【2917】私についての医師の見解に、母が納得しない
Q: 26歳の女性です。 今回、どうしても自分に似た症例の方が見つけられず、私についてご相談させていただきたく、投稿させていただきました。今の私の症状により、私も私の家族(母・3歳上姉・父は別居中)も関係が悪化するほどに疲れ果てています。 この問題を解決しないと家族はばらばらになってしまいそうです。今日も言い合いし、お互いに泣き、現状に失望してます。 歩み寄りたいのに、私にはもうわかりません。何卒客観的な事実を教えてください。 私はどのような病気でどう治療すればいいのでしょうか?これからどうしたらいいのか、考えたく思います。
私は今現在、実家の会社の手伝いをしながら、隣町の心のクリニックに通院中です。現在は欝という推測のもと、デパケンR200mg×2とジェイゾロフト25mg×3を朝一回服用しています。 服用し始めてから4ヶ月くらい経ちましたが、母が最近「やっぱりこの薬はあなたの症状には合わない」といい始めました。私は、言われた通り服用してデパケンのみのときより状態も良いのに、なぜ?と口論になりました。度々、治療について口論があり、今回もまたか・・・といった気持ちです。お互い理解しあえず、母曰く「あなたが一番つらいだろうけど、私や姉も心身ともに疲れきってる」といいます。何故こうなってしまったのか、さらに詳しく経緯を記したいと思います。
私が病院に掛るようになったのは、昨年からです。きっかけは、毎夜繰り返される腸とも胃ともわからない激痛(唸って汗がでて、うづくまるほど)と毎食後胃痛で3時間はつらいといった症状でした。原因は職場と家庭でのストレスだと思います。(自営業なので、仕事と家庭は切り離せません)それは自覚があります。なぜなら、私の家庭と会社は今、問題山積です。私は3年弱働いていた会社を昨年退職し、母が経営する会社に入りました。理由は現在両親が離婚調停中で、父は昨年に急に会社を放り出して、母を助けなければならなくなったからです。父はその後も近所の同業者としてしゃあしゃあと生活しています。もともと小学校くらいから母と父の仲は怒鳴りあいをし、高校の頃には別居していました。会社は別居してからも父が社長でしたが、高校2年ごろ多額の借金が膨れ上がり倒産の危機を向かえ、元々母方の会社であった事もあり、母が会社の経営に干渉するようになりました。父は仕事に口出しされることに腹をたて、他人や私達に母の事を過剰に非難した末、ついに投げ出し逃げました。終いには、裁判で慰謝料と財産分与を求めてくる始末。めちゃくちゃです。家庭も、同時進行で、姉の進学の可否で中学も高校も怒鳴りあいが母と姉の間で交わされ、結局大学中退で母と姉の仲も険悪でした。どうして家族なのにお互いの事をもう少しゆるしてやらないのかと、私も悩んだり、泣き喚いた事もありました。家族の不仲と会社の存続が不安でした。おまけに職場では、引継ぎもなしに社長が変わり手探り状態のところ、運悪く、長年勤めていた片腕のような社員が退職するとまで言い出し、私も母もストレスはピークでした。この症状が始まる直前には、職場で1日中胃が焼けるようだったとおぼえています。 病院には初め、中病院ほどの外来に昼の胃痛でかかりました。外科の先生でしたが、過敏性腸症候群だろうということでいくつか処方を受けました。それでも激痛と胃痛は治まらず、特に夜9時くらいから12時近くまで続く激痛は辛いものでした。(痛すぎてたえられず大腸洗浄をしたこともあります)やはり、どこか悪い可能性があるだろうと今度は、消化器の専門医のクリニックに行き、内視鏡をしてもらいました。検査をするころには痛みが始まってから3週間ほどたっており、多少夜の痛みが治まってきていました。胃は多少炎症の後が見られるが問題ないくらいで、タケプロンを処方してもらいました。母は、この症状をやっぱりストレスのせいだろうといい、一度カウンセリングとか心療クリニックに行ってみない?とこの頃から言い始めました。 母としては、この症状以外に以前からおかしい他の症状を感じていたのです。疲れやすい、肩こりがひどい、時々ぼーっとする、やる気や感情の起伏が激しい、飽き性、将来への不安が強い、いらいらしやすい、焦燥感がある、爆発すると外でも泣いてわめく、泣き喚いて部屋にあるものを投げまくるなどの症状で、私自身前の職場にいたときから多少欝傾向なのかなと感じていた症状でした。ですので、性格なのだと思っていました。大学から一年前と違う人みたいと、外見が特にですが、言われる人間でした。母が以前の私ではないと言ったとき、仕事をしていた3年の間遠く離れていたし、変わっただけだと思っていました。