【4418】当事者としての「統合失調症当事者の症状論」へのコメント
Q: 30代男性会社員、診断名は統合失調感情障害の者です
先生の著書「統合失調症当事者の症状論」の内容について当事者として思うところをコメントします
1章 幻聴論 と2章 幻視論について
著書内では幻聴系・幻視系という言葉を使って幻聴と幻視をそれぞれ包括的に扱った上で、報告例として幻聴の方が数が多いことが、幻聴が統合失調症の主たる症状ということになっているのではないかと記述されています。
当事者としてはまさに著書内にある通り「言語化すると”聞こえる”」という言い方になるだけであり、実際の主たる症状は幻視の方ではないかと感じます。つまり、極めて伝わりにくい表現ですが「意味が視覚的に見える」のです。
しかし、一般に視覚によって認知されるのは物体であり意味ではないので脳による認識の過程で聞こえると解釈されるのではないかと考えています。
具体例を示すと本を読むときに文字列から意味や文脈が見える感覚が近いかもしれません。私は本を読むときに常に脳内で発声しています
つまり、まさに著書にあるように幻聴・幻視は幻聴系・幻視系と呼ぶべきであり、しかも現実でないものが認知されてしまうという巨大な系ではないかという仮説を立てています。
この系において認知のベースが音声なのか視覚なのかは断言できませんが、個人的には一般的にいわれていることと異なり、実は「意味や意図が見える」という視覚ベースで幻覚が構成されている気がします
3章 妄想論について
個人的に妄想を行う・継続することに脳のリソースを取られるから統合失調症による意欲の低下や思考力の低下が現れるのではないかという感覚はありますが、おそらくこれを医学的に示すのは不可能であろうと思われます
4章 他律論について
他律論の内容については当事者として概ね同意です
その上で私の個人的な感覚に依存した仮説を提示いたします
統合失調症とは、脳がSplit Brainになった状態である
用語の定義をします。Split Brainとはコンピュータ用語で、決定権のあるコンピュータが複数接続されお互いに勝手に判断するためにどのコンピュータの判断を採用すればいいのか決められなくなる状態のことです
人間の脳にCPUが複数ある状態だと言えばいいのでしょうか(健常な人間のCPUは1つ)
この定義では統合失調症患者の思考力の低下は説明できます(例えば脳のCPUが2個になっただけでも本来の50%まで思考力が落ちる)
また、それぞれのCPUが脳内で独立していると考えると、CPU-Aに対する他律をCPU-Bが担当することで、脳全体として他律論に基づく統合失調症の要件を満たすことができます
これはあくまでも私が感覚から導き出した仮説にすぎず、何のエビデンスもありません
具体的には、仕事であれとこれとそれを同時にやって~というマルチタスクをしているときに、脳が妄想状態にあるときと極めて近い感覚を示すことからたどり着いた仮説です。どのような感覚かといいますと段々思考が平坦になっていき、入力に対し自動化されたアウトプット(=私の語彙における妄想と同義)を出力していくようになるということです
個人の脳にCPUが複数あり、しかもそれぞれのCPUが相互にやり取りできず個別に『思考』しているとすれば、CPU-Aから見ればCPU-Bはぜんぜん違うことを考えているわけで、それがCPU-Aの視点で認識されたときにそれは『幻聴』『幻覚』『妄想』と解釈されざるを得ません(自分と異なる考えが自分の内側から湧いてきたことになるから)。その一方で脳のCPU-Aから見ればCPU-Bは『外部』であるので統合失調症患者の証言によくある「誰かが~と言っていた」という言葉とも合致します
私は著書内の他律論の記載を読んでこの仮説への確信を高めましたが、何のエビデンスもないのでここに書いておきます
5章 診断論について
概ね内容にコメントはないのですが1点だけ
私は過去の体験から重度のフラッシュバックを起こしているのですがそのフラッシュバックの症状を「~が見える」「~といわれる」のように医者に説明したところ統合失調症の治療を受けることになりました。
しかし、それらの症状は実際にはフラッシュバックだったので統合失調症の治療では全く改善せず、フラッシュバックだと判明して桂枝加芍薬湯と四物湯の同時処方を受けるまでかなり断続的なフラッシュバック下に置かれていました。記憶が定かではありませんが、現実空間にいる時間のほうが少なかったような気がします
普通のフラッシュバックとはやや異なる症状だったのも厄介です
「自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチしている」という幻覚としか言いようのないフラッシュバック症状を起こしながら道路の真ん中を歩いていたこともあります。
それらはフラッシュバックの治療で劇的に改善したので統合失調症による幻覚ではなく、実は過去の体験によるフラッシュバックだったことは確定的です
念の為付け加えますが重度の意欲の低下や思考力の低下が見受けられるので自身が統合失調症であることを疑うものではありません
何がいいたいのかというと、強烈な体験から統合失調症を発症したある群の人達には実は統合失調症以外のケースもあるのではないかということです
私は医者ではないので診断については自分の体験以上の話はできません
以上、参考になれば幸いです
林: 著書について貴重なコメントをいただきありがとうございました。統合失調症当事者の症状論は、タイトルの通り、当事者視点からこれまでの精神医学を見直していこうとする本ですので、お読みいただいた当事者の方からのご意見は何より貴重なものです。このメールをいただいたことに深く御礼申し上げます。
