【4299】 私はアイドル依存症でしょうか
Q: 20歳、女子大学生です。
私は小学生の頃から今までずっと男性アイドルが好きです。もう10年間、人生の半分はアイドルのファンをしていることになります。途中途中で応援対象は変わってきたものの熱量は変わらず、むしろヒートアップするばかりで、最近自分が依存症なのではないかと不安に思っています。
その理由としてまず、常にアイドルのことしか考えられず、他のことに全く興味が持てません。大学の講義中やアルバイト中、勉強中、移動中、とにかくずっとアイドルのことを考えてしまいます。
アイドルに興味のない友達と遊ぶと、アイドルの話ができないことにつまらなさを感じ、イライラしたり、早く家に帰ってアイドルの動画を見たいと思ったりしてしまいます。他人の恋愛事情や噂話をされようものなら、どうでも良すぎて返答に困り脳をフル回転させることなるため非常に疲れます。コンサート等の非日常的な刺激に慣れすぎて、日常生活の些細な感情の起伏では物足りなさを感じるようになったと思います。
ヒートアップし始めた時期(アルバイトが出来る年齢になりお金を自由に使えるようになった頃)以降、現実で誰のことも本気で好きになれず、かれこれ5年余りが経過してしまいました。その間4年ほど、アイドルに恋していた時期はあります。
お金をアイドル関係以外のことに使うのも勿体無いと感じます。(コンサート等に行くための交通費や衣服代は別。)
コンサートや握手会等は、全部通わなければ気が済まず、お金をたくさん使ってしまいます。コロナ前は貯金を全て使い果たし自転車操業、ほぼ常に口座残高が1000円以下の状態でした。(学生のアルバイトですので元々大した金額ではありませんが。)
ここ1年間ほどはコロナの影響でコンサート等が軒並み中止でしたから自然と貯金出来ていたのですが、先日ついにコンサートやイベントが開催されたため、1ヶ月もしないうちに30万円ほど使ってしまいました。
お金をたくさん使おうとも、単純に楽しめればいいのですが、後悔することもしばしばあります。最近ではアイドルに何か反応をもらったりお金をたくさん使って周りから賞賛を得たりすることに満足感を覚えるようになり、単純にコンサート等を楽しんでいた頃の自分とはまた、目的が変わってきているようにも思います。
ただ支払いの瞬間はすごく思い切った自分がいるというか、お金を使うことが快感で、大していらないものまで買ってしまいます。
コンサート等が終わると喪失感や虚無感に襲われ一気に生きる意味が分からなくなってしまいます。また、応援対象に冷め始めると焦り、どうにかまた好きになるように必死に自分に言い聞かせます。私はずっとアイドル中心で生きてきたため、それが無くなってしまうと自分が自分でなくなりそうな感覚に襲われ怖いからです。
最近では就活を意識する年齢になってきたということもあり、自分のやりたいことも漠然と掴めてきたのですが、それを叶えるためには試験を突破する必要があり、アイドルの応援を継続していたいがために、試験を諦めようか迷っています。頑張るのはたった1年間、合格すればその後何十年も比較的安定した生活が送れると分かっているのに、その1年の間アイドルの応援を制限しなければならないと思うと試験なんてどうでも良くなってきます。
ちなみに高校三年生のときには、冬のコンサート等に行きたいという理由で、大学は指定校推薦で適当に選びました。
アイドルのファンというとよくあるごく一般的な趣味のように思われる方も多いと思いますが、私の場合、度が過ぎていると言いますか、日常生活に支障をきたしており将来に不安を感じることが多くなりました。
たかが趣味に異常な熱量でのめり込み過ぎてるということは重々自覚しているのに、それでも止められない、自分を自分でコントロール出来ないことが怖いです。これがそのうちホストだったりパチンコだったり、何か別のものに向いたらと思うと危機感を抱きます。欲を抑えきれない弱い自分が嫌だという気持ちと、アイドルの応援が楽しすぎるという気持ちの狭間で常に揺れており苦しいです。結局後者が勝ってしまうのですが。
長くなりましたが、
(1) この執着心、依存心、浪費癖は依存症といえる可能性があるのでしょうか。
(2) もしそうだとすれば、ギャンブルや買い物依存のような治療法はあるのでしょうか。
(3) 治療法があるのだとすれば、現在9割アイドルに向いている興味・関心を、上手く他に分散させることは可能なのでしょうか。それとも、アイドルに関しては一切断ち切るしか方法は無いのでしょうか。
くだらない質問で申し訳ありませんが、お答え頂けますと幸いです。乱文・長文失礼いたしました。何卒よろしくお願いいたします。
林: 決してくだらない質問ではなく「病とは何か」という、精神科の根底に深くかかわるご質問だと思います。
行動そのものは特に問題あるものではない。しかしその行動が過剰で、本人はやめたいと思っているのにやめられない。これを病気と呼ぶかどうかはかなり難しい問題です。第一に、「その行動が過剰」とは、どのくらいのときに「過剰」と言えるかという問題があります。第二に、「やめたいと思っているのにやめられない、それがどうした?」という問題があります。依存症に分類される行動については、常にこの問題がつきまといます。すなわち、病気と呼べるかどうかを決めるのは困難ということです。
