20年の回顧
「Dr林のこころと脳の相談室」を開設したのは1997年4月16日である。今は2017年だから、20年が経過したことになる。20年というのは振り返ってみてもいい長さの期間だと思うので、思いつくままに回顧してみることにした。
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1997年当時、インターネットはまだまだ一般的ではなかった。だがこれからは爆発的に普及するであろうと人は予想していた。それなら有意義に活用しようと思ったのか、ただ新しくて面白そうだと思ったのか、今となってはよく覚えていないが、精神科の病気について、多くの方々に正しく知っていただこうというのがサイト開設の主な目的であったことは確かである。
そして1997年4月16日、「うつ病」「アルコール依存症」そして「精神科Q&A」の三つのコーナーで、「Dr.林のこころと脳の相談室」はスタートした。
当初は病気の解説を中心にするという計画で、各病気について、「ホームページ」「診察室」「家族カウンセリングルーム」「薬局」「医学部講堂」「図書室」「有名人」「書斎」という8つのコーナーを設けることで、解説内容をの整理を試みた。各コーナーを部屋にたとえるのは、当時ネット上にあったサイトには比較的よくあった形式を模倣したものである。現代から見ると不器用というか何と言うか違和感があるが、インターネット黎明期にはリンク先を実世界の物にたとえるのはむしろ普通だったように思う。
このパターンで 主要な病気を順次アップしていき、最終的には精神科の病気を網羅するというのが開設当時の私の計画だった。
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だから精神科Q&Aは、付録という位置づけで考えていた。
それにもちろん開設当日には質問メールはまだ一通も来ていないから、【0001】から【0016】までは自作自演である。
最初の質問メールをいただいたのはいつだったか。
精神科Q&Aを見直してみると、実際の質問メールに答えた(と思われる)【0017】の日付けは 2000.9.5. になっている。サイト開設から3年も過ぎた時期である。
当時は電子メール自体が一般的でなかったし、ネット人口も少なかったし、開設したばかりのサイトの質問コーナーにそんなにメールが来るはずがないが、3年間も一通も来なかったということはなかったはずである。
では2000年9月まで、なぜ回答しなかったのか。
いただいた質問メールはすべて保存してあるので、調べればわかるのだが、当時の保存媒体はフロッピーディスクなので、いま手元にある機器ではもはや開くことができないから、とりあえず思い出せることを書いてみる。
確実なのは、当初はメールの質問にはメールで答えていたということである。と言っても、一通のメール記載の情報だけからは答えられないことも多かったので、質問者とメールで何通もやり取りしていた。
そういう個人的なやり取りをサイトで公にするのは適切でないと考えて精神科Q&Aには掲載しなかったのかもしれない。【0017】が、林と質問者の一問一答になっているのは、そのころの多くのやり取りの名残に違いない。
1997年から2000年までの3年間で、どのくらいの数のメールをやり取りをしたかは覚えていない(これもフロッピーを開けばわかるはずだが)。だが、どこかの時点でとても対応仕切れないと感じたのは確かである。
当時、ネット上には医師やカウンセラーが読者からの質問に答えるサイトがいくつもあったが、次々に閉鎖されていっていた。メールが増えて対応仕切れなくなったためであろう。閉鎖にあたってそのような説明を明示するサイトもあった。
私のサイトが閉鎖せずに継続できたのは、比較的早い時期に、「返信はしない」という方針に転換したからである。・・・と最近まで信じていたのだが、【0017】が2000年の日付けになっているということは、方針転換はそう早くなかったのかもしれない。
メールの返信は一切せず、精神科Q&Aで答える。そう決めてから、「ただ事実を答えるのみ」という今の方針は、回答を繰り返す中で自然に固まってきた。
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上記 1 の通り、サイト開設当初は病気の説明を主にするつもりで、その方針にそって「ストレスと心身症」「拒食症」などを次々に追加していた。ところが今はご覧の通りで、精神科Q&Aが圧倒的なメインになっている。
もちろんその大きな理由は、ネットの普及に伴い質問メールがどんどん増えてきたことである。同時に、ネット上には信頼できる医療サイトが増えつつあった。1997年当時は、インターネットはただの落書き公示に近い空間だったのが、急速に進化し、しっかりした権威ある機関が作成した非常に質の高い医療サイトも見られるようになった。そうなると個人作成の医療サイトの存在意義は乏しい。一方で、医師作成のサイトは増えつつあったが、そのすべてとは言わないまでも多くは、患者集客の意図によるもので、それが決して悪いわけではないが、私のサイトはそのような目的は避けることを当初から固く決めていた。匿名を維持している理由もそこにある。
