【3826】ある日突然おかしくなってから、異常な状態が20年続いている母
Q: 私は50代女性です。 私の85歳の母のことで質問です。
20年前です。母は差し歯治療しましたが、それが違和感があり許せず寝ても覚めても頭には自分の差し歯のことしかありませんでした。そんな母に私も気がおかしくなるからそんなに自分を追い詰めないでと言っていましたがある日突然せん妄状態になり、時間感覚もなく亡くなった姑のことや小姑へのうらみつらみや、天井から砂が山のように零れ落ちる、節穴から人がのぞいてる等々気がおかしくなったとしか言えませんでした。それまでも、人づきあいは苦手で気位の高い人ではありましたが人格崩壊のように一晩でなってしまいました。
その頃私は嫁いでおり父と母二人暮らしでした。父は血相かえて母を病院の精神科へ連れていき精神安定剤など処方されました。しかし母は精神科へ連れて行った父を許せず薬も数粒飲んで余計頭がおかしくなると言い飲みません。 しかしせん妄状態は続き、父も母を連れて何か所も受診しては母に拒否され時に私も一緒に受診していたのですがある病院で、医師のコピー機の光を見て 「あの光が全世界に私の事を通信で教えている。」と言ってその場で三か月の入院になりました。
せん妄状態もだいぶ良くなり、といってもやはり普通ではない状態で退院しました。入院になる前に受診した病院で医師から「入院させなくては治らなくて大変なことになる。そして退院しても連れて行った(父)人を一生恨むけれどそれでも治療しないといけない」と言われたことを昨日のことのように思い出します。
退院しても普通ではないので精神科へ受診しますが、父を一切診察室に同伴せず自分の都合良く鬱だといいもらった薬も、飲むか飲まないかで破棄し病院ジプシー。そして、薬のせいでこんなになった。父が連れて行ったからこんなになったと攻めまくっていました。
母の病状について悪い相談をすると思っていた様で私と父二人で話することを許さず、弟もいるのですがその頃新婚で一切立ち入ることは拒否していました。
毎晩夜中に目が覚めると父に恨み事いいながら頭をもましていましたが父は大変だったと思います。神様のように母の要求は叶えていました。実は父のほうが体は悪く闘病の日々でしたが、父のせいでこうなった。私の体は悪く何もできない。思い通りにならなければ発狂したようになり、又体のあちこちが悪いと。
良かったり悪くなったりしながらも20年。結局睡眠薬しかもらっていません 。これは手放せないもので、未だに過去の薬のせいでこうなったと言っています。(病院ジプシーできちんと飲んだ薬はありません。)
最後まで面倒を見て我儘を聞いていた父も昨年なくなりました。父は、母よりも一日でも長生きして見送ってから死にたいといっていましたがそれを聞いた母は、私より長生きして一日でも幸せになりたいらしいと言い放った時は情けなく涙がでそうでした。でも、世界で一番好きなのは母だと言っていた父を有難く思い出します。
母は父の見舞いに行く事も嫌がり肝炎のあった父の洗濯物をするのもいやがり弱った父は自分の世話ができないお荷物とおもっていたようです。
遺品整理も肝炎ウィルスがついていて触りたくないと部屋の隅に未だにブルーシートでおおいほっています。父の最後の瞬間も立ち会うのは自分の体調のほうが悪いからと拒否でしたが、先日の一周忌も自分の肺炎予防接種を受けに行くほうが大事であとは疲れるからと欠席。 今は離婚予定の弟と二人暮らしですが、弟も手を焼いているようです。
父と病院に連れて行った私を母は嫌っていますし、全てを見てきた私も母を許せません。そして暖かく優しかった父の事を想うと私の心は未だに千々に乱れます。
母の病気は何なのか?精神病が絡む人格障害でしょうか?
嫌がる私を記憶がないから(おかしかった時の状態をそう言います)というだけで病院につれていくのは間違いだと母は言いますが、私と父が病院に連れて行ったのはまちがいだったのでしょうか?何か方法があったのでしょうか?まとまりもなく長々と失礼します。
また、この文章が悩める他の方の参考になりますように。
林:
ある日突然せん妄状態になり、
と記載されていますが、その時の状態がせん妄状態だったかどうかはわかりません。「せん妄状態」は専門用語ですから、この言葉を使った時点ですでに診断という専門的判断が入っており、ご家族が症状を説明することにこの言葉を使うのは適切ではないと言えます。
時間感覚もなく亡くなった姑のことや小姑へのうらみつらみや、天井から砂が山のように零れ落ちる、節穴から人がのぞいてる等々気がおかしくなったとしか言えませんでした。
このように具体的にその時の状態を描写書していただくのが最も適切で、最も正確な判断につながります。そしてこの描写は、せん妄状態の可能性は否定はできないものの、「急性の精神病状態」といったほうが適切でしょう。
そしてこの直後の経過、
その頃私は嫁いでおり父と母二人暮らしでした。父は血相かえて母を病院の精神科へ連れていき精神安定剤など処方されました。
「精神安定剤など処方」という対応からみて、この時の医師はせん妄状態ではないと診断していたと考えられます。すなわち、やはり発症当時の状態はせん妄状態ではなかったということです。
したがって、
しかしせん妄状態は続き、
この表現は誤っています。「精神病状態は続き」が正しいです。
(以下は、メールでの表現にかかわらず、精神病状態 として回答を進めます)
その後、入院治療である程度までは回復したものの、退院後は薬を飲まなかったとのこと、これは残念ながらよくある経過で、これではさらなる回復は期待できず、悪化することが目に見えています。
良かったり悪くなったりしながらも20年。結局睡眠薬しかもらっていません 。これは手放せないもので、未だに過去の薬のせいでこうなったと言っています。
ずっとお世話をされていたお父様のご苦労は大変なものがあったとお察しいたします。
睡眠薬だけで回復するはずがなく、また、「過去の薬のせいでこうなった」というのもご本人がよく訴える典型的なものです。
母の病気は何なのか?精神病が絡む人格障害でしょうか?
「精神病が絡む人格障害」とはいかなる意味でいっておられるのか不明ですが、精神病性の障害であることは確かです。このメールの通りだとすれば発症は65歳ですので、統合失調症としては非典型的です。しかし統合失調症類縁の障害であるとまではいえそうです。
私と父が病院に連れて行ったのはまちがいだったのでしょうか?何か方法があったのでしょうか?
病院に連れていかなければもっと大変なことになっていたでしょう。病院に連れていかれたのがまちがいということはありませんし、最善の行動でした。しかし退院後に治療を続けられなかったのは失敗でした。では治療を続ける方法があったかどうか。あったとして、それは強制的ないしは強制の要素が幾分かでも入るものであったかどうか。これらについては当時の状況が不明なのでわかりません。言えるのは「治療を続けることが最善だった」までです。
(2019.5.5.)