大の大学院を出て、ハーバードでMBAを取ったと言っていますが本当ですか?』と失礼な質問をしてきました。この精神科医の明らかに患者を見下した対応に嫌気がさし、別の精神科医の外来に行こうとしていた矢先、決定的な終焉を迎えました。

それは、ある初春の日の早朝の事です。
昨晩の夕食が物足りなかったのか、私たちが起きる前にコンビニにパンを買いにでて、マンションのオートロックのドアの前で倒れていました。駆けつけた時はもう心臓は停止していました。

行政解剖の結果、MEN TYPETという持病を持ち、糖尿病があったため、当然検死医は低血糖を疑いました。しかし、直前にクリームパンも食べており、血糖値も400近くでした。
その後も専門的な細胞検査をしていただいているようですが、今もまだ原因究明中です。

そんな中で、彼の最後の瞬間をマンションのセキュリティービデオが全部撮影していました。
午前4時45分、100メートルほど離れたコンビニでパンを食べた主人がマンションのオートロック前に現れます。自分が鍵を持って出なかったことに気付きます。5mほど外に再び出るのですが、戻ってきて、部屋番号を押そうと右手を出しますが、なぜかすぐにやめます。代わりに、左手でオートロックのドアの取っ手を握って2,3回前後に強くゆすったように見えました。それとほぼ同時です。主人の上体が大きく上下に揺れました。左手はドアの取っ手を握ったままの状態で不意にカクカクと言う感じで上、下に3から4回大きく揺れそのまま脚を折り、壁に寄りかかり床タイルに正座するような形で倒れます。その後4時53分まで顔は時々かすかに動きます。手も多少動きます。が、その後動きは止まり、5時40分に他の居住者によって発見されるというものでした。

この衝撃的な死の前の晩、主人は、息子と囲碁をしながら、『いいかみてろ、パパは必ず復活して見せるからな』と言っていました。

主人の顔はまさに『無念だ!』というそのままの顔であったと息子は申します。
昨年7月に起こった原因不明のけいれん発作につながりがあると思っています。行政解剖医には、少しでも正確な死因が知りたいので、このビデオもお渡ししました。行政解剖医はそれを見て『形態学的に証明できない内因性急死』との解剖所見をお出しになりました
先生、主人が抱えてきた精神病(?)によって、あのように消滅的な死というものが起こりうるのでしょうか?
私は、主人の残した精神的な苦闘の中から未だに抜け出せないでいます。

10年前の大手術以後、再就職できない苦悩を抱え、うつ病にもなりました。しかし、その後幻聴が聞こえる症状が出てきたのにはどのような変異があったのでしょうか?

主人は、急死する前の数ヶ月はルーランを飲まない事もありました。しかし、いわゆる統合失調症の患者が適切な抗精神病薬を飲まないと凶暴になり、暴れるというよう症状は全く出ておりません。むしろ、あの強く男らしかった主人が、ひざまずいて『申し訳ない』と申しました。急死の5日前には、『俺はもう頭の中が真っ白だ。あんなに得意だった英語一つ出てこない』と申しました。

あれだけの大手術を受け、胃、十二指腸、膵臓、胆嚢、脾臓と5つの臓器を失っていた人でした。しかし、彼は最後まで『俺は絶対復活するぞ』とあの面変わりした風貌の中で気持ちだけを奮い立たせておりました。

数々のやるせない悔いはたくさんあります。
一言でいえば、私は妻として精神症状を呈した夫に思いやり深く寄り添えなかったと言う事です。死がこんなに早く来るとわかっていればどのようにも優しく接しられたのですが、先の見えない経済不安の中で私は『この主人の精神障害が2人の子供たちの将来に渡って脚を引っ張る事になったらどうしよう。』とそんな事ばかりを考え、主人をいたわってやる事が出来ませんでした。

林先生に今もっとも伺いたいのは、幻聴が聞こえるという病状を発した患者はいずれ皆主人のように言葉を忘れ、日常生活への適応性を欠き、あのようなけいれん発作を起こすようになってしまうのかということです。そして人格破壊を起こし、いずれ原因不明な死を迎えるのかということです。
複雑な症例でご迷惑をおかけしております。
私は、主人の幻聴と死の関連を知りたいのです。よろしくご回答いただけますことを心よりお願いをさせていただきます。

