【4432】私は発達障害あるいは精神疾患だったのでしょうか
Q: 20代女性です。最近林先生のこちらのサイトを知りました。幼少期から自身の精神面について気になっていたことがあり、メール致しました。誰にも話せず長年ひとり抱えておりましたので、お読みいただけるだけでも構いません。
先に質問したいことを簡潔に申しあげますと、
「自分は発達障害や精神疾患があったのではないか」
そして、
「あったとしたら自分で克服したのか。否、今もその影響や弊害が残っている、もしくは継続しているのではないか」
この二つです。
もし返信を頂けるならば、客観的な意見を賜わりたく存じます。例え病気でも、病気ではなくても、ただ事実だけを知りたいのです。
幼少時からの記憶を追っていますので長文になってしまいますが、以下に私が今思うと異常だったのでは?と思う行動や出来事を中心に、詳細を記します。途中脱線気味な点もありますがお許しください。
我が家は平均よりもかなり貧しい家庭でしたが、世話焼きな両親と4歳下の病弱ながら(今ではすっかり健康体です)可愛げのある弟に恵まれて育ちました。
小学校に入るまでは両親や幼稚園の先生の言う事に反抗したり、時折他の園児と喧嘩をする問題児ではありましたが、取り返しのつかない大きなトラブルを起こすなどはありませんでした。
但し、何にでもこだわりが強いところ変化があると適応出来ない(給食の皿の配置が違うだけでもイライラしてヒステリックになったり、先生が変わると尚更言うことをきかなくなる)面がこの頃からありました。
小学校に入り、1年から3年生まで同じ先生に持たれました。私はその先生をとても信頼していました。とある日の算数の授業中、担任がわざと(低学年でも明らかに分かるような)間違えた式を書きました。そして教科書と先生どちらの書いた式がどう間違っているか、と問われた時、先生が間違えるはずが無い!先生が正しいんだ! とクラスでひとりだけ主張し、驚いた先生に私のやり方が悪かったね、ごめんねと謝られました。テストはいつも100点を取っていたので頭が悪かった訳ではなく、自分が信じた、「先生は常に正しい」ということを意地でも曲げられなかったようです。
クラスメイトが異質なものを見る目で私を見ていたことを覚えています。4年生になり担任が変わると、精神的に不安定になりました。その担任に私の書いた作文が稚拙だと(しかし作文では度々賞を貰っていました)言われたこともあって、更に嫌悪を抱くようになりました。反抗的な態度をとり、困らせてやろうと同級生同士でのトラブルも起こしました(気に入らないクラスメイトに嫌がらせをしました)。
その担任も頭にきたのか、問題を起こした私を呼び出し、「あなたが頭が良いが、人格に難がある」と指摘しました。担任は保護者面談で母に私の悪事について話し、父と母は怒るというより困り果てていました。私にとって担任は困ろうが怒ろうがどうでも良かったのですが、親が悲しむのは心が痛んだため、一旦は問題行動を起こさないようになり、優等生になろうと努めました。成績が良かったからか発言がハッキリしていたからか、クラスではリーダーシップを取る場面もよくありました。
一方で、この頃から他人を非常に怖がったり、避けるようになりました。
町内別に近所の家に学校便りを持っていく係がありまして、学年が上がりその係になると、嫌だ、行きたくない、こわいと叫び家の隅で泣きじゃくりました。弟もまだ幼いながら喚き机に突っ伏す私の姿に困惑していました。母は「あんたは異常者だ!頭おかしいんじゃないの!?」と怒鳴りました。それは今までかけられたどの言葉よりショッキングでした。今も時折その言葉を思い出すと過呼吸になったり胸が苦しくなり、母への激しい憎悪に駆られます。後で言い過ぎたという謝罪の手紙をもらいましたが許す気は起きませんでしたし、これからも一生許す気はありません。
しかし結局泣き止んでからお便りを配りに行くと、なんでもない事なのに何故あんなに恐怖していたか分からず、自分でもやはり私は頭がおかしいのだろうかとひどく狼狽しました。
また、仲のいい友人が数人ほどいましたが、時折避けたり一緒に下校することを拒むことがありました。嫌いなわけではないのに、何故か怖くなって遠ざけてしまうのです。家に遊びに行っていいかと言われたことがありました。その時はいいよと言ったのに、いざ遊びに来ると嫌だ、来ないでほしい、帰ってほしいとまた家の隅に籠り泣き喚きました。友人達は困ったように帰っていきました。自分でもなんでそんなことをしたかよく分かりません。
