気候不順だと精神症状は悪化するか?

2013年の暑い夏がようやく終わった(多分)。今日は台風18号の影響で豪雨だったが、午後になって晴れ間も見えてきた。
人は、気候の変化を、自分の状態の変化の原因だと考えがちである。
「この暑さですからね、具合よくならないですよ」
とか
「季節の変わり目はいつもよくないんです」
とか
「気圧が変化すると調子が悪いんです」
とか。
本人の自覚としては、気候と心の状態の関連性は事実なのであろう。
だが本当に関連があるのだろうか。
気候不順だと精神症状は本当に悪化するのか? 悪化したときの、あるいは、良くならないときの、単なる理由づけにすぎないのではないか?
この問いに関係がありそうな興味深い論文が、最新のScience誌に出ていた:

Quantifying the Influence of Climate on Human Conflict
Hsiang SM, Burke M, Miguel E.
Science : 13 September 2013: 1235367

『人間の抗争に対する気候の影響の定量化』と題されたこの論文は、実にスケールの大きい研究である。
内戦のような集団的な抗争から、暴力犯罪のような個人的な抗争まで、人間社会のあらゆる抗争について、紀元前から現代までの記録から、信頼できるデータをピックアップし、気象学、地理学、歴史学、政治学、経済学、心理学などを駆使して、精密に検討したものである。データとしては、マヤ文明やアッシリア文明の滅亡、中国王朝の興亡から、現代の犯罪統計、21世紀の世界情勢までがカバーされている。台風上陸直前の不穏な天候の日に読むのに最適な論文と言えるだろう。

分析結果は「因果関係あり」であった。

気温の変化、降雨量の変化は、人間同士の抗争を増加させるのだ。
気温や降雨量が1SD (1標準偏差)変化するごとに、個人間の抗争は4パーセント増加し、集団間の抗争は14パーセント増加すると算出されている(但しこの部分の分析対象は1950年代から以後のデータに限られている)。

やっぱりそうか、気候が不順だと人はイライラするから、争いが増えるのか。そういえば不快指数という言葉もあるし。

と考えるのは早計である。
膨大な時空をカバーするデータに基づくこの研究の結論は、「因果関係あり」までである。その因果関係のメカニズムは「不明」が結論になっている。
当然であろう。紀元前から現代までの全世界の出来事について、メカニズムまでの分析が正確に出来るとは到底思えない。そこまで結論が出されていたらむしろ信用できない研究ということになりそうだ。

但し、推定メカニズムなら記されている。
その第一は、経済への影響である。気候の悪化は人間社会の生産性を低下させ、経済状況を悪化させる。人は仕事にあてる時間が減り、その分、争いが増える。また、経済状況の悪化は、政府の統制力を低下させるから、争いが増える。
江戸時代の一揆が頭に浮かぶ。あらゆる時代に、あらゆる世界で、似たような状況が発生するのであろう。そういえばScienceの論文での分析対象には、紀元前から現代までの、ナイル川の氾濫についてのデータも含まれていた。
その他にもいくつか推定メカニズムが挙げられており、その最後に(つけ足しのように)人間の精神面への影響が記されている。それも、単にイライラするというようなレベルの話だけではなく、人間の認知機能に影響し、人は誤りを冒しやすくなる、という可能性が指摘されている。
気候が不順だと人は不快になるから、だから抗争が増える。ついそのように個人レベルの体験や体感から納得しがちだが(私も今朝の豪雨の中を歩いてかなりひどい目にあったので、ついそう考えたくなっていた)、それは結果についての一つの解釈にすぎず、それも、可能性としては決して高くない解釈であるということになろう。経済的影響、つまり食えなくなるかどうかという問題のほうが、単なる不快感よりはるかに人間の現実生活に影響し、抗争を増やすと考えるべきなのだろう。

気候と並んで、原因とされがちなものにストレスがある。
精神症状を発症したとき、または、悪化したとき、その原因はストレスかどうか。ストレスだと考える人が多い。だがこれも検証しようとするととても難しい。ストレスがない生活はありえないから、発症や悪化の前には、探せば必ずストレスはある。すると、ストレスがあったからといって、それが原因とは限らない。因果関係を証明するのは至難の業である。それに、ストレスは定量することが難しい。上の論文のタイトルは『人間の抗争に対する気候の影響の定量化』だった。定量化したからこそ、Scienceという権威ある科学雑誌に掲載されたのである。ストレスと症状の因果関係を証明するには、ストレスを定量化しなければならない。そういう試みはたくさんあり、現に研究論文も多数存在するが、その定量はどこまで信頼できるものか。
本当につらいストレスがあったとき、それをなかなか口には出さない人もいるし、決して口には出さない人もいる。
逆に、たいしたことのないストレスでも、強くアピールする人もいる。存在しなかったストレスを存在したと言う人もいる。
するとストレスについての主観的な訴えはあてにならないということになるが、では客観的なストレスならどうか、そもそもストレスに客観的というものがあるか。同じ出来事であっても、それを受け取る人によって、ストレスだったり、ストレスでなかったりするのは当然だから、一律に客観的な評価もまた不合理である。
この定量の問題は、ストレスに限らず、精神科領域のほぼすべての事項にあてはまる。精神症状は定量できるのか。定量できなければ、治療効果の判定もできないことになる。だから色々な手法で精神症状を定量化してそれが精神医学の論文のデータになっているわけで、もちろんその定量法にはそれなりの妥当性はあるが、限界もまた大きいことは否定し難い事実である。

現代の精神医学の論文のデータより、紀元前の地球の気候の変化と人類間の抗争の関連性のほうが、より信頼できるデータといえるかもしれない。

15. 9月 2013 by Hayashi
カテゴリー: コラム