 

林: ご家族とご本人の苦悩が痛いほど感じられる、大変難しいケースです。回答は、できるだけ淡々と事実のみ重ねる形でいたしたいと思います。

まず診断ですが、最も考えられるのは、MEN type 1 (多発性内分泌腫瘍type 1)に伴う、症状性精神障害だと思います。うつも幻聴も、そしてけいれんも、その症状として矛盾はありません。MEN type 1は、その名のとおり、内分泌腫瘍が多発します。その結果、ホルモンのバランスが大幅に崩れます。ホルモンのバランスが大幅に崩れると、多彩な精神症状が現われる可能性があります。ご主人様の症状は、その現れとして理解するのが最も合理的だと思います。
以下、メールの記述を順に追ってみてみます。

また約4年の仕事の出来ない状態は、主人を現実の厳しさに直面させ、なかなか仕事に就けない苦しさの中で『自分の経済価値がなくなっていく気がする。死にたい』と訴えました。

うつの発症とみられるこの言葉は、4年間の闘病生活と、仕事が出来なかったことに対する、自然な反応とも考えられますし、症状性精神障害としてのうつとも考えられます。どちらともいえないでしょう。

退院後、呂律が回らない、話し方がおかしい等の障害はありましたが、

このような言語にかかわる症状は、実際にそれを耳にしてみないと、診断はつけにくいものです。「話し方がおかしい」とは、どのようにおかしかったのでしょうか。また、どのような薬を飲んでおられたのでしょうか。これらの情報がないと、この症状の意味は判断できません。

 X年1月ごろより、幻聴が聞こえるようになった(自分を徳川将軍と呼べ。お前は役に立たないから死んでしまえ。耳が痒いからかけ等2、3人が話しかけたり、本を読めば先読みし、集中出来ない等、後には『娘(13歳)をレイプしろ』等の内容)とのことで、

ひとことで幻聴といっても色々ありますが、この幻聴は確かに統合失調症の色彩が強いものです。抗精神病薬の投与開始は当然でしょう。

夏よりセレネースという抗精神病薬を飲み始めました。一日に、0.75mg×2錠という精神科医からしたら微量な量だそうですが、飲み始めてすぐに主人は眼が据わり、表情がなくなり、食事に2時間もかかるようになり、よだれを流し、呂律は回らず、動きは大変にスローになり、ネクタイも結び方を忘れ、コンタクトも外せなくなり、まるで認知症のようになりました。

これはすべてセレネースの副作用です。認知症とは無関係です。

リスパダール1mg×2錠に変えても症状は全く変わらず、秋から『人格破壊症状を露呈する薬を飲ませるなら、入院させてほしい』と訴え、約4ヶ月精神科に入院しました。

「人格破壊症状を露呈」というのは、冷静さを欠いた表現です。これはセレネース、リスパダールの副作用にすぎません。それも可逆的なものです。しかし、身体的にも疾患があることを考慮すると、入院して処方を調整するのは適切だったと思います。

その間、糖尿病がありますので、使える薬は限られるとのことでしたが幾つかを試した結果、主人の場合は他の方と違って、予想外の副作用が強く出るとのことで、ルーラン以外の投薬はできないとの見解でした。

この見解はおそらく正しいと思います。薬の量からいって、ご主人の場合は、「予想外の副作用が強く出る」といえます。

退院後は一日に4mg×2錠を服用していましたが、ルーランを飲んでいても彼は明らかに違うのです。思考力が落ち、自分から物事をしようとしません。結婚して以来、金銭の心配をさせたことがなかった私にすべて任せ、自分で考えようとしません。子供の教育費のことを考える様はするのですが、心配なのは自分の食べる事と、医者代のことだけです。『離婚しないで、最後まで面倒見てくれるって言ったよね。』とただこれだけが心配なようでした。