また、気軽に話せる・遊べるクラスメイトがいるにも関わらず、休み時間は同級生たちから逃げ、使っていない家庭科室や理科室の隅に座り込んで隠れて震えていることもよくありました。たまたま上級生に見つかりどうしたの?と聞かれると、友達がいないの、と言いました。自ら友達から逃げていることを知られたくなくてそんなことを言っていましたが、今思うとどちらも惨めなことに変わりはありませんでした。
高学年で再び問題が起こりました。今度は私が嫌がらせやいじめの対象になりました。加害者はクラスの男子ほぼ全員でした。当時の担任が加害者たちに動機を問い詰めると、私が貧乏くさいこと(服装や所持品が安物ばかりでボロボロなのが目立ったという)や、言動・行動が時々異質なこと、箱でティッシュを持ってきている(慢性鼻炎でした)のにくれと言ったら自分でも持ってきた方がいいのでは?と言われケチられたことが頭にきたという理由や、一部は私から攻撃的な発言(弱虫、軟弱者、など) をされたことへの復讐目的だという子もいました。
担任からは、被害に遭うような行動や素振りをした私も悪いと言われ、やはり私が異常だから悪いのか?と頭が痛くなりました。女の子たちは私を守ってくれて、この時は両親も私の味方でいてくれたので辛うじて不登校などは免れましたが、ますます他人を怖がるようになりました。
しかし中学生になっても、他人を遠ざけて怖がる癖が治りませんでした。寧ろ悪化していた気がします。成績は3年間トップで、学級委員・学年委員や部活(美術部)の部長を務める、部活の作品で毎年受賞するなど、人より優れている所を自分で誇りに思えることもありました。一方、また嫌がらせに遭っているのではないかと些細なことでも(廊下に掲示していた自分のレポートが少し破れていたりするなど)悩み怖がって両親に相談したり(結局なんでもありませんでした)、自分が何のために生きているかが段々分からなくなって、「どうして生きているのか悩んでいる」と度々日誌に書いたり(担任は「またそれか」と返しまともに取り合いませんでした)、また休み時間に友人や同級生たちから遠ざかり、毎日一人で図書室や使われていない教室に籠るようになりました。どうしても自分から孤独になりたくなるのです。
また、学級委員として頼られてはいましたが、上手くいかないと逆上して涙目で怒鳴ってしまったり、修学旅行の部屋割りの案が皆バラバラで纏まらず、結局出席番号順にしたことを非難されて陰口を叩かれたり(ひそひそ声で「鬼だ」などと言われた)もしました。
高校生になると勉強に集中するようになり、精神的に安定するようになりましたが、やはり人から遠ざかろうとする癖は治らず、休み時間は独りでいることに安心感を抱いていました。今度は家族さえも疎ましくなり、家に帰りたくないと思うようになりました。
地元の国公立に難なく受かり大学生になりましたが、何も希望が見い出せず、なんのために生きているかまた分からなくなりました。毎日が苦痛でした。家に帰りたくないし、学校にもいたくない。急性胃腸炎を起こして急患センターに運ばれたり、朝、テーブルに用意されたご飯を見るとかえって吐き気を覚えるくらい食欲不振になったりしました。学習意欲さえ低下し、成績が赤点で補習するケースも増えました。新しくできた友人もやはり信用出来ず、なるべく遠ざけました。私も運が悪いのか、出来た友人のうち一人は酷い嘘つきで、私や他の友人に持病が悪化した・体調不良だと言い休んで出席簿を書かせ、実際は男と遊びに行っていた(SNSで写真を挙げてバレていた)り、私のノートを借りて写真を撮り、暗記に役立てると言いながらカンニングに使ったり(これもクラスで何人も目撃しておりバレていた)する輩で、私は尚更人間不信に陥るようになりました。(後にその輩は卒業間際に消息を断ちましたが)
両親に学費は負担させまいと、学費免除の上に奨学金を借りた上に、通学費(1時間半~2時間近く電車に乗る距離で、かなり高かった)を稼ぐために大学1年生でファストフード店の接客のバイトを始めました。
