【4392】うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのでしょうか。

Q: 40代、男、無職です。現在、うつ的、解離的、複雑性PTSD(complex PTSD; CPTSD)的な状態にあり心療内科に通院しています。10年ほど前にうつ症状にて休職、失業して以来就労していません。通院は14年に渡っています。今回は私の状態が、うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのか知りたくメールを差し上げました。

幼少期から実父による虐待がありました。その一部が以下です。
乳幼児期に逆さ吊りにして風呂に沈める等の虐待行為(母の話による)
遊んでいるうちに意味不明の理由で激高し畳に叩きつける
アイロンの3角の形と蒸気の穴の跡がつく程、アイロンを押し当て火傷させる
夜中に起こしてコップの水をかけ殴打する
雨天時に外に出して殴打する

これらの虐待行為は比較的激しいものですが、暴言、暴力、脅し等は日常的に繰り返されていました。中学生以降は最近メディアでいう「教育虐待」も始まり、十分な収入があるにも関わらず学費を支払わない等の経済的虐待もありました。

過去10年の服薬歴ですが、三環系、四環系、SSRI、SNRI、NaSSAの各種抗うつ薬、時に非定型精神病薬を併用しましたが、回復に至っておりません。ここ数年は主治医の方針で、抗うつ薬の服薬は行っておらず服薬はロゼレムのみで運動療法が中心となっております。また、主治医にはうつ症状のみを伝え虐待の事実や、以下に述べる解離、複雑性PTSDの症状らしき事は伝えていません。話そうとするとロックが掛かって話すことができませんし、相手にされなかった時の恐怖や屈辱を考えるとできません。

「薬の名前と量が無ければ判断できない」との林先生の回答を精神科Q&Aの随所に拝見しますが、失念していてお伝えできません。これらの薬は逐次的に選択され多剤投与はなかった事、効果はある(特に三環系)が十分でなく眠気等の副作用が強く十分な量を飲めなかった事、長期の服薬により回復していない事お伝えします。

さて、今回の質問の判断材料となる事柄を以下に書きます。

うつ病(又は双極性障害)と思しき状態
うつ状態が悪化すると殆ど体が動きません(一日寝ていて寝返りを打つのも辛い等)
寝たきりまで行かなくとも体が言うことを聞かない(字を書く、皿洗いなどすら辛い)
考えようとすると焦りが強まり、ロックが掛かったように思考できません
頭が働きません(映画を見てもストーリーが頭に入ってこない、読書も同様)
無感動(以前は音楽を聞いていたのですが今は何とも思わない)
無気力(何事をするにも億劫で頭も体も重い)
年に2回位、思い出したかのように調子が良くなる事があります(2週間位継続するがすぐにうつ状態になる)
日内変動あり
これらの状態は、運動療法により改善するがその状態を維持できません

解離と思しき状態
現在、幼少からの記憶がありません。正確には幾つかの写真や数秒の映像が断片的に散らばっている様な「記録」は頭の中にあるのですが、情感の伴った記憶はありません。情感のある記憶が薄らいだのは、虐待が激化した中学の頃からだと記憶しています(記憶の薄らいだ記憶があるというのも変な話ですが)。この頃「親に暴力を振るわれたから自分は違う人間になった」という自意識が生まれた事を記憶しています。

子供の頃から独り言が多く頭の中で会話をして物事を決めています。会話の相手は子供で「うんいいよ」とか「よしやろう」等と了解を得てから進めることがあります。現在でも散歩中に、子供のような気持ちで虫取りや木登りをしたくなる事があります(実行したことはありません)。心の何処か別の所でそう思っている、という感じで「いやこの歳でそれしないでしょ」と自分にツッコミを入れています。記憶の断裂の伴う人格交代のようなことは起きていません。

性格や記憶、スキル、価値観が切り替わることが多々あります。これは大学の頃に学友に指摘される様になりました。「どこそこを歩いてて話しかけたけどスルーされた」等と言われていました(私は記憶にありません)。「時々子供っぽくなる」とか「こないだは妙に明るかった」(普段は暗い性格です)等と指摘されていました。