これは副作用ではないと思います。症状性精神障害の症状とみるのが自然でしょう。

幻聴を伴う統合失調症は若年期に発症するとのことで、主人の場合は、統合失調症様障害というものでした。

幻聴を伴う統合失調症は若年期に発症する」というのは誤りで、「幻聴を伴う統合失調症は若年期に発症することが多い」というのが正しい表現です。ですから、ご主人が統合失調症でないと断言することはできません。「統合失調症様障害」というのが医師の正確な言葉かどうか、疑問がありますが、「統合失調症に類似の症状」という意味での説明であったと推定されます。

そんな中で昨年の夏のある日の午前2時、トイレに行こうとしてベッド脇でけいれん発作を起こしました。立ったまま、額からあごまで顔面全体をクッチャンおじさんのように激しくクチャクチャ繰り返し、腕から指先まで硬直して激しくけいれんをしています。眼は見開き、しかし、ことばを出そうとするのですが、声が出ない。低血糖発作とは明らかに異なります。10分ぐらい何を話し掛けても彼は声を出そうとするのですが、声が出ません。ベッドに寝かせてしばらくすると収まり、『今自分がどうなっていたかわかる』と聞くと『変な事をしていたよな』と応えました。

ご主人の症状の中で、もっとも判断が難しいのはこの「けいれん」です。
この記載からすると、「けいれん」(カギ括弧をつけたのは、本当にけいれんと言えるかどうかが不明なためです)は、顔から始まり、腕から指先におよんだとのことですが、左右差はあったのでしょうか。つまり、腕や手は、左右対称に同時に起きたのでしょうか。それともそうではなかったのでしょうか。
それから意識の問題です。
『変な事をしていたよな』と応えました。
という記載からは、けいれんの時に意識がどこまではっきりしていたかが不明です。これは診断上重要なポイントになります。しかし、メールの後の記載をみますと、常に意識ははっきりしていたようですので、一応ここでもはっきりしていたと仮定しましょう。
 それと上記の左右差、これも記載からはどちらかというと左右差はなかったと推定されます。
 さらには、けいれんとしては長い持続時間があったのにもかかわらず、ずっと立っていたという事実。
 加えて、どの時期にも脳波異常は認められなかったらしいこと。
 これらを総合すると、この症状は医学的な意味でのけいれんであったとは思えません。
 むしろ考えられるのは、けいれん以外の筋肉の不随意な運動で、たとえば攣縮と呼ばれるものです。攣縮は、体液の電解質の異常などが原因で起こる可能性があり、そしてこの異常は、MEN type 1により起こりうるものです。

私は素人考えでルーランのつもり積もった副作用ではないかと訴えましたが、否定されました。

ルーランの慢性的な副作用の可能性はまずありません。

彼の幻聴の原因もわからず、MEN TYPETに起因するものではないかという見方もあるようです。

すでに申し上げたとおり、幻聴以外でなく、症状のすべてが、MEN type1によると考えるのが最も合理的だと思います。ですから「見方もある」のではなく、それが最も考えられます。
 これもすでに申し上げたとおり、MEN type1で幻聴などの症状が出ても全く不思議はありません。実際には、そうした症例の論文は少ないようですが、最近ではたとえばこれがあります。

X+1年の秋、セカンドオピニオンを受けた別の大学病院の精神科医は、主人と約1時間じっくり話した末、『この方は精神病ではありません。しかし、幻聴が聞こえる方に何の薬も飲ませないわけにはいかないので現在の主治医の処方にお任せするよりほかないのではないでしょうか』
とのことでした。


この精神科医にどのような形で依頼されたのかが不明ですので何ともいえませんが、ご主人のようなケース、すなわち、精神症状の原因となり得る身体疾患をお持ちのケースでは、「じっくり話す」だけでは診断は不可能です。それが1時間だろうが2時間だろうが同じことです。話しをしただけで「この方は精神病ではありません」と説明するこの精神科医の診断態度は、甘いと言わざるを得ません。しかしそもそも「精神病」という言葉の意味は曖昧なので、単にあなたを安心させるためにこのような説明をされただけかもしれませんが。

