【3939】入院しましたが、父とのことは話せていません(【3473】のその後)

Q: 17歳女です。先日は【3473】17歳女。父の性的接触を受け入れてしまいます  にてご回答を賜りまして、誠にありがとうございました。
月並みにも月並みな表現ですが、暗闇に明るい光が射したような気持ちになりました。

今回ご質問ではないのですが、これまでの報告をさせて頂ければと思います。

今から1ヶ月半前、父と話をしました。
「嫌かどうかに関わらずダメだ」ということは父もよく分かっていると言うのです
が、これまで見聞きしたという『合意の上で近親姦をする人達』の話をして、
「世間の目よりA子(私)が嫌かどうかが大切だから、罪悪感は抱かなくていい」
「あくまでも行為はA子の同意の上でしたい」「A子の嫌がる事をしたり、強姦などは絶対にしない」と訴え、話の最後には「ごめんね。今度触るときは、ちゃんとその気にさせてから触るからね」と言っていました。
父の話によれば、いつも酩酊時に行為に及んでいたそうです。酩酊していたかどうかは、私にはとても瑣末な事なのですが。
この後も何度か話をして、少しずつダメだという事を理解してもらっている途中です。

林先生がせっかく勧めてくださったのに、上手く行かず申し訳ありません。
しかし、とにかく夜触るのをやめてもらうことが出来ました。
話をして聞けた父の考えは、とてもショックなものでしたが、まず事実を受け入れ、そして前に向かって行動することが大切なのだと、身に染みて分かりました。

それから、前回のメールにお書きしなかった事があります。起きている間に接触があったことです。
はじめは今から4ヶ月前に家で2人の日、「好きだ、叶うなら性交渉もしたいと思っている、A子はどう思うか、今のを聞いて嫌いになったか」と父に言われました。
当然断るべきです。どうもこうもありません。けれどもその時の私は正常な判断ができず、
「A子が俺を嫌いにならない限り、俺もA子の事を嫌いにならないよ」という言葉を何度も思い出していました。
「嫌いにはならないけど、家族だからダメだと思う」などと曖昧な返答をした挙句、キスにも何度か応じてしまいました。
その夜帰ってきた母と父が物凄い大喧嘩を始めました。
「そんな事あるわけ無いだろ、A子に聞け」「A子が本当の事言わなかったらどうするの」。
私が慌ててリビングへ降りると、「電話にもメールにも出ない。2人で何をしていたの」と問い詰められました。
私は自分の過ちを隠したくて「悩み事を聞いてもらっていた」と嘘をつきました。
最悪の嘘です。
喧嘩の怒鳴り声より「俺とA子の間でそんな事ある訳無いのにね」という優しい声が、私には恐ろしくてたまりませんでした。
思えばこの時の甘い対応が、後の父の行動を助長してしまったのだと思います。

次は前回のメールをお送りする3日ほど前、母が夜勤の日、酔って早すぎる時間に寝始めた父を起こしたとき、ベッドへ引き込まれました。
少したつと離してもらえたのですが、寝ている私を押さえつける必要はありませんから、父の力の強さも、あんな目も知りませんでした。
うわ言のように母の名前を呼んでいた父は、この事を全く覚えていませんでした。
上記の二つは、ショックと言いますか、とてもインパクトの強い出来事で、書くべきでしたが書けませんでした。申し訳ありません。

先生、私は今入院しています。
なかなか(ひどいと朝まで)寝付けない事と、何もなくとも夜中目が覚めてしまう事を自力で改善できないこと、後述しますが気分の落ち込みを主訴として、今から1ヶ月前に大学病院の精神科を受診したのです。

検査をしたり、不安に襲われるタイミングや睡眠状況を詳しく知りたいということで、3週間前から(初診日の1週間後から)、2~4週間の予定で入院しています。
MRIや心電図などの体の検査と、心理検査(WAIS-IIIとPFスタディ)を受けました。

紹介状を頂く前に数回通った他の精神科病院で、ロラゼパム0.5mg1錠1日2回までと、ベルソムラ20mgを不眠時1錠という処方を頂いていました。
入院してから消灯後毎晩のように不安を起こしてどちらか1錠を詰所へ頂きに行ってしまうので、ベルソムラが不眠時の頓用から就寝前必ず飲む眠前薬に変わりました。
血中の鉄が少ないので、朝晩食後鉄剤の処方を受けています。

入院してまもなく夕食後レクサプロ10mgを半錠が始まり、徐々に増量中です。
閉鎖病棟でまだ単独での外出許可は出ておらず、薬の効果を見るためにも入院が予定より長引く事になりそうです。