最初は本屋のバイトをしたかったのですが叶いませんでした。というのも、近所の本屋のバイトなら無理なく出来そうなので応募し、それを報告したところ、「何を考えているんだ」、「帰りの時間が遅い(とはいえ10時くらいでした)から我が家の生活時間に合わない」、「行かせることはできない」と猛反対されました。自分なりに負担をかけないようにと考えたことが、褒めるどころか全面的に否定され非難されたことに猛烈に腹が立ちました。私はもういい歳なんだからそんなに束縛ばかりしないでほしいと言いました。すると束縛というワードが両親の逆鱗に触れたらしく、母は突然涙を流しながら激昂し、今までに無いくらい甲高い声で、「私だって頑張ってきたのに、あんたは!」と私を何度も叩いて喚きました。父は頭を抱え、溜息をつきながらなにかブツブツぼやいていました。私は叩かれたことより、激しく糾弾されたことより、親に話が通じないことに恐怖と絶望を覚え、全身が震えて涙が出ました。ショックからか横隔膜が痙攣してしまい、しゃっくりのようになって呼吸がままなりませんでした。母が狂ったように泣き叫ぶので、「私が悪いんです、気の迷いでした、すみませんでした」と心にも無く謝罪すると、ようやくその場は収まりました。大学に入ってからは両親と口論や喧嘩になることが増えていた(その度に年甲斐もなく部屋を滅茶苦茶に荒らしたりもしてしまいました)のですが、この辺りから、幼少期から高校生までは揺らがなかった両親への尊敬や信用が一気に冷めていきました。家族からはますます逃げたくなりました。一人暮らしができないことを悔やみ、また、私が勉強している時に弟が私の部屋で(弟にはちゃんとした自分の部屋というものがなく、私の部屋に転がり込むことが多かったのです)スマホをいじって転がっていると、踏みつけたり殴りつけたいという暴力的な衝動に駆られたり、果てには死んでしまえと思うようになりました。なんとか抑えて冷静になると、あんなに可愛がっていたのに、なんてことを、と後悔して布団の中でひっそり泣きました。
さておき、ファストフード店のバイトは土日の日中帯で出来るので気持ちを切り替えてチャレンジしました。他人が怖いのに大丈夫かと心配でした。案の定最初はまともに挨拶もできず、注文ミスも繰り返して、行きたくない怖い休みたいとバイト先近くの駅の待合室で蹲りながらも、自分の決まったシフトだから行かねば、と自らを激励して行き続けました。すると徐々に慣れていき他人にあまり恐怖しなくなり、能力が認められるようになりマネージャーや店長にもよく褒められていました。しかし2年ほど続いたあたりで、自分でもなぜだかよく分からないのですが、急激にやる気がなくなり突然やめてしまいました。サークルの類には一切入らなかったので、バイトを辞めたあとの長期休暇は家でずっと寝込みました。勉強するでもなく、新しいバイトもせず、何の意欲も湧かず、昼近くまで寝て、寝ることさえ飽きた頃に起きて、バイトをしていた頃に買った画材でちまちまと絵を描くくらいでした。それさえも創作意欲というよりは惰性でした。自分ではこんなのは良くないと分かっていながら、漠然とした絶望と不安に包まれた状態が続き、死んだような生活がやめられませんでした。母はあんた最近どうなってんの!?いい加減にしなさいよ!と怒り狂い、私を怒鳴りつけました。就活前後には私の無気力はますますエスカレートしました。就職先も、採ってもらえればいいやと確実に受かりそうな所を受けました。また、そこなら地理的に確実に一人暮らしをすることになるのも見越して受けました。
そして今に至り、一人暮らしをし、就職先では2年目を迎えています。家族や友人から離れてひとりの時間が圧倒的に増えたからか、精神的に今までに無いくらい安定しました。学生時代のように人間不信に陥って自ら孤立することは無くなりました。先輩たちは優しく、コロナ禍前には仲良く飲みに行き、今もまた行きたいねと話す仲です。仕事も覚え、上司にも働き者だと言われるくらい頑張れています。家族には週末など時々会いに行きますが、心に余裕が生まれたからか怒鳴り合ったり暴力的な衝動が生まれたりすることは無くなり、優しく接することができるようになりました。
しかし、また以前のように人を忌避したり、急激にやる気を失って仕事や勉強を辞めてしまわないか心配になることがあります。意欲低下についてはこれといったきっかけが無くそうなったので、また突然ならないか不安です。そして、やはり自分は異質な人間なのではないかと悩んでしまうことがよくあります。ほんのちょっとした人とのズレやコミュニケーションが上手くいかないだけでも、そう考えてしまうのです。
まだ思い出せていない事項もあるかもしれませんが、しっかりと記憶に残っている自分の行動については以上の通りです。これらの中に、精神疾患や発達障害を疑うようなものはありますでしょうか?
