【3869】警察官に暴行し拳銃を奪った事件について
Q: 40代女性です。 掲題の関西の事件(2019.6.16.)についてなのですが、容疑者が逮捕され、ニュースになっています。
その中で、ニュースに対するコメントを一般読者等が書くネットニュースがありますが、精神疾患を持っている人間の犯行ではないかという推測です。
今回お伺いしたいのは、容疑者が精神病患者かどうかの推測、予想ではなく、精神病患者による犯行と推測してのコメント記入者がこぞって、精神病患者も刑事責任を負うべきであるという論調である事についてを林先生にお伺いしたいです。
精神病患者が必ずしも他害があるわけではないのと同様に精神病患者ではない人も必ずしも他害がないわけではありません。
むしろ多数の犯罪は精神病患者ではない人間によるものなのが明白だと思います。
その上で、他害を生じる傾向がある一部の精神病患者による犯罪を、刑事責任を精神病疾患ではない人間と同様に問われる事についてどう思いますか。
私は、疾患により犯罪を実行する抑止力の欠如を考慮しないのは、不公平ではないかと大学時代に法学の授業を受けた頃から考えていたのですが、パーソナリティ障害の方による詐欺事件等の文献を読むと悩んでしまいます。
林先生には、法学からの見地ではなく、精神科医として、一部の他害傾向のある精神病患者が、犯罪を犯してしまった場合、精神病患者ではない人と同等に裁くべきであるや否やのお考えをお時間のあるときにお聞かせくださるとありがたいです。
林:
法学からの見地ではなく、精神科医として、
というご要望ですが、この種の問題は、ある特定の立場から意見を述べることは多くの場合に不適切になりがちです。なぜなら論点は、精神医学の範囲にとどまるものでもなければ、法学の範囲にとどまるものでもなく、さらに言えば、多くの人々が納得すればそれでいいという問題でもないからです。
以上を前提としてお答えいたします。(ご質問の事件とは無関係の回答です)
精神病患者による犯行と推測してのコメント記入者がこぞって、精神病患者も刑事責任を負うべきであるという論調である事について
まず大前提として、この「論調」は正しいものといえます。質問者のこのご質問の背景には、(質問者自身の個人的ご意見はともかくとして)「精神病患者も刑事責任を負うべきであるという考え方は正しいものではない」「少なくとも現在の日本の法律に従えば、正しいものではない」という認識があるのだと思います。この認識は重大な誤りです。日本の法律には決して、「精神病患者は刑事責任を負わなくてよい」などとは定められていません。刑事責任能力を負わなくてよいのは、犯行時に「心神喪失」と呼ばれる状態であった場合で、心神喪失とは、「精神の障害のために、その行為が善いことか悪いことか全くわからなくなっている。または、わかっていても、その判断に従って自分の行動をコントロールすることが全くできなくなっている」ことを指します。ここで「精神の障害」は一つのポイントではありますが、より大きなポイントは「その行為が善いことか悪いことか全くわからなくなっている。または、わかっていても、その判断に従って自分の行動をコントロールすることが全くできなくなっている」の方で、これは刑法の根底にある責任主義そのものにあたり、法的にはこちらの方が重要と言えます。責任主義とは、その人を道義的に非難できるか ということにかかわり(ここで今度は「道義的」とは何か という問題が発生しますが、きりがないので立ち入りません)、ここに精神医学の根本的な問題と密接な関係が生まれます。それは、
病気のときの彼/彼女は、真の彼/彼女か
という問題です。(この問題については【3868】もご参照ください)
もし「病気のときの彼/彼女は、真の彼/彼女ではない」と考えるのであれば、病気によって引き起こされた犯罪について、彼/彼女に責任を問うことは、道義的にもできない という論が成り立つことになります。
そして、「責任を問う」ことの先には「刑罰」がありますから、
刑罰とは何のために科するのか
という問題も考える必要があります。
これは法的にも難題ですので、私に答える資格はありませんが、それでもあえてポイントだけを挙げるとすれば、
予防か応報か
ということになるでしょう。予防とは犯罪再発の予防、応報とはストレースに言えば「仕返し」です。現実には刑罰にはこの両方の要素があるとみることができるでしょう。
予防という観点からすれば、病気による犯罪に対しては刑罰を科しても意味がないことになります。治療をしなければまた同じことが起こることが十分に予想できるからです。
応報という観点からすれば、犯罪が病気によるものであってもそうでなくても関係ないということになります。この【3869】の質問者が指摘されている 精神病患者による犯行と推測してのコメント記入者がこぞって、精神病患者も刑事責任を負うべきであるという論調 の根底には、刑罰は応報であるという基本的な考え方があるとみることができます。
以上はこの【3869】のご質問に対するできるだけ単純化した回答ですが、
病気のときの彼/彼女は、真の彼/彼女か
に関しては、仮に
病気のときの彼/彼女は、真の彼/彼女ではない
とみなしたとしても、(【3870】のご質問にあるように)、では動機が病気から生まれて、その動機に基づいて計画的になされた犯行についてどう考えるか(つまり、「計画的」の部分は病気とは関係ないという考え方があり得る)、
予防か応報か
については、仮に予防を主とするとしても、特別予防(刑罰によって、その人の再犯を予防する)と一般予防(刑罰によって、その人以外による同種の犯罪を予防する。ストレートに言えば「見せしめ」としての刑罰)があり、もし「刑罰より治療を」というのであればそれは特別予防のみに限定されるのではないか、
など、まだまだ複雑な問題は山積しています。
この【3869】の質問者の
疾患により犯罪を実行する抑止力の欠如を考慮しないのは、不公平ではないかと大学時代に法学の授業を受けた頃から考えていたのですが、パーソナリティ障害の方による詐欺事件等の文献を読むと悩んでしまいます。
という記述は、上の回答に密接に関連したものと言えます。
疾患により犯罪を実行する抑止力の欠如を考慮しないのは、不公平ではないか
それはまさに責任主義、そして心神喪失の定義にかかわることで、現代の日本の法律では
疾患により犯罪を実行する抑止力の欠如を考慮している
と言えます。
けれども、質問者の次なる疑問、すなわち、
パーソナリティ障害の方による詐欺事件等の文献を読むと悩んでしまいます
これは、
病気のときの彼/彼女は、真の彼/彼女か
に直結する問題で、パーソナリティ障害の「症状」を「真の彼/彼女」と考えるか否か、ひいてはパーソナリティ障害を「病気」と考えるか否か という根本的な問題に遡らない限りは解決不能の問題ということになります。
(2019.8.5.)