小保方晴子氏のAkui

虚言癖、嘘つきは病気かの執筆にあたって読んだ資料の中に、理研(理化学研究所)の「研究論文の疑義に関する調査委員会」による「不服申立てに関する審査の成果の報告」(2014年5月7日付け) がある。これに先立つ2014年3月13日に同委員会は、「研究の疑義に関する調査中間報告書」を発表し、小保方晴子氏に研究不正があったと結論づけているが、それに対して小保方氏側が反論(それが上記「不服申立て」である)、そこでさらにその反論を受けて作成された文書が「不服申立てに関する審査の成果の報告」(2014年5月7日付け)である。この文書はNature誌に英文でも発表されている。これらを読み比べてみると、「悪意」の訳語が akui となっていることが目を引いた。本稿のタイトル、『小保方晴子氏のAkui』はそれに由来する。なぜ「悪意」をそのままakuiとする必要があったのか、興味が持たれるところだ。順に見ていこう。まず「改ざん」だ。小保方氏のデータ改ざんについては、動かぬ事実であり、翻訳もすっきりしている。まず原文から。

(2014年5月7日付け 「不服申立てに関する審査の結果の報告」研究論文の疑義に関する調査委員会)
第1 改ざんについて
1 規程における「改ざん」の定義について
(1)「改ざん」について
規程第 2 条第 2 項は、「この規程において「研究不正」とは、研究者等が研究活動を行う場合における次の各号に掲げる行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする。」として、「捏造」、「改ざん」及び「盗用」の 3 類型をあげ、「改ざん」 については、「研究資料、試料、機器、過程に操作を加え、データや研究結果の変更や省略 により、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること」としている。
したがって、研究資料等に操作を加え、データ等の変更等の加工により、結果が真正なものでないものとなった場合には、「改ざん」の範疇にあることとなる。

上記、「規定」とは、「科学研究上の不正行為の防止等に関する規定 平成24年9月13日規定第61号」を指している。この規定の全文は2014年3月13日に発表された中間報告書に付記の形で掲載されている。

「改ざん」にかかわる上記引用部分に対応する、Natureに発表された英文は次の通りである: (Nature Vol.511, 3 July 2014より)

Reason 1: Falsification
1. Definition of “falsification” in the Regulations on the Prevention of Research Misconduct, September 13, 2012, Regulation No. 61 (“the Regulations”)
1)    On “falsification” Article 2, Paragraph 2 of the Regulations defines “research misconduct” as “the occurrence of any of the following in the course of research activities. Inadvertent or unintentional errors and differences of opinion are not regarded as research misconduct,” and lists three types of research misconduct, i.e., fabrication, falsification, and plagiarism. Of the three, the Regulations define falsification as “manipulating research materials, equipment, or processes, or changing or omitting data or results such that the research is not accurately represented in the research record.”
Accordingly, research records that are not authentic as a result of manipulation of research materials, changing data, etc., fall under the category of falsification.

改ざんの訳語は falsification。異論の余地はほとんどない、ぴったりした訳語だ。そして改ざんの定義は「研究資料等に操作を加え、データ等の変更等の加工により、結果が真正なものでないものとなった場合」であり、対応する英文の “manipulating research materials, equipment, or processes, or changing or omitting data or results such that the research is not accurately represented in the research record.” は、直訳とは言えないが、改ざんの日本語の定義と矛盾するところはない。日本語で「等」といわば曖昧にされている部分、すなわち、研究資料「等」に操作を加え、データ「等」の変更「等」が、英文では” research materials, equipment, or processes, or changing or omitting data or results” と具体的に記されている点だけが原文との違いであるといえる。
日英、どちらの文章からみても、この定義に照らせば、小保方晴子氏のSTAP細胞についての論文のデータが「改ざん falsification」であることはもはや明白である。ここまではほとんど議論の余地はない。
問題は「悪意」である。
まず当該部分の原文を示す:

(2)「悪意」について
規程によれば、研究不正の範疇にあるものについて、悪意があるか否かを判断することになるところ、「悪意」とは、客観的、外形的に研究不正とされる捏造、改ざん又は盗用の類型に該当する事実に対する認識をいうものと解する。したがって、規程によれば、研究不正は、この認識のある態様のものについてこれを研究不正とすることとなる。

