【2383】統合失調症で入院した友人から大量のメールが来ます
Q: 私は30代女、友人Aも同年代女です。Aとは5年ほど前に趣味を通じて知り合い、仲良く付き合ってきました。「実は統合失調症だ」とカミングアウトされた時、明るくて気が利いて頼もしい彼女が精神病だなんて信じられない思いでしたが、Aの精神状態は段々悪くなって行きました。夜に電話が来て同じ話を何時間も語り続けたり、自分は芸能人だったとか、芸能人の男性から告白を受けたとか、周りの男女問わず全員が狂ったように好意を示して来て困っているとか、聞いていて「??」と思う発言が増えて行きました。それに加え、私に対する突然の暴言や無理な要求(処方薬を今すぐ持って来いとか、性行為をさせて等)もあり少し距離を取りました。三ヶ月ほど連絡を疎遠にしていましたが、去年の夏頃「私のことをネットに書かないで!」というメールが来ました。何かと思いメールで聞いてみると、A自身が私の陰口を言ったため、それがいつのまにか私に知れて、私が復讐のためにネットにAの個人情報を書いたという話のようでした。同時に、連絡を取っていない間に入院したことも明かされました。Aは「もう陰口は言わないから怒らないで。ネットで有名人になりたくない」と言いましたが、実際ネットになど書いていません。説明したけどわかってもらえませんでした。それ以来尋常ではない大量のメールが来ます。多くは「◯◯美!!」と私の名前を書いただけのメールですが、たまに「妹が大きくなりました」(Aの妹はとうに成人しています)とか「私は規制を受けている」という内容が交じります。返事のしようがないので無視する形になっていますが、何か返事をしたほうがいいのでしょうか。また、意味のないメールの連投はやめてほしいのですが、こちらが拒否することによって彼女の精神状態が余計悪くならないか心配です。ここまで書きましたが、私はAと絶縁したいわけではなく、以前のように穏やかに付き合える日がくるなら友人関係を持続したいと思っています。ただの友人が出来ることは少ないとわかっていますが、よくなるように協力したいので、付き合い方を教えて頂きたいのです。長文乱文、失礼致しました。
林: 統合失調症であるAさんのために、今、最も必要なことは、適切な治療を受けていただくことです。このAさんは、
Aとは5年ほど前に趣味を通じて知り合い、仲良く付き合ってきました。「実は統合失調症だ」とカミングアウトされた時、明るくて気が利いて頼もしい彼女が精神病だなんて信じられない思いでした
というように、一時は統合失調症の症状はかなり良くなり、安定していたわけですから、その頃は適切な治療を受けており、その後、何らかの理由で治療が適切なものではなくなったか、または、治療が中断されたことはほぼ間違いないでしょう。そうした例は多数存在します。(そのような例が多いことの背景は、統合失調症という事実 4章 再発 に、多数の実例とともに解説してあります)
この【2383】の質問者は
ただの友人が出来ることは少ないとわかっていますが、よくなるように協力したいので、付き合い方を教えて頂きたいのです。
と言っておられます。「付き合い方を教えて頂きたい」、友人としてのその気持ちはよく理解できます。一方で「ただの友人が出来ることは少ないとわかっています」というように、現実を正しく認識していらっしゃいます。
けれどもここで再確認していただきたいことは、「よくなるように協力したい」のであれば、Aさんが「よくなる」ためには、病気の医学的治療を受けることが必須であり、「よくなる」ためには、それ以外には方法はないということです。
これがもし体の病気であれば、たとえば感染症とか癌とかであれば、そして本人が適切な治療を受けていないために症状が悪化しているとすれば、友人としてできることは、適切な医学的治療を受けさせてあげることであって、「付き合い方」を考えている場合ではないことは明らかでしょう。いやもちろん「付き合い方」はそれでも大切なことですが、治療のほうがはるかに大切です。仮に「付き合い方」によって、症状にある程度は良い影響を与えることができても、治療を受けない限りは、結局は症状はどんどん悪化していきますから、「私の適切な付き合い方によって、Aさんの症状はいくらかでもよくなった」というのは、友人としての自己満足にすぎません。(「いくらかでもよくなった」ことの結果、たとえばそれまで中断していた治療の再開につながれば話は別です)
統合失調症の方が、治療中断や適切でない治療によって症状悪化しているとき、「ただの友人が出来ることは少ない」のは事実です。しかしこの時、本人に必要なのは「適切な治療」です。それがなければ、何をしてもほとんど無駄です。このことを見つめ直して、友人としてできることをお考えください。それは事例ごとに、また本人と友人の関係によっても、異なるものになるでしょう。
(2013.5.5.)