この観点からこの【4299】のケースに目を向けてみますと、しかし、この【4299】のケースはかなり確定的に病気と呼べると思います。その行動によって実際に生活上の支障が出ていることが明らかだからです。
また、
常にアイドルのことしか考えられず、他のことに全く興味が持てません。大学の講義中やアルバイト中、勉強中、移動中、とにかくずっとアイドルのことを考えてしまいます。
アイドルの応援を継続していたいがために、試験を諦めようか迷っています。頑張るのはたった1年間、合格すればその後何十年も比較的安定した生活が送れると分かっているのに、その1年の間アイドルの応援を制限しなければならないと思うと試験なんてどうでも良くなってきます。
ちなみに高校三年生のときには、冬のコンサート等に行きたいという理由で、大学は指定校推薦で適当に選びました。
こういった状況は、依存という行動を中心に生活が回っていることを示しており、それもまた依存症と呼ばれる病気に共通する特徴です。
したがって、ご質問の、
(1) この執着心、依存心、浪費癖は依存症といえる可能性があるのでしょうか。
に対する回答はイエスです。「可能性がある」というレベルはすでに超えており、「依存症といえる」と断言していいと思います。
(2) もしそうだとすれば、ギャンブルや買い物依存のような治療法はあるのでしょうか。
ギャンブル障害も買い物依存も、行動嗜癖 behavioral addiction と呼ばれるカテゴリーにまとめることができ、この【4299】のケースをアイドル依存症と名付けるとすれば、アイドル依存症も行動嗜癖の一つに分類されることになります。行動嗜癖を含めた嗜癖(依存症とほぼ同じ意味です)の治療法として現代において有効とれさているのは集団療法ですが、症例数が多いアルコール依存症やギャンブル障害については集団療法の場があるものの、アイドル依存症にはそこまでの症例数はないと思われますので、集団療法の場を期待することは現実的ではないでしょう。しかし、特定の行動に特化しない、嗜癖一般の集団療法というものなら考えられるかもしれません。
(3) 治療法があるのだとすれば、現在9割アイドルに向いている興味・関心を、上手く他に分散させることは可能なのでしょうか。それとも、アイドルに関しては一切断ち切るしか方法は無いのでしょうか。
これは依存症一般について常に問われる重要な問題です。最も治療法が進歩しているアルコール依存症を例にとれば、「依存症になってしまった以上、たとえ長年断酒していても一滴でも飲酒すれば再発する。一生断酒する以外に方法はない」というのが古典的な教科書に記されているアルコール依存症の概念ですが、現代では節酒療法というものもオプションとして認められるようになっています。節酒すなわち適切に飲酒することが可能なアルコール依存症のケースが存在することは事実ですが、現実には、ある期間は節酒できていても、ある時点で大量飲酒に移行するというケースが多いものです。そもそも治療開始の段階で節酒を目指すという姿勢が、治療への意欲が甘いことの反映であるという見方も可能でしょう。
アイドル依存症において、また、この【4299】のケースにおいて、「現在9割アイドルに向いている興味・関心を、上手く他に分散させることは可能なのでしょうか。それとも、アイドルに関しては一切断ち切るしか方法は無いのでしょうか。」についての答えは不明です。しかし、「一切断ち切る」という気持ちを持たない限り、回復は困難であると考える方が現実的でしょう。集団療法という場が期待できないことをあわせると、「一切断ち切る」ことをお勧めします。断ち切るのは今日からです。
なお、依存症をめぐる問題については、林の奥 の ねじまき鳥クロニクル、そして様々な「依存症」に記してありますのでご参照ください。その中からこの【4299】の回答に関連する一部を引用します:
「その状態のため何らかの問題が生じている」ことが、病と診断する必要条件であるから、【3455】のケースは何の問題も生じていない以上、依存症とは言えない。 同様に、 毎日米を食べることがやめられなくても、それだけでは依存症とは言わない。 毎食後にお茶を飲むことがやめられなくても、それだけでは依存症とは言わない。 毎朝コーヒーを飲むことがやめられなくても、それだけでは依存症とはいわない。おそらく。 毎日スポーツクラブに行くことがやめられなくても、それだけでは依存症とは言わない。たぶん。 毎晩パートナーとセックスをすることがやめられなくても、それだけでは依存症とは言わない。だろう。 毎日パチンコに行くことがやめられなくても、・・・これはどうか。いや、もちろん「それだけでは」依存症とは言わない。しかし、「毎日パチンコに行くのがやめられない」のは「それだけ」ではすまない。金がかかる。金がかかるのは度を超せば深刻な問題だ。すると依存症を病と診断する必要条件の「その状態のため何らかの問題が生じている」を満たす場合が、「毎日パチンコに行くのがやめられない」のケースの中にあり得る。
最後のパチンコに関する記述の「パチンコ」を「アイドル」に置き換えたものがこの【4299】に重なると言えるでしょう。
(2021.5.5.)