ここに「悪意」の定義が示されている。「客観的、外形的に研究不正とされる捏造、改ざん又は盗用の類型に該当する事実に対する認識」だ。「認識」、つまり、自分の行為が不正だとわかっていた場合に、「悪意あり」になる。逆に、不正であるとわからずにやった場合が「悪意なし」になる。英文はこうだ。

2)    On the question of intent (akui) The Regulations use the term akui, meaning “with deliberate intent”, as a measure to determine whether an action can be considered research misconduct. The defining factor, therefore, for judgment of fabrication, falsification, and plagiarism, is whether or not there was deliberate intent, in both objective and extraneous terms. Accordingly, the Regulations can be interpreted to mean that any [of the three types of research misconduct] are defined as such when it is determined that there was deliberate intent.

日本語の小見出しは「悪意」であるのに対し、英文では intent (akui) と記されている。Intentという英単語は、ニュートラルな「意図」を意味するもので、それ自体は悪いとか良いとかいう意味は含んでいない。もし「悪意」という単語をそのまま英訳するならば、たとえば “intent to harm”, “ill will”, “malice” などが挙げられる。しかしこれらは、ここでの悪意の定義、すなわち「客観的、外形的に研究不正とされる捏造、改ざん又は盗用の類型に該当する事実に対する認識」の訳語とするには強すぎて不適切である。ここでの悪意の定義はあくまでも「認識」であるから、harmとかillとかmaliceとまでは言えないことは明白である。
そこで妥協策として選ばれたのが intent (akui) という表記であったと推察される。続く文章はこうだ。原文と英文を並べて示す。

悪意を害意など、上記の認識を越えた加害目的に類する強い意図と解すると、そのような強い意図がある場合のみに規程の対象とすることになるが、その結果が、研究論文等の信頼性を担保するという規程制定の目的に反することは明らかである。とすれば、「悪意」 とは、国語辞典などに掲載されている法律用語としての「知っていること」の意であり、 故意と同義のものと解されることになる。この点について、不服申立て者においても、例えば、「画像を誤って取り違えた。異なる画像を故意に掲載したものではない。」として、「故 意」という言葉を使用しているところである(不服申立書 17 ページ)。

If we are to interpret “deliberate intent” as the intent to cause harm, i.e., a strong intention or purpose to cause harm, the Regulations would only apply when such strong intent is present, but it is evident this is contrary to the purpose of the Regulations which is to ensure the credibility of research papers, etc. Therefore, we interpret “deliberate intent” or akui as it is defined in Japanese legal contexts as meaning “with knowledge or knowingly”, and synonymous with “intentional”. We note that the appellant uses the word “intentionally” herself, in her appeal when she states, “I mistook the images. I did not intentionally submit different images” (Appeal Document, p. 17).

原文の方はまず「害意」という単語が目を引く。「害意」という字を見れば意味は推定できるが、、一般的に用いられている日本語とはいえまい。少なくとも「悪意」に比べれば、かなり特殊な日本語である。そしてその「害意」の定義は「上記の認識を越えた加害目的に類する強い意図」であると記されている。「上記の認識」とは「客観的、外形的に研究不正とされる捏造、改ざん又は盗用の類型に該当する事実に対する認識」である。つまり、単なる認識ではなく、「加害目的に類する強い意図」を「害意」とこの報告書では呼んでいる。
このように、この報告書にある意味まわりくどい書き方がされている理由は、先の第一の報告書で「小保方氏には悪意があった」という趣旨の指摘をしたのに対し、小保方氏側から、「悪意なんて、そんなひどいものはなかった」という趣旨の反論がなされたので、「悪意というのはここでは自分の行為が不正であるという認識を指すものであって、加害目的に類するものを指すものではない」と説明したものであると読むべきであろう。
ここまでは報告書の記載は妥当だと私は考えるが、対応する英文は誤解を招くものになっている。冒頭がおかしい。すなわち、

If we are to interpret “deliberate intent” as the intent to cause harm, i.e., a strong intention or purpose to cause harm,

と書かれているが、これは、原文の

悪意を害意など、上記の認識を越えた加害目的に類する強い意図と解すると、

に照らしてみると、「悪意」“deliberate intent” になっており、”deliberate” (故意) が余計である。
もちろん意味としては「悪意」をdeliberate intent と訳すこと自体には問題はない。だがここまでの文章の流れでは、「悪意」は intent (akui)と訳していたのだから、ここに来て急に 「deliberate intent を加害目的のような・・と解すれば」と言われても、英文だけを読んでいる人にとっては、なぜここで deliberate intent という言葉が出て来たのか理解できない。前出の intent (akui) とここでの deliberate intent が原文では同じ「悪意」であるということは、原文の日本語を読んで初めてわかることである。もっとも、そのすぐあとの部分に

interpret “deliberate intent” or akui…..

