【2859】精神病当事者として出産した経験談を報告させてください

Q: まず、このような場を提供してくださっている林先生に感謝申し上げます。35歳女性です。
人生の途中で精神病と診断されたことのある女性として、私の出産記録をご報告したいと思います。精神病当事者として、出産した経験談を、出産に対する不安で悩んでいる女性に向けて、ただの1ケースだけではありますが、報告しておきたいと思ったからです。

私は大学時代(22歳)に発症いたしました。妄想・幻覚・遁走により、医療保護入院で閉鎖病棟に入りました。
非定型精神病と診断され、処方はセレネースが主でした。

服薬により症状は落ち着き、なんとか卒業はでき、社会人となりました。会社には病歴は隠していました。
精神病と診断されたことが少なからず対人面で引け目となり、うまく社会人として生活できていませんでした。
将来を心配した両親に、お見合いをすすめられ、結婚することになりました。
このときも病歴は伏せていました。言い出すきっかけと勇気がありませんでした。

主治医と相談した結果、25歳の結婚を機に薬はやめることにしました。
薬をやめても、体調は変わりませんでしたので、再発の不安も抱えながら、28歳のときに妊娠、出産しました。
不妊期間がありましたので、3年間断薬していたことになります。

出産は自然分娩で、難産でもありませんでしたが、3時間おきの授乳のタイミングがつかめず不眠となり、産後1ヶ月ほどで挙動がおかしくなりました。
学生のときとまったく同じ感覚が襲ってきました。今思えばここで、適切な投薬治療を受けて母乳を断念すべきでした。

混乱状態の中、乳飲み子を残し精神科に入院することとなりました。

私の入院中は子どもは義母の助けにより、完ミ(完全ミルク:育児雑誌によると完全に人工乳で育つという意味らしいのですが)でした。
出生後私が退院するまで5ヶ月ほど私とは離れて育ちました。ほやほやの赤子だったのが、ぷくぷくと育っていたのに安心しましたが、失われた5ヶ月を思うと、今でも後悔はあります。
でも事実はどうしようもないことです。

5ヶ月というのは、子どもの睡眠リズムが落ち着くまで・人見知りをする前までという周囲の判断からでした。処方はリーマスとテグレトールが主になりました。
幼児期の子育てでは、3歳児神話と母乳信仰がとても辛く感じたことを覚えています。これらはいたずらに新米の母親を苦しめるだけの理想論です。

義理の家族とは最初は感情的にこじれましたが、7年経った今、子どもは健康優良児の小学生になりました。
ママ大好きと言ってくれています。もちろん、こちらから愛情表現は惜しみません。私は今はジプレキサを飲んでいます。

さすがに2人目は断念しています。しかし、この子を産んだことは後悔していません。むしろ生まれてきてくれて本当に感謝しています。
もともと苦手だった対人関係も、子どもの成長とともに自分が癒されていっているような気がします。

これから妊娠・出産を考えている方に、こんなケースもあるんだと知っていただければ幸いです。

最後に、林先生に質問ですが、非定型精神病と言われていたのが、主治医が代わり統合失調感情障害と病名が変わったのですが、これはよくあることなのでしょうか?

 

 

林: 貴重な体験談をご報告いただきありがとうございました。

精神病当事者として、出産した経験談を、出産に対する不安で悩んでいる女性に向けて、ただの1ケースだけではありますが、報告しておきたいと思ったからです。

たとえ1ケースでも、生きた実例はこのうえなく貴重なものです。多くの読者にとって大いに参考になることと思います。

非定型精神病と言われていたのが、主治医が代わり統合失調症感情障害と病名が変わったのですが、これはよくあることなのでしょうか?

非定型精神病は、現代の公式の診断基準にはない病名で、統合失調感情障害が、従来の非定型精神病にもっともよく重なる診断名です。厳密には全く同じとまでは言えませんが、実地上は同じと考えていいです。つまり時代が変わって名前が変わっただけとご理解ください。

(2014.12.5.)

05. 12月 2014 by Hayashi
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