統合失調症当事者の症状論

 2021年2月5日発行 中外医学社   林公一、村松太郎 共著

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『統合失調症当事者の症状論』を上梓した。「統合失調症とは何か」という問いに答えようとする、いささか野心的な本である。

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 1997年にDr林のこころと脳の相談室を開設して以来、精神科Q&Aのコーナーに、とても多くの方々から様々なメールをいただいた。そして、サイトを開設・運営していなかったらいつまでも知ることができなかったと思われるとても多くのことを知ることができた。精神科の臨床をいくら続けても、精神科の医学論文をいくら読んでも、決して知ることができなかったことを知ることができた。
その一つは、
うつ病でないのにうつ病だと言う人がいかに膨大かということである。
もう一つは
統合失調症なのに統合失調症であることに気づかない人がいかに膨大かということである。
このうち、うつ病の問題については、擬態うつ病というキーワードを創出し、それをそのまま書名とする本を出版することで問題提起を試みた。
統合失調症の問題については、背景は複雑であり、まとめることは困難であった。もちろん病識欠如という特性も大きいことは確かだが、要因はそれだけではなく多岐に及んでいる。そこですべての要因を示すのではなく、統合失調症の症状というものが正確に伝えられているものがほとんどどこにもないことを大きな要因として位置づけ、症状そのものにテーマを絞って一冊の本の形にしたのが『統合失調症当事者の症状論』である。『擬態うつ病』の出版年が2001年だから、さらに20年を費やしてようやく形にすることができたということになる。これは20年の間に統合失調症当事者からいただいたメールの蓄積があって初めて可能になったもので、メールをくださった当事者の方々にはあらためてここで感謝したい。

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精神症状は当事者の語りの中にある。

これが本書序文の第一文である。
精神疾患は客観的な指標に乏しく、現代の精神医学における診断が当事者の語る内容を主たる根拠にしている以上、症状は当事者の語りの中から見出す以外にない。すると、精神科Q&Aに当事者からいただいたメールは、精神症状の把握という観点において、実は桁違いに貴重である。なぜならそれは当事者の自発的なナマの語りであり、誘導という要素が一切ないからである。
診察とは、いくら当事者の自由な語りを重視する形で進めようとしても、医師と当事者の対話によって進められる以上、そこには医師からの誘導という側面があることは否めない。この誘導があると、当事者の語りは現代の精神医学の枠に規定されたものにどうしても傾いていく。現代の精神医学が確固たる正確な体系であればそれでもよいが、まだまだ発展途上の精神医学の中で、統合失調症の症状論は特に未熟なのであるから、その枠内に規定してしまうことは致命的な問題である。

本書の実例では誘導は文字通り皆無である。このような語りの蒐集は、インターネットが発達した現代において初めて可能になった方法であることも特筆すべきであろう。本書の新しい点はそれだけかもしれないが、それだけでも症状論としての意義はきわめて大きいと著者としては考えている。

これはあとがきからの引用で、本のオビにも記された、本書の大きな特長である。

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本のオビには、出版社が作成してくださったキャッチコピーとしての文章も記されている。次の通りである。

当事者から自発的に寄せられた膨大な発言を蒐集・分類し、精神症状論の再構築を図る唯一無二の書

停滞する統合失調症の診断学の楔を打ち込む意欲作

「唯一無二の書」かどうか、「楔を打ち込む」かどうか、それは読者が判定することであるが、少なくともそれを目指して著した書であるとまでは著者としてはっきりと言うことができる。
そしてこの大きなゴールに向けた本書の構成は、きわめてシンプルである。目次はたったこれだけである。

1章 幻聴論
2章 幻視論
3章 妄想論
4章 他律論
5章 診断論

1章の冒頭に選んだのは当事者のこの語りである。

歩いているとみんな私のことを見て「こいつは気持ち悪い」「死ね」とか言って笑うのです。電車の中でもみんなの目線がこっちを向いていてヒソヒソ話しています。

この体験は幻聴なのか。それとも単なる自意識過剰なのか。それによってこのケースの評価は大きく異なる。DSM-5によれば幻聴は、「幻覚は鮮明で、正常な知覚と同等の強さで体験され」と定義されているから、この当事者からよく話を聞いた結果、声がはっきりと聞こえたわけではないと言われれば、この体験は幻聴ではないことになる。すると自意識過剰にすぎないのか。あるいは関係念慮という用語をあてるべきか。
というふうに、現代の精神医学用語にこだわることで、本質から逸脱した無用に錯綜した議論に陥り、統合失調症の症状が見えなくなっていると考え、別の視点からの症状論を本書では提案している。その具体的内容はぜひ本書を手に取ってお読みいただきたい。1章のキーワードは幻聴系という造語である。統合失調症では軽視されている幻視をあえて一つの章とした2章、さらには幻覚と妄想の共通の基盤を示さんとした3章を経て、統合失調症の全症状の統一的理解を目指した他律という概念の4章に移行していく。本書でいう他律とは、昭和の前半に島崎敏樹が提唱しそのまま凍結されていた用語を解凍し、現代のニューロサイエンスとの接点を示した概念である。

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 最終章の診断論が、本サイトとの関連が最も深い章と言えるかもしれない。
医学の従来の診断論には、当事者への直接の情報提供という視点が欠如していた。医学は常に発展途上の学問であるから、診断論も当然に常に発展途上である。現代の診断基準、たとえばDSMは、遠い未来のより洗練された診断体系を視野に入れた、仮の体系にすぎない。だが現代の当事者にとっては、重要なのは遠い未来ではなく現在である。診断基準に限らず現代においては、研究途上・発展途上の医学的知見が、インターネットによってリアルタイムで当事者に伝えられる。したがって診断論は、当事者への直接の情報提供を前提としての診断論でなければならない。
本書タイトルに「当事者」という語を入れた意味は、ひとつには、精神症状とは当事者の語りの中にあることを強調するためであるが、もう一つは、当事者への情報として有効な症状論であることを意味している。
本書本文はこう結んだ。

当事者の症状論とは、過去の知見を尊重したうえでの、現在と未来の当事者のための診断論に基づく症状論を指す。

(2021.3.5.)

05. 3月 2021 by Hayashi
カテゴリー: コラム, 統合失調症