プラセボ効果としての食材偽装表示

食材偽装表示は、プラセボ効果placebo effect の全国規模の自然実験である。
プラセボとは偽薬。ぎやく。にせぐすり。外観的には本物の薬と区別がつかないが、中身はただの粉を固めただけ。
プラセボ効果とは、薬理効果がないはずなのに効果が出ること。プラセボを飲むことで、症状がよくなる。治ってしまう。
つまりプラセボ効果は気持ちの問題。偽物でも本物だと信じれば、本物と同じ効果が得られるのである。
精神科の領域では、特にうつ病について、プラセボ効果がかなり見られることが知られている。
だがいくら気持ちの問題だといっても、現に効果が出る以上、脳の中に何らかの変化が発生していることは間違いない。うつ病は脳の病気だから、うつ病が治ったということは、脳の中に必ずそれに対応する変化が発生しているのである。抗うつ薬はその変化を発生させる薬である。ところがプラセボでもうつ病が治ることがある。薬でなく、気持ちが、脳を変化させて病気を治すのだ。
大昔から「気持ちの問題」で片付けられていたこの現象を、脳科学的に解明しようとした有名な論文がある:

Mayberg HS et al: The Functional Neuroanatomy of the Placebo Effect.
(プラセボ効果の神経機能解剖学)
Archives of General Psychiatry 159: 728-737, 2002.

これは、うつ病を対象とした研究である。抗うつ薬で回復した人と、プラセボで回復した人の、脳の状態を、PET(Positron Emission Tomography)で比べる。PETは、脳の各部位の代謝の状態を見る検査である。
結果は、抗うつ薬で回復した人にもプラセボで回復した人にも、前頭前野、前帯状回、島後部の代謝亢進などの共通点が見出された。この論文が出されるより前から、抗うつ薬で回復した人にはこれらの部位の代謝に変化が認められることはすでに知られていた。プラセボで回復した人にも同じ変化が認められることを示したことが、この論文の意義である。

プラセボは確かに効く。それは気持ちの問題である。気持ちの問題であるが、脳内に確かに変化が起きている。すると、「気持ちの問題」という日常用語の意味と必ずしも一致しない。そもそも気持ちの問題とは何か。
普通は、気持ちの問題と、気持ちの問題ではない真の問題は別と考える。
「私にはこういう症状があります。これはただの気持ちの問題でしょうか。」そういう質問をいただくこともよくある。ごく普通の考え方である。気持ちの問題なら、たいしたことはない。気持ちの問題でなければ、たいしたことがある。そう考えるのが普通だ。だが脳内で同じ変化が発生している以上、気持ちの問題とそうでない問題に区別はない。

で、食材偽装表示の話である。
2013年10月、関西のあるホテルで明るみに出た食材偽装表示は、ごく短期間に、この一流ホテルでも、この一流デパートでも、この一流レストランでも、と全国規模でどんどん拡大した。
短期間で拡大したといっても、食材偽装表示という行為が拡大したのではない。ずっと前から行われて拡大していたことが、今になって急に次々と明らかになったということである。

なぜこんなに拡大したのか。
効くからである。プラセボが効くからである。
いや「プラセボ」とは言わない。「食材偽装表示した食品」だ。だがこれはプラセボと同じことだ。
「効く」とは言わない。食品は「効く」ものではない。「美味しいと感じる」とか「満足する」とかするものだ。
プラセボなのに美味しいと感じる。満足する。プラセボなのになぜ? 気持ちの問題だからだ。美味しいと感じるのも、満足するのも、すべて脳内の状態の何らかの変化である。ということはそれは気持ちの問題である。
伊勢エビと表示されたロブスターを食べて、やっぱりさすが伊勢エビは美味しいと満足すれば、実際に伊勢エビを食べたときと同じ変化が脳内に発生している。これは気持ちの問題だが、結果としての脳内の事象は同じである。
では本物でも偽物でもいいではないか。
抗うつ薬でもプラセボでもいいではないか。

ということにはならない。
先に紹介した論文。
確かに、抗うつ薬でもプラセボでも、脳内に共通する変化が認められた。
そして実際の症状も、抗うつ薬でもプラセボでも、同じようによくなっている。自覚症状だけでない。客観的な症状もよくなっている。
だが抗うつ薬の効果は、「うつ病を治す」ことだけではない。「うつ病の再発を防止する」という効果もある。ある意味こちらのほうが重要な効果だ。
抗うつ薬とプラセボでは、脳内に共通する変化が認められたが、プラセボを飲んだ人には見られず、抗うつ薬を飲んだ人だけに認められた脳内変化もあった(脳幹、線条体、島前部、海馬などの代謝変化)。この脳内変化が、おそらく再発予防効果に関連する部位であろうと考えられている。 (注1)
だが食品の味には、「再発予防効果」という概念は存在しない。そのときに美味しいと感じ、満足すればその時点で一件落着である。そして、繰り返すが、美味しいと感じること、満足すること、その脳内変化は、プラセボでも本物でも同じはずである。
では食品は本物でも偽装表示でもいいではないか。

ということにはならない。
先に紹介した論文の研究ももちろんそうだが、プラセボ効果を調べる研究では、被験者すなわち本人に、「あなたが飲むのは本物の薬かもしれないし、プラセボかもしれない。外観的には全く同じだが」と説明し、同意をいただいたうえで行うものである。この同意を取らずに行う研究は認められない。認められないというのは、倫理的に認められない。倫理委員会の承認がなければ、こういう研究はしてはならないというのが現代の医学研究のルールである。
食材偽装表示の場合、こういう同意はもちろん取っていない。「きょうお出しするのは、伊勢エビかもしれないし、ロブスターかもしれません。お客様に出されるのがどちらになるかはわかりません。外観的には全く同じです」という説明などできるわけがない。だから伊勢エビと偽ってロブスターを出す。そして客は、伊勢エビだと信じ、それなりの金額を支払うわけである。となればこれは詐欺だ。

だが詐欺ということになるのは、それがロブスターであるとわかった場合である。今回、大々的にわかったわけだが、そもそもわからなければ、何もなかった。文字通り何もなかった。なぜなら、ロブスターを食べた人にも、伊勢エビを食べたときと同じ脳内変化があり、美味しいと感じ、満足したからである。食材偽装表示は、多くの人に満足を与えた。数少ない美味な食材の料理を、それなりの金額を払える私は食べることができた。と思って人は満足した。
もし稀少な本物だけを使っていたら、これだけたくさんの人に満足を与えることはできなかった。その満足は気持ちの問題だが、本物を食べたときと、脳内の変化を含め、文字通り全く同じ満足である。だったらそれでいいではないか (注2) 。食材偽装表示が明るみに出なければ、誰も傷つかなかったのだ。売った人も食べた人も、皆が満足したのだ。そして、繰り返すが、食べた人の満足は、本物を食べたときの満足と、文字通り同じだったのだ。脳内の状態の変化は同じなのだから。
では食品は本物でも偽装表示でもいいではないか。

ということにはならない。
とここでも私は書きたい。本物でも偽装表示でもいいなんて、そんな結論はいくらなんでもないだろう。だが、よくないという説得力ある理由が思いつかない。本物の食材でも偽装表示の食材でも、食べたときの脳内変化は同じだから。それでも絶対よくないと私は思うのだが、それも気持ちの問題だろうか。気持ちの問題を追究していくと、どうにも納得できない複雑な気持ちの問題が発生するようである。

21. 11月 2013 by Hayashi
カテゴリー: コラム