けれども、何に対しても長続きしない、何も楽しい事なんてないと時々思う、将来なんかどうにもならない、他人なんて信用ならない、同じ年齢の友達がしているように夜遅くまで活動することがしんどい、というような不便を大学3年くらいから徐々に感じていたので、母がそう指摘したのに甘えて、もしこれが病気として治せるのなら・・・と期待して心療内科に一緒に行く事にしました。 初めてかかった心療内科は隣町のクリニックで、母が診察してから、私が診察を受けると言った方法で診察しました。結果は、私の母への精神的依存を自立に導くカウンセリングが必要ということで、処方は感情の起伏を抑えるおまじないのような意味でデパケン100mg×1を処方されました。しかし、私は当初カウンセリングは気が乗らず、また医師がたった一回の診察で自分の診察からカウンセラーに投げた事が納得いかず、通わなくなりました。母もこの意見には賛成で、もっとちゃんとした大きい検査も出来るような病院を探してみようと言う事になりました。 次に掛かった病院は総合科もある、名も通った大病院で一番その中で有名な医師のところにしました。待ち時間が5時間近いけれど、ここならと思いましたが、結果は納得できるものではありませんでした。医師の診察の前に研修医が問診、医師が同じような内容を再度問診、二度も話した末に、「胃痛等がストレスで出ると言う人はいますからその可能性はあると思いますが、精神疾患ではないです。精神疾患とはもっと自分の意思に関係なくおきますので」とのこと。母がこのそっけない反応に激怒し、近くで見ている家族が以前と違うと言ってるのになんなんだ!というと、あきれたようにじゃあ午後に脳波の検査をしてみます?と、午後に出直し脳波検査を受けました。結果は、てんかん等の波形はなく、ただ多少疲労で神経が過敏になっている傾向はあるかもしれませんと、デパケンRを200mg×2で処方されました。 健常人がすぐ病気だと思いたがるのよねと言われたようで、とても気分が悪くなりました。でも、じゃあ自分はやっぱり性格が変わっただけなのだとも思いました。この診察をうけて、私はもうあんな思いを診察を受けてしたくない、病気じゃないんだと母に言いました。母は納得できないけれど、私が嫌だと言うのでこれ以上病院を勧めませんでした。母も、私が病院に連れて行く母が悪いと言っているようだとこのとき辛そうでした。 けれども、症状は勿論治らず、この後大変な口論をしてしまいました。離婚訴訟の弁護士の先生との母との食事の席で、泣いて激怒して恥ずかしく途中で席を立って帰ってしまったのです。原因は、弁護士の先生が精神的に疲れてると聞いていた私を気遣い「運動とか気分転換にいいですよ」「年になるとそういうことも如何でもよくなるんですよ」といったことに”わかりもしないくせに”という気持ちが膨れ上がり、お酒の入った母が「そうよ、としになるとどうでもよくなるんだから」といい、私の態度に「あなたどういう態度してるかわかってんの!?」と歯を食いしばったように怒ったことで爆発しました。母が弁護士の先生に何を言ったか知らないが、二人にあの場で諭されたような気がしてならなかったです。私の気持ちも知らないで、母もあんな言い方をして先生の前で馬鹿にしたうえ叱るなんて、と絶望しました。私の他人への不信感はますます強くなりました。帰ってから、夜は一言も話さず、次の日も会社で一言も話さず、その夜母がどうしたの?とまるで何も分かっていないような話しかけ方をしたことで口論になりました。今までで一番激しく怒鳴り散らし、泣き喚いて、もう母も信じられない!出て行ってやる、もうどうでもいい!となじりました。母のショックを受けた顔が忘れられません。あんなこと、悲しくて虚しくなり爆発して怒りをぶつけたのだと、わかっていました。裏切らないでくれと心から願い、泣き喚いたのを覚えています。 母はこの一件で、自分が小さい頃からもっと家庭に目を向けてればこんなことにならなかったと言って泣いていました。償う為にも自分と一緒に治療して欲しいと、もう一度一緒に病院に行こうと母から切り出しました。 母を悲しませた事と母を悲しませるような状態の自分が嫌でした。病院には行くと約束しました。これ以上悲しませたくないと本当に情けなかったです。 ここから現在通っているクリニックにいくようになりました。診察は母と私二人一緒に診察室に入り行っています。(母の希望です)医師は、一概に病名を決めるタイプでなく、「こういう症状に近いから、あえて病名をつけるなら○○だねって感じに考えるんだよ。あれは一般論なんだから、全員に当てはまらない部分もあるよ?」