以後、1週間に一度ぐらいの割でけいれん発作が起こりました。けいれん中彼の意識はあるそうです。X+2年年初に起こったけいれん発作はそれは激しいもので、自分で口を引き裂いてしまうのではないかと恐れたほど怖いものでした。
そして、思うにけいれんが起こるたびに、彼の記憶、思考能力が落ちていっているような気がしました。


けいれんそのものが原因で、記憶や思考能力が落ちることはまず考えられません。むしろ、けいれんの原因である(おそらくは)MEN type1による内分泌異常が進行し、その結果として記憶や思考能力が落ちたと考えるべきでしょう。

私は、彼の思考力が落ちていたと認識しているのですが、息子に言わせると『囲碁をしていても俺に勝つ時があった。パパの思考力は落ちてはいなかった。時々変な手を打つ時があったが、注意すると気付いて直した』と申します。(息子は囲碁三段です)

囲碁の強さだけで思考能力が落ちたか落ちていないかを判断することは出来ません。息子さんの見解は希望的判断にすぎず、あなたのご判断が正しかったと思われます。

そんな中、地方の親戚の所に1人で行き(よく1人で行って来れたと思うようなとぼとぼした程でしたが)、ある風呂敷包みを『親戚からのお土産だ。俺の袋に入っていた』と言って持ち帰りました。見れば、親戚の預金通帳及び銀行印鑑一式でした。親戚は『いつもしまっておく引き出しが開いていた』と申しますが、彼は自分がそこから持ち出したことを全面否定します。確かな事は彼はその風呂敷包みの中身を何か全く知らないということでした。

このエピソード、そして大学病院を受診して何だかわからないまま帰宅されたというエピソードは、いずれも、ある種の意識障害が生じていたことによるのでしょう。そしてそれも内分泌異常の症状として矛盾はありません。

それは、ある初春の日の早朝の事です。
昨晩の夕食が物足りなかったのか、私たちが起きる前にコンビニにパンを買いにでて、マンションのオートロックのドアの前で倒れていました。駆けつけた時はもう心臓は停止していました。
彼の最後の瞬間をマンションのセキュリティービデオが全部撮影していました。


ビデオに残された最期の映像は、ここまでご説明してきた延長線上の症状と理解しうるものです。

しかし、以上はすべて、メールに記載された症状だけに基づく判断であり、行政解剖とその後の検査所見に基づけば、これらの臨床症状について、全く別の見方が出てくるかもしれません。そちらの見解がはるかに信頼性が高いことは言うまでもありません。

林先生に今もっとも伺いたいのは、幻聴が聞こえるという病状を発した患者はいずれ皆主人のように言葉を忘れ、日常生活への適応性を欠き、あのようなけいれん発作を起こすようになってしまうのかということです。そして人格破壊を起こし、いずれ原因不明な死を迎えるのかということです。

幻聴を原因とする、この因果関係の見方は誤りであるとはっきり言えます。
 幻聴そのものではなく、幻聴のさらにその原因となった疾患が、「けいれん」や思考力低下、さらには死につながったと考えるべきです。その疾患とは言うまでもなくMEN type1です。

MEN type 1 自体が稀な疾患であり、そしてMEN type 1でこのような精神症状が出て、しかも一命を失うことは、きわめて稀なケースと言わざるを得ません。ご本人とご家族のご不幸と苦悩は推察を超えたものであると思います。しかしこの回答は事実のみを記すことに徹しました。その理由は、質問者の方に、これからすべきことがあるからです。

それは、二人の息子さんたちについての慎重な対応です。MEN type1は遺伝性疾患です。おそらく息子さんたちの検査はすんでおられることとは思います。そして検査所見が陽性であれば、今後、症状の出現がないかどうか慎重に観察し、もし何かあったときには迅速に対応されることが、ご主人様の病歴を生かすことになると思います。たとえば、上記の論文のケースは、最初に精神症状が出て、それがMENによるものとわかるまでに10年経過しています。このように、予期しない症状で初発することがあり得るということも、十二分に注意する必要があります。質問者とご家族の皆様が、事実を冷静に認識され、幸福な生活を送られることを願っております。


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