【3823】「臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害」とは?

Q: 私は40代男性です。教育関係の仕事をしています。 「質問される方へ」の注意点は十分理解した上でメールさせていただきます。

現在精神科に通院中です。病名については、明確な診断書をいただいたわけではないのですが、投薬の内容から「うつ病」すくなくとも「抑うつ状態」であるとされていると思われます。

お伺いしたいのは、公式な「うつ病」の診断基準にある以下の文面の意味するものについてです。
「その症状は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。」(DSM-5)
この文面における、「臨床的に意味のある苦痛」「機能の障害」というのは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか。例えば、林先生は過去の質問に対するご回答の中で以下のように述べておられます。
「これに対して、本人の主観の中ではほとんど毎日ほとんど一日中うつであっても、客観的にはそれなりに動けるケースが、最近ではしばしばうつ病とされていることがありますが、そういうケースはうつ病ではありません。」(【3112】うつ病と診断されているが、境界性パーソナリティ障害ではないか)
これを見ますと、「客観的にはそれなりに動ける」というのは「うつ病」という診断を否定するものであると思われます。
また、現在通院中の病院でも、診察時に医師より「仕事には支障なく行けていますか?」という質問があり、現状では仕事には行けていますので肯定的な答えを返すのが常なのですが、私の主観的には非常に苦しい状況なのです。客観的に見れば、通勤に片道3時間、70キロを超える移動を行なって8時間勤務を週5日続けているというのは確かに「動ける」と言っていいとは思うのですが、主観的には非常に疲れる状況で、休日はほとんど何もする気になれず社会的に必要最小限の活動(食事、入浴、洗濯等)をするので精一杯でほとんど1日寝たきりです。趣味であった読書も音楽を聴くことも今は単に苦痛なだけで、食事も味を感じません。(生理的に視力や聴覚、味覚がおかしくなったわけではありません。文章の意味は理解できますし、音楽を聴くとメロディーやハーモニーは普通に聞き取れます。味覚も生理的には正常に感じています。ただ、それらに伴う「ストーリーや文章の論理構造を理解することによる喜び」「音楽を聴くことによる感動」「美味しいと感じる気持ち」がないのです。)感情と呼べるものがなくなってしまったような感じもします。「不快」「怒り」「不安」と言ったマイナスの情動はあるのですが、一旦沈んだ気持ちが上向くということがなくそのままずっと沈んだままになっているような感じなのです。
仕事上必要であれば笑顔を作ることもできます。「ここでは喜びを示すべきだ」と客観的に思われるような場面(例えば生徒が志望校に合格したという知らせを受けた時など)にはそれなりに嬉しいという感情を示すこともできますが、反面「こんなことになんの意味があるのか?」という気持ちがどうしても湧き上がってしまうのです。
要約しますと、私は現在「客観的に見た場合は『社会的、職業的(…)機能の障害』は特に引き起こされていないが、主観的には『苦痛』を強く感じている」という状態であると思われるのです。
このような状態で、うつ病の治療を続けることに意味があるのでしょうか? あるいは私はそもそもうつ病でもなんでもなく、単に甘えているだけなのでしょうか? 現在では、定期的な通院でさえ「通院を口実に仕事から逃避しているだけではないのか」と思ってしまいます。

現状での処方を記しておきます。この処方は少なくとも6ヶ月は継続しています。
エスシタロプラム20mg/日
ミルタザピン15mg/日(眠前)
エスゾピクロン3mg/日(眠前)
フルニトラゼパム2mg/日(眠前)

ご回答いただければ幸いです。

 

林:
「臨床的に意味のある苦痛」「機能の障害」というのは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか。