ちなみに家族や他人から精神疾患を疑われたことはなく(彼らの内心はどうだか分かりませんが)、そのため精神科を受診した事はありません。大学生の時に、自らメンタルクリニックに行ってみた方が良いのだろうかと悩んだ事はありましたが、就職に万が一精神疾患の診断が為された場合、就職が難しくなるのではと恐れて結局行きませんでした。
拙い文章であまりに情報に足らぬやもしれませんが、ご回答いただけた際には、どうぞ率直なご意見をよろしくお願い申し上げます。
林: とても詳細にこれまでのことについてご記載いただきありがとうございました。ご質問の、
精神疾患や発達障害を疑うようなものはありますでしょうか?
に対する答えは明確で、あなたは発達障害だと思います。
ただし、精神科Q&Aの回答でも度々記してきたとおり、発達障害という概念は実のところ曖昧です。つまり、何をもって発達障害と確定診断するかについて決定的なものはありません。もちろん非常に重症で社会生活が困難な場合は別ですが、この【4432】のレベルですと、発達障害と診断することもできますし、発達障害の傾向があるにとどまると診断することもできます。ここで、質問者としては、ご自分は「社会生活が困難」と認識されているから「非常に重症」と言えるのではないかという疑問をお持ちになるかもしれませんが、ここでいう「社会生活が困難」というのは、この【4432】よりもはるかに困難なものを指しています。
すると、この回答の冒頭に、「答えは明確。あなたは発達障害」と記したのは矛盾ではないかという指摘が成立することになり、その指摘は正当ですが、それでも発達障害であると明言したのは、どこかに線を引かなければ(つまり「非常に重症」でなくても発達障害と診断する線を引かなければ)、発達障害という診断は限定的なものになり、限定的にすることは現代の医療の標準的な考え方からはかけ離れるものになるからです。では線を引く位置をどう決めたのかと問われれば、それは定義できませんので、個人的な見解にすぎないと言われればその通りとお答えする以外にありません。
それでも説明らしきものを加えるとすれば、この【4432】は、学校の成績は非常に優秀=一般的な意味では知能は高い のに対し、それとは著しく不均衡に対人関係に問題があることが、発達障害であると言える主たる根拠です。
発達障害であっても、現在の状態、すなわち、
就職先では2年目を迎えています。家族や友人から離れてひとりの時間が圧倒的に増えたからか、精神的に今までに無いくらい安定しました。学生時代のように人間不信に陥って自ら孤立することは無くなりました。
という状態からは、治療を要するとは言えないでしょう。周囲の方々も、まさかあなたがこのようにお悩みであるとは全く想像できないでしょう。
このようなケースは、そのまま問題なく(自覚的にはともかく外見的には問題なく)ずっと経過することもありますし、どこかの時点で問題が顕在化することもあります。仮に顕在化しますと、「発達障害の特性を視野にいれたカウンセリングを受けるなどの支援をもっと早く受けていれば、こんなことにはならなかった」とされるのが常ですが、顕在化するかは現時点ではわかりませんし、そもそも発達障害を支援する社会資源が豊富ではありませんから、現時点で支援を求めることが適切かどうかは何とも言えません。
(2022.1.5.)