【2445】うつ病ですが幼少期の嫌な出来事がフラッシュバックします
Q: 40代男性です。地方に住んでいた母は二十年前に左目後方付近に生じた脳腫瘍の切除手術を受け、右半身麻痺の後遺症と器質性精神障害によりうつ病となりました。私達兄弟(共に四十代・私が兄)は二十数年前に地元の高校を卒業後、遠距離地へ就職いたしました。十数年前に父が亡くなってからは不自由な身でありながら一人暮らしを送っていました。私が所帯を持ち、マイホームを手に入れたのを機に、地方で暮らしていた母を呼び寄せ同居しました。慣れない環境からうつ症状が顕著になり、泣き叫んだり、被害妄想から警察に被害届を出しに行ったり、夜中に下着姿で徘徊し警察に保護されたりと様々な出来事が続きました。車で二時間程の所に一人暮らしをしている弟に預かってもらいましたが、弟の住まいである公営住宅の隣家の人が弟の悪口を言っている、トイレの水を流す音がうるさいと言われた、など、弟の所でもおかしな言動が見られ「もう限界」と弟から見放されました。私の所へ戻ってきた途端、ご近所の方へ「家族(私達夫婦と小学生の子供)から攻撃を受けている」と訴えるまでになり、精神科病院へ救急搬送され医療保護入院となりました。医師と病院のスタッフ、私を加え、五人がかりで押さえつけなければならないほどの抵抗の末の入院となりました。翌日、身の回りの必需品と入院手続きを兼ね病室へ面会に行ったところ両手両足を抑制された惨めな姿の母を目の当たりにしました。親を精神病院へ入院させた罪悪感と、将来への不安に押し潰されそうになり私自身もうつ病となりました。ソラナックス、ジェイゾロフト、ワイパックス、レメロン、不眠にもなりレンドルミン、ベンザリンも服用しています。胃痛と逆流性食道炎も併発し、ムコスタ、ガスター等の薬も服用していた時期もあります。母の看護と自身のうつ病で疲れ果ててしまいました。母とは別の精神科病院へ四年間通院しておりますが、改善の兆しがあったかと思うとまた落ち込んだりと不安定な状態が続いております。その後母は半年間の入院治療後、自宅での母との同居に自信が持てなかった私の勝手な都合で老人保健施設を転々とし(一年間の入所制限があるため)、この春にようやく特別養護老人ホームへ入所する事ができました。次の行くあてを探す精神的な心労から解放され、正直安堵しています。
前置きが長くなりましたが本題はここからです。母の病状の事では無く私自身のことです。生家を離れ二十数年、どちらかと言えば社交的な明るい性格であった私ですが、母のことで振り回された数年間で別人のように性格が変わった気がするのです。妻子に対する暴言、悪態、人と関わりあいたくない、イライラする、消えてしましたい、音が気になる等々、これらはうつ病の典型的な症状と思いますが、うつ病となったのと同時期に、今まで心の奥深くに封印していた幼少期の母との出来事を断片的に思い出すようになりました。私が小学校低学年時の冬の夜。一緒に寝ていた布団の中で「手が冷たいね、暖めてあげるね」と母の下着の中に手を導かれました。その時に手で触れた陰部の感触が記憶に残り、成人になり女性と肉体関係を持つ度に母を抱いているような感覚に襲われる時がありました。また、母は非常にヒステリックな性格で、機嫌が悪いと執拗に私を責めました。リストカットなんて言葉が無い時代に小学生が泣きながらカッターで腕を切りつけたりもいたしました。その傷跡はまだ薄っすらと残っています。他人に対する好き嫌いも激しく、嫌っている人が我が家を訪問すると「シーッ」と言い、私にも居留守を強要しました。父の買い置きの煙草を「吸ってみようか」と吸わせられた事もあります。母に怒られまいと家の中ではいい子を演じていましたが、家の外や学校では抑え込んでいた感情を発散させ悪い事(同級生へのいじめ、小動物への虐待等)を散々してきました。同級生からは嫌われ者の的となり、いじめられた生徒からの訴えで担任の先生から連絡を受けた母の対応は、「○○君がお前がいるから学校に行きたくないんだって」と注意する事もなく平然としていました。ちょっと普通の神経ではない人だなと子供ながらにもそう感じていました。 現在私には妻子がおりますが、妻が子供を出産し「母」となってから女性として見る事が出来なくなり夫婦生活は無くなりました。妻の方から積極的に求めてくる訳ではないので、何となく家族を保っているような状況が十数年続いています。生んでくれた親だから何かとお世話をしてきましたが、正直、母の事が好きではありません。こんな自分、生まれてこなければ良かったと思ってしまいます。悪夢にうなされ深夜に何度も覚醒し、宙を見て「てめぇふざけんじゃねえ」と怒鳴った事も何度かありました(自覚あり)。買い物をすると気分がすっきりするので、ネット通販で散財もしました。使える範囲での買い物でしたが二百万円近く使いました。うつ病を公にしたことで職場での私の評価は下がりました。「やる気が無い奴だ」と公言した一部の上司に対しては自ら避けるようになりました。出勤が苦痛です。消えてしまいたいです。最近になり遺言を書き始めました。住宅ローンや保険金、預貯金の詳細等を妻に残す遺言です。突然私が死んでも困らないようにと書き始めました。 いつ死んでもいいと思っています。いずれ生命は尽きるのですから。もう疲れました。楽になりたいです。しかし自殺は残された家族に迷惑がかかるので避けたいとは思います。アルコールも煙草も健康を気にせずかなりの量を摂取しています。治療を必要とする病気になったら延命治療の措置は拒否し迷わず死を選びます。もしもアドバイスをくださるのでしたらお聞きしたいのですが、これらの行動はうつ病が原因でしょうか?単に悲観的な性格からくるものでしょうか?それとも他の疾患でしょうか?現在月に一度通院している主治医の先生には、母の看護のために疲れたとしか伝えておりません。幼少期の出来事は恥ずかしくて言えずにいます。
林: まずお母様の病名ですが、うつ病、器質性精神障害、統合失調症 のいずれも考えられ、どの可能性が強いともいえません。うつ病だとすれば 精神病症状を伴ううつ病 ということになり、重症といえます。
質問者ご本人については、その症状として、
妻子に対する暴言、悪態、人と関わりあいたくない、イライラする、消えてしましたい、音が気になる等々、
これらは、質問者ご自身がお書きになっている通り、
うつ病の典型的な症状
ではありますが、具体的な記述がないので(つまり、たとえば「悪態」といっても、どのようなものがどのような時になされるのか、「音が気になる」といってもどのような音がどのようなときにどういうふうに気になるのなか、など)、これらがうつ病の症状かどうか判断できず、またそもそも質問者がうつ病かどうかも判断できません。
したがいまして、
これらの行動はうつ病が原因でしょうか?単に悲観的な性格からくるものでしょうか?それとも他の疾患でしょうか?
わかりません。いずれも考えられます。
(2013.9.5.)