【5010】おかしな人に対する社会全体の取り扱い方について

Q: 10代男性です。
一般におかしな人だと思われる人々が皆精神病に罹っている訳ではないですが、この文中のおかしな人という言葉が指す人々は、統合失調症をはじめとした精神病に罹っている変な言動をする人に限定したものとして考えて頂きたいです。

現代社会に住む人々がおかしな人に遭遇した時の対応は大きく分けて面白がるか嫌悪感を抱くかの2種類に分かれると感じています。SNSに拡散されたおかしな人が公衆の面前でおかしな言動をしている動画ではそれを面白がるコメントが大多数を占めていますし、その現場に立ち会っている人々はほとんどが面白がって笑うか嫌悪感を抱き無視しているかどちらかの立場をとっていると思います。

しかし、ここで1つ疑問点があります。現代社会が差別やそれに準じたもの(例を挙げると人種差別や性的指向、障碍者に関するものが最もメジャーだと思います)に極めて敏感になっていると僕は感じていますが、おかしな人に対して見識(差別等をしてはいけないという見識)を持つ人は少ないと感じています。先述した障碍者の例で、身体障害者や知的障碍者に対してなんらかの問題意識を持つ人が多い中で、おかしな人に対する問題意識を持つ人は少なく、そのような人に遭遇したらただ本能的に面白がったり嫌悪感を示すといった行動を示す人が多いように思います。つまり、おかしな人にはあまり触れずにそういう人がいたら極力関わらないか変な言動を笑うかといった程度に留めておこうといった考えを持つ人が多いというのが現状だと考えています。そして、おかしな人に対する見識を持つ必要性もほぼ無いようなものとして扱われていると感じています。しかし、おかしな人に対する世間の見識がここまで少ないままで良いのかという事に対しては少々疑問に思うところがあります。

ここまでの僕の認識が間違っているのならばこれは元も子もない質問ということになるのですが、普段からおかしな人と接する機会が多いであろう林先生はこの現状に対してどう考えるのか(現状のままで問題ないとか問題だとか)ということについて伺いたいです。回答を心待ちにしています。

 

林: 深い洞察を感じさせるご質問をありがとうございました。

おかしな人に対して見識(差別等をしてはいけないという見識)を持つ人は少ないと感じています。

メール全文から見ますと、このシンプルな一文には、次の二層構造を読み取ることができます。第一に、身体障害に対しては「差別してはならない」「配慮すべきだ」という社会的合意が比較的形成されてきた一方、精神病(統合失調症等)により奇異に見える言動が現れている人に対しては、面白がり・嫌悪・排除といった差別がなお広く見られるのではないか、という問題提起です。
そして第二は、

先述した障碍者の例で、身体障害者や知的障碍者に対してなんらかの問題意識を持つ人が多い中で

という一文にかかわる重要な点です。すなわち質問者が精神病に対比する対象として身体障害“だけ”ではなく、身体障害に加えて知的障害も含めた広い範疇として置かれている点が重要です。そこには、精神病も知的障害も、広い意味では脳機能の偏り・障害と関係し得るにもかかわらず、社会一般の差別意識は精神病に対してより強く表れやすいのはなぜか、という「さらに深い問い」が含まれていると解することできます。

質問者の疑問は正当だと思います。ではなぜこのような事態が発生し、しかも続いているのか。背景は次の4点に集約できるでしょう。

1. 「精神病の症状」は「その人の中核(人格)」と認識されやすい一方、身体障害や知的障害は「その人の中核(人格)は保たれている」と認識されやすい
身体障害は「身体のある機能が損なわれている」と理解しやすく、知的障害もまた「学習・判断・適応などの能力面に制約がある」という枠組みで理解されやすい傾向があります。ここでは、少なくとも表面上は「本人の人格そのもの」ではなく「能力や機能の問題」として捉えられやすい。
他方、精神病症状(特に「おかしな言動」と描写されやすい症状)が前景化すると、周囲はそれを「症状」ではなく、「その人の内面・性格・価値観そのもの」と受け取りがちです。つまり、精神病も知的障害も「脳由来」という意味では同じであっても、社会の受け取り方としては、精神病のほうが「その人そのものが危うい/不可解」と感じられやすく、そこで排除反応が強まりやすい、という構造があります。

2. 予測不可能性の印象が、精神病に対してはとくに強く生じやすい
知的障害については、周囲が「一定の支援で安定する」「関わり方の型がある」といった見通しを持ちやすいことがあります(もちろん個人差はあります)。少なくとも一般社会では、「対応の仕方が想像できる」ことが多い。
一方、精神病の急性期や症状が目立つ局面では、第三者には言動の理由が見えにくく、また状況によって変動することもあり得るため、周囲が「何が起きるかわからない」と感じやすい。人は本能的に、理由が分からず予測もしにくい対象に不安や恐怖を抱きやすく、その結果として距離を取る、排除する、嫌悪する、といった反応が出やすくなります。ここに偏見(=「危険だ」という短絡)が結びつくと差別が増幅します。そして、発生率としては低くても、現に精神病症状によって他人に害をおよぼすことがあるという現実が、差別をさらに増幅させることは否めません。

3. 「責任」や「意図」をめぐる誤解が起きやすい
知的障害に対しては、社会的に「本人の努力だけでは埋めにくい制約がある」という理解が比較的共有されやすい面があります。結果として、失敗や不適応が起きたときも「本人の悪意」より「支援の不足」へと解釈が向かいやすい。
これに対し、精神病の言動は外からは「意図的」「性格的」に見えてしまうことがあり、本人がコントロール困難な症状であっても、「わざとやっている」「変な人だ」と誤解されやすい。つまり、「能力の制約として理解される方向(知的障害)」と、「人格や意図の問題として誤解される方向(精神病)」で、社会の認知が分岐しやすいのです。

4. SNS環境では、精神病の「目立つ症状」が「ネタ化」されやすい
SNSでは匿名性や「ウケ」の構造により、強い違和感を伴う映像・言動ほど拡散されやすいという側面があります。精神病の症状は、本人にとっては苦痛であっても第三者には「異様さ」として映りやすく、結果として嘲笑・晒しが起きやすい。これは差別の強度を実質的に高めます。

この【5010】のご質問が「深い洞察を感じさせる」のは、精神病を「身体障害」だけでなく「知的障害」とも比較している点にあります。同じく「脳由来」の困難であり得るにもかかわらず、精神病は人格・意図と結びつけて誤解されやすく、予測不可能性の印象やSNSでのネタ化によって差別が増幅されやすい。この構造が、差別の強度差として現れていると考えられます。

しかし【5010】の質問者はもしかすると「そんなことはわかっている」とおっしゃるかもしれません。【5010】の質問者の真の質問が

普段からおかしな人と接する機会が多いであろう林先生はこの現状に対してどう考えるのか(現状のままで問題ないとか問題だとか)ということについて伺いたいです。

であることは、質問文全体の構造からも明らかです。この「真の質問」に対する私の回答は、SNSに関することは別として(SNSに関することとは上記4.を指します。上記4.が問題であることは自明というべきでしょう)次の通りです:

この現状を人々が認識することがまず必要である。「現状のままで問題ないとか問題だとか」は、その認識をしたうえで、人々が考えることである。

そしてこれは【5000】の回答にも集約されています。

(2026.1.5.)

05. 1月 2026 by Hayashi
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