大学の学業や仕事において、課題に対する興味が急になくなってしまう事が多々ありました。説明しにくいのですが、切り替わるように興味がなくなります。成人後も継続し、例えばそれまで読んでいた本の内容が分からなくなる事があります。情報として「知っている」のですが、その本を読んでいた体験が途切れてしまいます。本当にその本に興味を持っていたのか疑問に思うほど興味が持てなくなる事が多々あります。これは、人間関係にも起こり、それ迄普通に接していた人が急に他人に見えることがありました。また就労していた頃、前日まで当たり前にできていた作業に何時間も掛かってしまうことが時々ありました。単に調子が悪いとかやる気がしないのではなくて、忘れてしまったように出来なくなってしまいます。

解離といえるか分からないのですが、過去に転職しており、その頃のことを覚えていません。転職したという事実は判るのですが、何故そうしたのかとか、どういう考えや感情だったのか全く分かりません。普通そんな風に転職することはないと思うのですが、自分でも良く分からないのです。転職以外にも、後から思うと理解しがたい理由で人間関係を打ち切る事を過去数回繰り返しています。

ストレスが溜まると、通勤電車を何駅も乗り過ごしたり、別の路線に乗って全然違う駅にいる事にその時になって気がつく、というような小さな解離的な体験は沢山あります。

自分という存在やその人生が一貫して続いているという意識がありません。これが過去進路や職業選択、現在の就労活動に悪影響を与えていると自認していますが解決方法がわかりません。

複雑性PTSDと思しき状態
怒りの感情に支配される状態と何も考えずにボンヤリしている状態を行き来しています。特に理由もなく、又は会話やニュース等のワンフレーズなど些細なことに触発され、怒りの感情に支配されることがあります。自ら抑えることができません。怒りが強くなると、大声で叫ぶ、壁や机を思いっきり叩く、又は自分の首を絞めたり、頭や足などを叩く等してしまいます。

特に教育虐待に関する記憶や感情を避けるために、心の働きを恐らく抑制しています。喜怒哀楽の感情と思考を切り離して生活しています。関連して、進路や仕事と真剣に向き合うことができません。
幼少時の暴力や教育虐待の経験から、自分を汚れた恥ずべき人間だと思っています。それらに関ることは人に話せませんし、関わりそうになるとその関係から撤退してしまいます。

絶望感や未来に希望のない感じは思春期から継続しています。何事も無意味に思えます。何のために生きているのか分からないし、どうして自分か此処に居るのか分かりません。

甘えと思しき状態
現在うつ病を理由に障害年金を受給しており、ここに書いた状態に甘んじることに利得があります。また、依存的な性格で、自立が怖いと感じています。社会や他人に対する不信が強く、就労に恐怖を感じている事、それにより就労のための行動をしていない面がある事は認めざるを得ません。解離の一部や複雑性PTSDについては、主観や性格の問題とも言え、その意味では甘えとみなせると思います。

冒頭に述べたとおり、うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのか知りたい、というのが私の質問です。こうして書いてみるとうつ病、解離、複雑性PTSDに書いた状態は「気合」で乗り越えれるようにも思え、実際これまでは「気合」でどうにかしてきました。しかし、今現在これらの状態に陥って辛く、苦しんでいて、又はその影響で多大な時間を無駄にしているのは紛れもない事実です。最近、解離や複雑性PTSDの苦痛を回避するために半ば無意識的に抑うつ状態に陥っているのかもしれない、等と思っています。そういう事はありえますか? うつ病でない場合、正しい治療を受けるべきなのでしょうか?
受けずに改善するならそうしたいです。

長くなりましたがご回答をいただければ幸いです。

 

林:
今回は私の状態が、うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのか知りたくメールを差し上げました。

現代の診断基準は表面に現れる症状を最も重視するという形になっていますので、一人の患者さんに複数の、それもかなりたくさんの診断名がつくことがあり得ます。ですからこの【4392】の質問者にご質問の、うつ病・解離性障害・複雑性PTSDのすべての診断名がつけられることもあり得ますし、経過によって、ある時期にはうつ病の診断が正しく、別のある時期には解離性障害の診断が正しく、また別のある時期には複雑性PTSDの診断が正しいということも理論上はあり得ます。