これは精神科の診断、特にうつ病の診断にかかわる重要な問題で、本質的には【3801】病的な抑うつ状態とはどこからなのでしょうかと同じご質問であると言えます。【3801】の回答に記した通り、問題の所在についてはうつ病の聖杯もご参照ください。
それはそれとして、この【3823】のご質問にお答えしますと、診断基準を用いる場合の最も重要な事項のひとつは、診断基準の文言をいくら精密に読んでも、それだけでは正確な診断はできないということです。それがまさにこの【3823】のご質問に直接関連することで、「臨床的に意味のある苦痛」「機能の障害」という抽象的な文言からは、どこからが「臨床的に意味のある」といえるのか、どこからが「障害」といえるのかの判断が不可能ですから、結局は診断そのものも不可能ということになります。
そして、診断基準を用いる場合に限らず、精神科の診断はすべて、抽象的な文言に基づいて下すことは不可能であると言うことができます。あくまでもまず具体的な症状や事実があって、それを抽象的な言葉に変換して診断の説明をするものであって、具体的な症状や事実を離れて抽象的な言葉だけを取り上げると、本質から逸脱することになります。
【3823】の質問者が引用されている【3112】うつ病と診断されているが、境界性パーソナリティ障害ではないかでの私の回答、「客観的にはそれなりに動ける」という表現も、この部分だけを取り上げて、別のケースに適用することは不適切だということです。ここでの「それなりに動ける」という表現は、【3112】の回答に記した通り、「【3112】と対比」した場合に限って適切で、「それなりに動ける」という抽象的な文言をうつ病か否かの診断に適用することは不適切です。

そこで【3823】のケースの症状に移り、結論を先に述べますと、【3823】はかなり典型的なうつ病です。抗うつ薬による治療が適切だと言えます。

通勤に片道3時間、70キロを超える移動を行なって8時間勤務を週5日続けている

この状況は、質問者がおっしゃるように、確かに「動ける」と言っていい と言えます。「それなり」以上に動けていると言ってもいいでしょう。しかし先に述べた通り、「それなりに動ける」という抽象的な文言を【3112】から離れて【3823】のケースに適用するのは不適切です。

もっとも、もしこの「通勤に片道3時間、70キロを超える移動を行なって8時間勤務を週5日続けている」だけの情報しかなければ、【3823】はうつ病の可能性は低いということになります。
しかし【3823】のメールには、そのほかの重要な情報が書かれています。たとえば次の内容です。

主観的には非常に疲れる状況で、休日はほとんど何もする気になれず社会的に必要最小限の活動(食事、入浴、洗濯等)をするので精一杯でほとんど1日寝たきりです。趣味であった読書も音楽を聴くことも今は単に苦痛なだけで、食事も味を感じません。

これはうつ病と診断する強い根拠になる内容で、このことと合わせますと、現在の「通勤に片道3時間、70キロを超える移動を行なって8時間勤務を週5日続けている」という状況は、うつ病の方が、それでも強い責任感から自分を叱咤激励して必死に仕事を続けているとみることができ、これはうつ病に見られる典型的な状況の一つです。さらに言えば、このような状況を続ければうつ病はよくなるどころか悪化するおそれが大です。「うつ病の人はがんばってはいけない」という原則が適用される典型例であると言えます。(現代ではこの原則は甘えや擬態うつ病の一部の人が、自己努力を回避するために言い訳として使われることが非常に多くなっています。しかしこの【3823】はそれにはあたりません。真のうつ病であり、がんばってはいけないということができます)

あるいは私はそもそもうつ病でもなんでもなく、単に甘えているだけなのでしょうか? 現在では、定期的な通院でさえ「通院を口実に仕事から逃避しているだけではないのか」と思ってしまいます。

このように、自分は甘えているだけではないかという自責感を持つことも、うつ病に典型的に見られる事態です。そしてそのため治療をやめてしまったり中途半端になったりして症状が悪化するのもうつ病に典型的に見られる事態です。あなたはうつ病です。治療を続けてください。仕事を休んで治療に専念したほうがいいと思います。うつ病は適切な治療を受ければ治ります。

(2019.5.5.)

05. 5月 2019 by Hayashi
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