パニック発作の診断 (10年前、2003年9月の回答をめぐって)

精神科Q&Aでは、諸事情により、ごく短文で回答することがある。
その中の一つに、10年前、2003年9月の【0494】パニック発作時の原因不明の血糖低下・その2 (【0449】の続き) がある。回答はわずか3行、次の通りだ。

林: あなたは発作で命を失う可能性があります。すぐに信頼できる内科医を受診してください。メールなどを書いている場合ではありません。(これは取り急ぎの回答です。詳しく説明している暇はありません。すぐに内科を受診してください)

命にかかわる。すぐに受診を。精神科Q&Aとしては例外的ともいえる切迫した回答だ。
すでにこの回答の3ヶ月前の【0449】が、危険な状態であった。【0449】の時点で、この30歳の女性は、パニック障害と診断されて通院治療を受けていた。そしてあるとき、まさに発作が起きている時に受診したところ、血液検査の結果、飢餓に近い低血糖であることがわかった。しかもインスリンの値も異常であったという。しかし、その検査をした主治医は、原因がわからないと言ったというのである。
これがパニック発作でないことは火を見るより明らかだ。これは低血糖発作である。主治医が「原因がわからないと言った」のは、低血糖発作の原因がわからないという意味ではないだろう。インスリンが「異常」としかメールには書かれていないが、おそらくは異常に高い値であったのであろう(インスリンは血糖値を下げるホルモンである。したがってインスリンの量が多いと、血糖値は下がる)。であれば、この人の低血糖発作の原因は、インスリンの異常高値である。そして著しい低血糖になれば、人は昏睡になり、さらには命にかかわる。一命をとりとめても、脳に回復不能のダメージをもたらす可能性が高い。
だから【0449】の回答では強く警告した。冒頭の二行は、「あなたはパニック障害ではありません。あなたの発作はパニック発作ではなく、低血糖発作です。生命の危険もあります。信頼できる内科を一刻も早く受診してください。」だ。この回答をお読みになれば、すぐに病院を受診していただけると私は信じた。しかし甘かった。
甘かったことがわかったのは、それから3ヵ月後のことだった。それが【0494】である。質問メールはこのように始まっている。

「【0449】でご回答をいただきありがとうございました。
検査の結果、内科的にはどこも悪くないとの診断でした。」

私は驚愕した。一体どういう医者が診断したのか。低血糖発作を繰り返している患者を、「内科的にはどこも悪くない」と診断するとは、唖然とするほかはない。しかも「ぼくには因果関係が解らない」と言ったとのことである。もちろん医者にもわからないことはたくさんある。しかし低血糖が命にかかわることがわからなければそれは医者とは言えない。原因がわからないことならあるだろう。このとき、責任ある医者であれば、「自分には原因がわからないから、専門の医師に精密検査を受けてください」と言うべきところであろう。私はこのメールを読んで驚愕した。【0449】の回答ではまだ切迫感が伝わらなかったらしい。【0494】の回答は、だからさらに切迫感を増したつもりだったが、いま読んでみると【0494】との違いはあまりないようにも感じられる。この方がどうなったか、その後はメールがなく不明である。

この【0494】、【0499】のその後はずっと気になっていながら私の意識の後方に退いていたが、10年たって鮮やかに思い出した。それは、つい最近、似た症状の患者さんに出逢ったからである。

彼女は20代、優れたアスリートである。しかし、2年ほど前から、トレーニング中に不安感と脱力の発作に襲われ、トレーニング中断を余儀なくされるという事態が時々出現するようになった。そしてしばらく休むと回復する。こういうことが何回もあり、内科を受診した。血液検査では特に異常なし。てんかんの疑いで脳波検査を受けたが脳波も特に異常なし。筋肉の病気の疑いで筋電図などの検査も受けたが異常なし。パニック障害の疑いもありと言われたが、発作が出る場面も発作の症状も典型的でない。ということで、「原因不明。てんかんまたはパニック障害の疑いだが、確定診断はできない」と説明され、「無理な運動を避けてください」と言われたという。
それから2年間、やはりトレーニング中に時々発作が出ることが続いていた。ところが最近ではトレーニング中以外にも発作が出るようになったということで、私の診察を求めていらしたという経緯である。
これまでの症状を詳しくお聴きしたところ、不安感、発汗、動悸など、症状項目的にはパニック発作に似ているが、発作の出方などからはパニック障害らしくなかった。持参されたメモの中には、最初に内科を受診されたときに受けた血液検査のデータもあった。「特に異常なし」と言われた時のデータだ。それを見ると、確かに著しい異常値はないが、血糖値はやや低かった。「やや低」というのは、血液検査の所見としては微妙で、どんな検査でも、少々基準値を外れるくらいだと「特に異常なし」と言えないことはない。だがこの人の症状は、パニック発作に似た症状だ。すると、低血糖による発作の可能性が否定できない。
パニック障害とは、不安感、そして発汗や動悸などの自律神経症状を伴う発作が出る病気であるが、このような発作が出る病気はパニック障害だけではない。低血糖でも似た発作が出ることがある。低血糖発作を起こす代表的な病気の一つが、インスリノーマという病気だ。インスリノーマとは、体内に、インスリンを産生する腫瘍ができ、その結果インスリンが過剰に分泌され、低血糖発作を起こす病気である。
というわけで、いくつか検査をしたところ、インスリンの高値を含め、インスリノーマに一致する所見だった。であれば精神科で治療できる病気ではない。そこで内分泌内科の専門医に診察していただき、身体のCTスキャンをすぐ撮ったところ、膵臓に腫瘍が発見され、これがすべての原因であることが判明した。そこでバトンは外科医に渡され、入院して手術によりこの膵臓のインスリノーマを切除、結果、彼女の病気は完治した。これ以後はもちろん、運動時を含め、不安や脱力の症状が出ることはなくなった。

というように、インスリノーマは、外科手術で完治できる病気である。だが診断が確定せず治療をしなければ、低血糖発作で命を失う可能性がある。命にかかわる病気の診断がメールの情報だけで下せることはごく稀だが、【0449】はその稀なケースだった。つまりインスリノーマの可能性が非常に濃厚なケースだった。だから回答は端的・切迫したものになった。10年前のことだ。その後の経過は不明である。

04. 9月 2013 by Hayashi
カテゴリー: コラム, パニック障害