けれどもこれは本当はおかしな話で、これはたとえば、肺炎に罹患したとき、経過によって、高熱が出た時には熱病、咳が激しい時には咳病、呼吸困難が激しいときには呼吸困難病と診断するようなものです。
ところが精神科ではそのような診断方法が一応は公式に正しいと認められています。つまり、本当は肺炎なのに、経過によって熱病と診断されたり咳病と診断されたり呼吸困難病と診断されたりする。あるいはある時期には熱病と咳病が併発していると診断され、別のある時期には咳病と呼吸困難病が診断されたりするわけです。

そんな馬鹿なことがあるかと考えるのが普通ですが、精神科の病気は原因が不明か、あるいは原因と思われるものがあってもそれは推定にすぎず、真実はまだ不明のことが多いことから、根拠の薄い推定によって診断名を定めるのではなく、表面に現れた症状という確実なもののみに基づいてさしあたりは分類し診断するというのが現代の公式の診断基準の基本的な考え方です。間違った分類をするよりは、さしあたって確実な情報だけに基づいて仮の分類をするということです。

前おきが長くなりましたが、このような事情があることを前提としてこの【4392】のご質問、すなわち、

今回は私の状態が、うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのか知りたくメールを差し上げました。

にお答えしますと、まず、「自分の病名は、うつ病、解離、複雑性PTSDのどれか」(甘えはとりあえず除外しました)という質問は、少なくともこの【4392】のケースでは成り立たないということになります。なぜなら上でご説明した通り、ある時はうつ病、ある時は解離性障害、ある時は複雑性PTSDが正しい という事態、さらにはこの三つのすべて、あるいは三つのうちの二つの併存 という事態があり得るからです。
ただしこの三つの診断名の中で、複雑性PTSDだけは、原因を考慮した診断名ですので、話が複雑になります。すなわち、現代の公式の診断基準は、基本的には原因を無視していますが、中にはPTSDのように原因が特定されているものも混在しています。このため精神科の診断はさらに複雑でわかりにくくなっているというのが現状です。

そうした診断基準についての複雑な(そして、病気の当事者によっては本来はあまり重要でない)話は別にしますと、この【4392】のケースは、ベースに複雑性PTSDがあって、その症状としてうつや解離が現れていると考えるのが最も妥当だと思います。
ご質問の甘えにあたるかどうかは全く別次元の問題です。現代の精神医学、そして日本の社会常識からは、これは甘えにはあたりません。しかし歴史や文化によっては、精神疾患の多くを甘えとみる立場もありえます。
再び体の病気と対比すれば、たとえば 軽い咳 が出ているとき、それを軽い風邪の症状だとみなせば、その程度で仕事を休むのは甘えだという考え方が成り立ちます。しかし軽い咳でも肺炎だったり、COVID-19の症状だったりすることもあり得るわけですから、そうであれば仕事を休むのは甘えではありません。つまりこれは原因が何であるか、また、そのあとの経過がどうであると予測できるかによって、甘えか甘えでないかという判断は異なります。
それに対し精神科の病気、たとえば うつ病 と呼ばれているものには、非常に様々な原因によるものが混在しており、また、予測される経過も様々なものが混在していますから、中には甘えとしか言えないものも含まれています。

というわけでこの【4392】のご質問の、

今回は私の状態が、うつ病、解離、複雑性PTSD、甘えのどれなのか知りたくメールを差し上げました。

の中の「甘え」は別次元の問題ですのでわきに置くとしてお答えしますと、先の通り、ベースに複雑性PTSDがあって、その症状としてうつや解離が現れていると考えるのが最も妥当だと思います。治療が必要です。

(2021.10.5.)

05. 10月 2021 by Hayashi
カテゴリー: PTSD, うつ病, 精神科Q&A, 虐待, 解離性障害 タグ: |