つまり、まさに著書にあるように幻聴・幻視は幻聴系・幻視系と呼ぶべきであり、しかも現実でないものが認知されてしまうという巨大な系ではないかという仮説を立てています。
質問者の仮説は、私の考えとほぼ一致しています。
さらに言えば、統合失調症においては、「幻聴」「幻視」という表現は症状の誤解に繋がるものであるため本来は用いるべきではないと考えています。けれども、伝統的に用いられている言葉をやめて全く新しい言葉を使うことは混乱を招くだけですし、それに、「幻聴」「幻視」という表現がぴったりのケースも非常に多いので、そういうケースの症状にまで別の言葉を使うことに意義は認められない、こうした事情のため「系」という概念を導入し、「幻聴系」「幻視系」とまとめたというのが、あの記載の背景です。
人間の脳にCPUが複数ある状態だと言えばいいのでしょうか(健常な人間のCPUは1つ)
Split brainという表現、そしてこのCPUのたとえは、統合失調症の自我障害の本質を突いていると思います。Split brainという言葉は通常は「分離脳」と訳されますが、それは通常はそう訳されているということにすぎず(Gazzanigaが研究した、脳梁切断により左右の脳が「分離」された状態が、正式な医学用語としてのsplit brainです)、「分裂脳」という訳も考えられ、この【4418】の質問者がsplit brainという言葉で表現されている内容は「分離脳」より「分裂脳」という訳語の方が適合すると言えるでしょう。そして統合失調症schizophreniaは、schizoとphreniaから成っており、phreniaは「心」(もともとはphreniaは横隔膜を指します。昔は人の心は胸にあると考えられていたことから、同じ言葉が心も指すようになったという経緯があります)、schizoは「分裂」ですから、質問者のおっしゃる「分裂脳」は、まさにschizophreniaと同義であり、それはschizophreniaの元々の訳語である「精神分裂病」とも一致しています。このことからも、質問者の仮説は統合失調症という病気の本質を突いた優れたものであると言えるでしょう。
このように、質問者のコメントは、当事者の立場からご自身の症状を客観的な視点から分析することで、統合失調症という病気の本質に迫る優れたものであると言えます。
他方で、フラッシュバックについての記載も非常に統合失調症の当事者らしいものです。
すなわち、
「自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチしている」という幻覚としか言いようのないフラッシュバック症状を起こしながら道路の真ん中を歩いていたこともあります。
という体験について、
それらはフラッシュバックの治療で劇的に改善したので統合失調症による幻覚ではなく、実は過去の体験によるフラッシュバックだったことは確定的です
と書かれており、これはすなわち、「自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチしている」という体験が「過去の体験によるフラッシュバックだったことは確定的」、つまりその体験は事実であると言っておられると読むことができますが、客観的には、「自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチしている」は妄想(妄想追想)であることは確定的で、フラッシュバック(事実)であることはありえません。(質問者がいう「フラッシュバック」は、「過去についての真の記憶の蘇り」という意味と思われ、これはフラシュバックという言葉の誤用ですが、実際にはこのように誤用する人は非常に多いので、あえて私はここでもそのまま「フラッシュバック」という言葉を使っています)
つまり質問者は、この妄想(妄想追想)については病識がなく、普通ならありえないこととして決して信じないことを確信していることになります。
フラッシュバックの治療で劇的に改善したので統合失調症による幻覚ではなく、実は過去の体験によるフラッシュバックだった
このように、妄想内容が真であることを、独自の理由に基づいて主張されるのも統合失調症の一つの典型的な形です。この「独自の理由」は、そこだけを切り取ってみれば論理的にはそれほどの矛盾はないのですが、総合的にみれば奇妙とも言うべき理由です。つまり、
フラッシュバックの治療で劇的に改善した
が仮に事実だとしても、内容のあり得なさ(自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチ した)はそれをはるかに圧倒するものですから、たとえフラッシュバックの治療で劇的に改善したとしても、それはその内容(自分がノーベル賞を取り壇上でスピーチ した)が真であったという根拠にならないと考えるのが常識です。常識以前に自明と言うべきでしょう。にかかわらず、その内容が真であると確信するというのがまさに妄想という症状の顕著な特徴です。
ありえない内容の妄想の内容を正しいと確信することは、このメールのフラッシュバック以外の記述に見られる深い洞察力と著しい対照をなしていますが、これもまた統合失調症に非常に特徴的な現象です。つまり、一人の人間の中に、非常に優れた部分と、非常に病的な部分が共存しているということです。これがまさに質問者の表現でいうところのsplit brain 分裂脳であり、schizophrenia精神分裂病という用語にあてはまる部分であり、そのような優れた部分と病的な部分が統合されずに分立しているという意味では統合失調症という言葉もあてはまる部分でもあります。
いずれにせよ、著書についての貴重なコメントをいただいたことに重ねて感謝申し上げます。
(2021.11.5.)