そうなると「Dr林のこころと脳の相談室」の意義は純粋に情報提供ということになり、組織力をバックに作成された優れたサイトが多数存在する時代に入り、病気の解説には意味が失われてきた。また、仮に個人サイトならではの解説を提供できたとしても、その内容は1年、2年とたつにつれて古くなる。それを改訂し続けるのは事実上無理である。ましてや20年となればもはや化石であるから、一時は病気の説明コーナーはもう役割を終えたとして閉鎖しようとも思ったが、20年たっても古くならない内容もあるし、古くなって化石になったとしても、化石には化石の意味もあると思い直して、まだ残してある。但しあまり積極的にはお勧めできないという気持ちが、アクセスを不便にした現在のデザインに反映している。
古くなるといえば、精神科Q&Aの回答も同様である。こちらのほうは以前は時々修正して時代に合わせていたのだが、もはやとても修正できる量ではなくなってしまったし、修正するくらいなら新しい質問に一つでも多く回答するほうが有意義と考え、ある時期から修正は一切しないことにした。代わりに回答の最後に日付を記した。(精神科Q&Aの質問文が列記されているページには、当初から日付を記していたが、そのページを経ずに直接訪れる人も多いことから、各回答の最後に記すことにした。このように直接訪問があるというのも、1997年には全く想定していなかったことである)。精神科Q&Aを見ると、日付がついているのは2010年からなので、それ以後は回答の修正は原則として行っていないことになる。
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ページのデザインの大きな改訂は2回だったと思う。つまり今のデザインは三代目である。
開設当時はホームページ作成ソフトもあまりなく、htmlの本を参考に作った。うつ病の診察室にある、ラジオボタンを用いた自己診断法も、htmlの入門書を見ながら手製でプログラムを書いたものである。今となっては化石だが。
1997年以後、ホームページを作成することが一種の流行のようになった時期があった。ホームページ作成ソフトや、ページを彩る材料が多数発売され、デザインに凝ったホームページが次々に登場した。
私も市販の材料を利用し、デザインを工夫するマイナーチェンジを何回か行ったが、わりとすぐにやめ、テキストだけの形に落ち着いた。私にデザイン能力がなかったせいもあるが、それより何より、当時のネット環境はまだまだ回線が細く、ページが少し重くなると読み込みに長時間を要するという状態だったという理由が大きい。
それでも最初のデザインはあまりに原始的だったので、1回目の大改訂を行うことにした。いつだったかはよくわからない (これもフロッピーを開けばわかるが)。現在は三代目といったが、それはトップページや精神科Q&Aの表紙のように(この「林の奥」もそうである)、ページの左側が濃い青色になっている部分で、そこが明るい青色になっているのが二代目のデザインである。
このデザインは意図あってのことで、回答の深さによって段階的に色を変えるつもりだった。つまり、明るい青のページはごく一般向けの回答。専門的な回答はグレー。というように。ごく一部はそれを実現したが、結局はそこまで回答を精密に書くのは時間的に無理で、ただ青い帯だけが残存しているのが今の状態である。
WordPressを用いた現在三代目のデザインは、サイト運営の周辺活動で知り合う機会を得た方のアドバイスとご助力によるものである。この方はインターネットのプロフェッショナルで、以来、現在までページ管理をしていただいている。全くのボランティアでお世話になっている。何かの機会にお名前を開示して感謝の気持ちを表明したいと考えたのだが、ご本人のご意向により非開示を維持している。WordPress導入がなかったから、作業時間から考えて、サイトを毎月更新することが現在まで続けられたかどうかは大いに疑問である。続けられたとしても、精神科Q&Aの回答量は大幅に少なくなっていたに違いない。この匿名の協力者の方には感謝してもしきれない。
本コーナー、「林の奥」は、WordPress導入と同時に新設したものである。精神科Q&Aは事実をそのまま回答するものであるが、曖昧な回答・あまりに簡潔な回答・よく意味がわからない回答なども散見されることに、レギュラーな読者はお気づきのことと思う。これらはすべて意図あってのことで、それらを適切な機会に適切な形で開示するのが「林の奥」開設の主目的であった。「林の奥」の「奥」とはその意味である。
しかしこれもまた当初の意図とはやや違った形になっている。「林の奥」に掲載した文のいくつかは目的通りの内容だが、むしろそれは少数で、その時々の思いつきで書いたものが多い。ましてやここに回顧録を書くなどとは全く考えていなかった。いや、そもそも開設当時は20年も続けるなどとは夢にも思っていなかった。