と書かれているので、「intent (akui) とここでの deliberate intentは同じ意味なのであろう」と読者は(英文だけを読んだ読者)推定できるので、まあいいといえばいいのだが、それでもやはり翻訳としてはわかりにくいものになっていると言わざるを得ない。だがこれは、「悪意」という単語の翻訳の難しさを反映していると解釈すべきであろう。

そして、この報告書で、「悪意」という単語について、最も言いたいことは次の一文だと見ることが出来る。

とすれば、「悪意」 とは、国語辞典などに掲載されている法律用語としての「知っていること」の意であり、 故意と同義のものと解されることになる。

小保方氏に改ざんの故意があったかどうか。これが最大のポイントである。犯罪とは、犯罪事実と犯意から構成される。犯罪事実とは、結果である。犯意とは、意図である。わかりやすい例として殺人事件を挙げると、他殺体があり、殺したのは被告人その人であるというのが犯罪事実だ。しかしこれだけでは殺人罪は成立しない。その被害者を殺すという意図が被告人にあったことが証明されて初めて殺人罪が成立する。誤って殺してしまったのであれば過失致死だし、傷つけるつもりが力あまって殺してしまったのであれば傷害致死だ。いま「証明」といったが、犯意すなわち意図とは、主観的なものである以上、100%客観的に証明することは不可能である。だがそこまで厳密な理屈を言っていたら、殺人という犯罪を証明することは絶対不可能ということになるから、ある意味常識を働かせて、被告人には故意があったことを「証明」することで、殺人罪が成立するのである。

小保方氏がデータを改ざんしたというのはもはや動かせない事実である。すると残る問題は、彼女に故意があったかどうかということになる。理研の調査委員会は故意があったと結論した。その結論が、先の報告書では悪意と表現されていた。小保方氏側は、その「悪意」という言葉をとらえて(言葉尻をとらえて、と言ってもよい)反論した。対して委員会は、「悪意」とは「故意」の意味であると返した。

この争いは、法廷での争いのパターンに非常によく似ている。事実についての議論から、言葉の使い方の議論にレベル移して争おうとするのは、裁判の戦術としては常套手段に属するものである。STAP問題は裁判になっているわけではないのに、なぜ裁判に似た争いになっているのか。それは虚言癖、嘘つきは病気かで論じてあり、その内容は小保方氏を病的な虚言者と判断できるか否かにかかわる重要なポイントの一つなので、私としては是非ここに書きたい気持ちがあるのだが、そこまで書くと自分の著作権侵害になりそうなので控える。
小保方氏が実験結果の画像の切り貼りを行ったことは、すでに本人が認めている通り確実である。それはデータの改ざんであり、故意があったという理研調査報告の指摘は妥当である。「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という小保方氏側の説明は、まったく意味をなさないことも、虚言癖、嘘つきは病気か に記した通りである。しかしそれでもまだ、小保方氏が病的な虚言者といえるかどうかは結論できないこともまた、虚言癖、嘘つきは病気か に記した通りである。

というわけで、本稿は虚言癖、嘘つきは病気か の宣伝を意図したものであるが、宣伝文になっていただろうか。先月の宣伝文(のつもりの文)と同様、思っていることをただ書いただけのものになっており、宣伝効果には全く自信が持てないが、今回はこれをもって宣伝文に替えたいと思う。先月の宣伝文(のつもりの文)の結びに私は次のように書いた:

『虚言癖、嘘つきは病気か  Dr林のこころと脳の相談室特別編』は、とても面白い意欲作です。緊急発売。宣伝文はまた後日ゆっくり書きます。

今回もまた、同じように結ぶこととしたい: 宣伝文はまた後日ゆっくり書きます。

注: 表紙の顔写真は、私ではありません。

 

04. 10月 2014 by Hayashi
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