初診で入院が決まった2日後、私は両親の前で包丁を持ち出し「どうしたら児童養護施設に入れるの」「どうしたら私のことを好きになってくれるの」とわめきました。早く死のうと思ったのです。
父をどうにかしてしまうかもしれないし、妊娠した母を祝いたいのに「夫婦喧嘩をどうにかしてよ」「女の子が産まれたらどうするの」などと考える自分の心がすごく醜くてイヤで、私は、もう色々な事に疲れて、バカな事をしてしまいました。
父は「女の子が産まれてもA子がするような心配はない」「A子がA子だから触るんだ」というのですが。どんなに好きだと可愛いと言われても信じられません。うれしくてもダメなのです。
嫌われているのかな、不快にさせたかなとすぐ心配になります。
こんなにネガティブなのは父に対してだけです。父からの愛に自信がありません。

姉です。頑張らなくてはいけません。両親が心配でしたが自分のことをきちんとするため入院しました。 両親や叔父が遠方からよく面会に来てくれます。

私、「いつ触られてもいいように」などと考えて体をしつこく洗っていたのですが、ここではそんな心配は要らないのでやめる事ができました。
それに、『ノルウェイの森』のレイコさんの言葉を借りますが、美少女L、私にとっては父による「ぬめりみたいなもの」は、確かにただ洗うだけで取れるようなものでは無いのです。
その事もここへ来てやっと分かった気がします。

ここでの入院中は患者一人に複数の主治医チームが組まれ、どなたか、或いは二人以上のお医者様が毎日のように来てくださって面談をしてくれますし、看護師の方々もとても親切で、話したい事や気になる事はすぐにお話し出来ます。

けれども父のことだけはお話できていません。
「不安時はほとんど毎回イヤな事を思い出している」「1年前から続く悩みのことである」「それが要因で眠れなかったり情緒が乱れたりする」と、症状はすべてお話しましたが、父のことは明言していません。

先生方や看護師さんは「悩みの内容をムリに聞き出すつもりはない」「が、話してくれればその解決や不安への対処について、より的確なアプローチができると思う」と仰って下さいます。

ふつうは守られる面談内容の守秘義務が、適用されない場合がございますよね。
父との事がそれに当たると判断されるかもしれないと思うと、どうしても言えずにいます。
せっかく林先生に背中を押して頂けたのに、再び大事なところで躊躇しています。

しかし、きちんと言わなければならないと思います。
お腹の子が妹で、もし将来私と同じ悩みを負ってしまったら、私は間違いなく強く後悔します。

「A子さん自身の幸せを考えよう」と言われました。
母や父の幸せも私の幸せです。ですからこれまでは父との事は父と私しか知らないままにして、黙って家を出るつもりでいました。
しかし母が妊娠したなら話は別です。

精神科診療部長の先生からも、回診のときに、「一人で抱え込まないように」と仰って頂けました。

主な悩みが「気分の落ち込み」で、悲しくなって泣いたりイライラして叫びたくなったり、心臓がバクバクして冷や汗や涙が出てきたり、昼夜問わず父の行為を(時には感覚まで)思い出して上記のような酷い気分になります。
父との行為をリプレイするような夢を見て自己嫌悪したり、父のことを好きなのに時々嫌な感情が浮かんだりもして、そんなことの繰り返しで生きるのをやめたくなってしまいます。
お酒に手を出してしまったこともあります。
「体を傷つけたら父は嫌かもしれない」などと考えるので、肌を切ることはしていません。
暗い廊下でうずくまってしまう事、疲れて休みたいのにベッドに寝ていられない事、看護師さんにご迷惑をかけてばかりで情けなくて治したいので、そうならないようにする事を目標としています。

「年齢のこともあり、ハッキリとした診断は付けられない」と言われました。
「うつ病の自覚があるか」と聞かれたのですが、そのような自覚はありません。
いつからこんなに物事を決められず、行動にグングン移せなくなったのか分かりません。
自分の体を自分で動かしている意識が無いことがあって、夢の中や映画を見ているときのような気分になったり、夢と現実の区別がつかない事があったり、1日前はおろか今日起きてからの行動もよく思い出せない事があるので、毎日日記をつけるようにしています。
WAIS-IIIの最中も「記憶力や集中力が落ちたな」「答えられないことが多いな」と感じました。

包丁のエピソードについて、自分では何となくパーソナリティ障害ではないかと思っていたのですが、先生方はそれには否定的でした。
「症状が長く続いているから、これが自分のパーソナリティだと勘違いしてしまうのではないか」と言われました。