という説明をし、私はその説明に共感できました。今までの病院では病気じゃないと言われ門前払いされていたという思いからも、ほっとした気分でした。一回目の診察ではまだ病気かは分からないけど、社会的に影響があるようだから病的状態ではあるよね、という結論になり暫くの通院を約束、デパケンを継続処方しました。多少満足した私とは違い、母は病名をつけなかったことに不満足でした。私が先生は病気だとは言ってないから、決め付けないで、というのが嫌だったようです。(このころはまだ病気かどうか疑心暗鬼でした) 3回目の診察で痺れを切らし、母が病名はなんなんですか?と聞くと、医師は双極性障害のⅡ型が一番近いんじゃないかな?と診断しました。もしくはパーソナリティ障害かな。とも付け加え、今後この推測の元薬を処方し、効果を見ながら特定していくと言いました。そこからは、デパケンR増量→効果なし→減量+ジェイゾロフト20mg×1→ジェイゾロフト増量+デパケンR200mg×2で現在に至ります。 私としては、何に対しても長続きしない、何も楽しい事なんてないと時々思う、将来なんかどうにもならない、他人なんて信用ならないなどの欝傾向な考えがなくなったし、ないてわめく事もなくなってきたので、ジェイゾロフトには多少満足しました。疲労感と肩こり・気分屋は消えないので、もう少し治療を続ける必要があるんだろうなと思っていました。 そこに母の今回の、「薬があってない」発言です。正直、どうしたいんだ!じゃあ!と言いたくなりました。医師に双極性障害Ⅱ型と聞いてから母は本を読み、リチウムや電磁波とか他に良い治療があるんじゃないかと思っていたのは感じていました。でも実際ジェイゾロフトは私の欝っぽい気持ちを軽減させ、続ければ治るという可能性も否めないのではないかと思います。結局母が納得する診察・治療・治癒とはなんなのか、分かりません。母は、ジェイゾロフトでは私の気分の起伏も激しくはなくなったが、一日のうち何度も波が寄せては返しているように小刻みになったし、傍から見てもおかしいとおもうような行動をするとか、ぼーっとしてることも多いとか、買ったものをすぐ売ったりというのもおかしいと指摘します。普通の人間がオブラートに自然に包む感情を、包む壁が薄いのだと言います。具体的な指摘があまりないので、母の言う事に100%納得は到底出来ません。けれども母はもっと真剣にあった治療をしてくれる病院を探そうと言います。姉も、母曰く、私がいつきれて泣き出すか怖がって気を遣い疲れているようです。 結局母が納得がいく診療をしないと、終わりはないのだと追い詰められた思いがしました。 だったら、行ってやる、よくなるって言うなら納得するまでやってやると思いますが、どこにいけばいいのか、どのような治療が良いのか分かりません。また診察は母は一緒に受けたいといいますが、(私だけでは本当の症状が伝わってないといっています)それもそれがいいのかどうかわかりません。それに母に言っていない症状もあります。3年仕事をしていたとき、過食・嘔吐をしていました。大学の頃ほんの出来心でやったことが一人暮らしで酷くなりました。そういったことも私の心身を病的にしていることも恐ろしく思っています。今はしていません。 私も母の言うのが本当なら、治りたい、変わりたいです。けれど、本当に病気なのかも実際謎です。私自身、私は何らかの精神の病ではないかとは半分思っています。残りの半分は、家族への甘えなどが原因ではないか、性格ではないかと思っています。自分のことがわからないと答えが出せません。先生に事実を教えていただき、受け止めたいです。家族を大切にできる人間になり、この疲労感が邪魔でフル活動できない心身を積極的に治療したいです。 長文となりましたが、読んで頂きありがとうございます。Q&Aでご回答いただけることを切に願っております。よろしくお願いいたします。
林: 質問者とお母様の関係が最大の問題でしょう。まず質問者とお母様が離れることです。そうしない限り、どんな治療をしても、いつまでたってもよくならないと思います。
どちらかというと、質問者よりもお母様に問題があるように見えます。親が子どもの回復を阻んだり、そもそもの子どもの精神的問題の原因であることはしばしばあります。
但しこのケース、子どもの側からの視点での描写にすぎませんので、「質問者よりもお母様に問題があるように見えます」は、あくまでもこのメールからの判断で、実際は違うかもしれません。
いずれにせよ、質問者とお母様が離れることが第一で、もしかするとそれが唯一の方法かもしれません。
(2015.3.5.)