幼少のころ叔母から洗剤を飲まされそうになったり包丁を向けられたり「いい子にして言う事を聞く」という血判状を書けと言われたり……など、虐待と勘違いされるような厳しい躾を受けていて、母の留守中家に入られてしまうので、私が叔父の家に預けられていた時期がありました。
叔母はうつ病の薬物と精神療法を10年近く受けていて、優しく趣味に興じる叔母と、厳しい叔母と、辛そうにずっと横になっている叔母、記憶の限りではそのような気分の波がありました。

叔母は母や叔父にも「今また死ねって言っただろ(言ってません)」と怒鳴ったり、何もない壁に「うるさい」「気持ち悪い」と物を投げて暴れたり(幻覚症状ではないでしょうか)、アームカットやメンタルクリニックのトイレで首吊りなどの自傷・自殺未遂を繰り返していて、母や叔父が入院させるため行動しているときに自殺してしまいました。
亡くなった祖母(叔母たちの母)やその親戚を激しく責める内容を叫ぶこともありました。
私が10歳の頃のことでした。たった7年前ですが既に記憶が曖昧なので、事実とは食い違いがあるかもしれません。

とても生意気で自分勝手な子供でしたから、それを正そうとしてくれたのだと思いますし、叔母の苦悩を理解できず、躾程度で救急車を呼ぶなど、反発したことを後悔しています。

父との事もそうなのですが、辛い事があってもそれを辛いと認識せず、辛さを押し殺す自覚もなく押し殺すことで、心の安定を保ち、生きてきたのだと思います。
けれどもそれには無理があるでしょう。
2~3ヶ月前からの不調は、その均衡が崩れてきた証拠なのだと思います。

主治医チームの先生の一人が、「今のあなたは『車に轢かれたら怖い』と言いながら、横断歩道に突っ立っているようなもの」「行動することが必要」「行動しても変わらないなら、行動の仕方が良くないのだと思う」と仰いました。

逃げているだけでは今までと同じです。先生、私がんばって話してもいいですよね。
どんな変化があるか、父がどんな反応をするかわからず怖くて、きっと一筋縄ではいきません。まさに今がそうです。

父は言うのです。「A子が人に言えずに悩んでいるなら俺が言おうか」と。
父は明るみに出ても刑事事件にはならないだろうと思っているようです。
こうも言うのです。「お母さんにバレたら、どうなるんだろうな。離れ離れになっちゃうんじゃないかな」と。決して脅しではありませんが。

でも父の愛に執着するのをやめなければなりません。
性的な接触など無くても、沢山の人が私を大切にしてくれるのです。当たり前のことですよね。
悲しくて泣くときや、逆に辛くても泣けないときは喉から胸にそれが凝り固まって剥がれず、どんどん溜まってしまう気がしていました。
けれども今はうれしくて泣く事ができます。

今は調子が良いからメールを書けます。いつもいなくなりたくて仕方がありません。
自分を怒鳴って傷つけたくてたまりません。
支えてくれる沢山の方の顔や言葉、そうして、お顔がわかりませんが林先生が事実を見つめるキッカケを下さった事、このふたつを忘れず、頑張ろうと思います。

何もかも伝えようとしてしまうので、冗長だと思います。ふたたび長くなってしまいすみません。
臨床や更新でお忙しい中、私のメールをお読みになるのは、とても大変なことだとお察し致します。
ご迷惑をおかけしてしまい恐縮です。
事実を知り行動するキッカケを下さった先生には、感謝してもしきれません。

先生、ほんとうはお顔を見てお礼を申し上げたいほどです。
この気持ちをお伝えするのに適切な言葉が見つからず、己の浅学さを恥じるばかりです。

まだすべき事が沢山ございますが、経過報告とさせて頂きます。
白い顔のお医者様や、赤い目に青いクマを作った看護師さんを見ると、口には出しませんが心配になります。
先生もどうかお体に気をつけてください。
本当にありがとうございました。

 

林: 経過のご報告をいただきありがとうございました。
お父様のとのお話の結果、十分な進展は得られなかったようですが、それでもお話しされたことは第一歩としての大きな意味があったと思います。

そして、入院されたのですね。
ただしお父様とのことは病院の先生にはお話しになっていないとのこと、

再び大事なところで躊躇しています。

その躊躇はごく自然なこととして理解できますが、

しかし、きちんと言わなければならないと思います。

それもまたその通りです。

今はまだ結果が出ていないとしても、【3473】の時から、大きく前進していることは確かです。

精神科診療部長の先生からも、回診のときに、「一人で抱え込まないように」と仰って頂けました。

部長先生のおっしゃる通り、可能な限り周囲の人の力を借りて、さらに前に進んでください。

(2019.12.5.)

(林の判断で、メールをいただいて2年を過ぎてからの掲載としました)

05. 12月 2019 by Hayashi
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