精神科Q&A
【1470】「小鳥を飼ったほうがいいでしょうか」について(【1302】の続き)
Q:
(【1302】をご参照ください)
林: 【1302】は、統合失調症の発症初期です。一刻も早く精神科で治療を受けることが必要です。【1302】の時期に、本人に病気のことを詳しく説明することは治療上好ましくないと判断できるため、【1302】の回答は簡潔にとどめました。一年が経過し、この方が治療を受けて、安定した状態になっておられることを期待して、ここに回答を補足したいと思います。
まずメール全体から、漠然とした不気味な感じ、あるいは奇妙にまとまりのない感じが読み取れるかと思います。この雰囲気が、統合失調症の発症初期に特有のものです。この状態を描写する用語としては、統合失調症 患者・家族を支えた実例集 のp.38にも紹介した、トレマというものがあります。トレマは、俳優が舞台に出る前に体験する緊張感のことで、これを統合失調症の初期の体験にたとえたのは20世紀のドイツの精神科医クラウス・コンラートです。(『分裂病のはじまり』コンラート著、中井久夫他訳 に詳しく出ています)。これに近い体験を表す言葉として、妄想気分というものもあります。【1302】は、トレマから次の段階に今にも進みそうな切迫した時期と判断できます。この時期には突発的に激しい行動(たとえば自殺)に出ることもしばしばあるため、一刻も早い治療が必要です。
統合失調症の発症初期の診断では、ひとつひとつの症状というより、この全体としての雰囲気がむしろ大切ともいえますが、しかしそれではあまりに漠然とした説明になってしまいますので、少しだけ細かく分析してみましょう。
まず最初から三分の一あたりまでの部分、
歩道の端を歩いているとクルマが猛スピードで幅寄せしてきたり、自転車が私をめがけてつっこんできたり、何度も死にそうになってきました。
実際に自転車に巻き込まれて足を20針縫いました。
変な人がよく近づいてきます。
浮浪者らしき老人が私のお尻を触りました。
このときはショックでした。
私がいやらしい雰囲気を発散させているのでは、と心配になりました。
だけどどう調べてみても私は普通の格好でマジメに歩いているだけです。
その後も繁華街でもない道で泥酔した男が「え〜ニオイやな〜チチ触らしてくれ」と近寄ってきました。一目散に逃げました。
もう労務者風の男性が怖くて仕方有りません。
これはどう解釈できるでしょうか。
一部は、事実かもしれません。あるいはすべてが事実ということもあり得ないではありません。しかしそれは考えにくいことで、はっきりした妄想とまでは言えないまでも、妄想的な体験とみるのが適切でしょう。
「自転車に巻き込まれて足を20針縫いました」が仮に事実だとしたら、それは偶然の事故か、または本人がフラフラした状態で道を歩いていたためとみるべきでしょう。
そしてこれに続く次の記述、
私は足の裏の感覚が敏感で、靴を履いて歩いているのに右足がマンホールを踏んだら次のマンホールは左足で踏まなければ気が済みません。
白線や影も同様です。
足裏の中央部分で影を踏んだら 反対の足でも中央部分にぴったり影を 当てないと道を戻ってやりなおすのですが、やりなおしても達成感は薄いのです。
統合失調症の初期に強迫が見られることがあるのは、【1317】などでも解説した通りです。この方の強迫も、統合失調症によるものと解釈できます。この強迫症状がこの方の唯一の症状であった場合には、判断は容易ではありませんが、他の症状と合わせると、統合失調症による強迫であることはまず間違いありません。この方がこのようにして歩いているところを想像しますと、はたからはかなり奇妙な歩き方に見えるでしょう。【0580】のごみ拾いは、させられ体験ですので強迫とはやや異なりますが、本人にとっては意味のある行動が、はたからは奇妙に見えるという点では共通点があります。
そして、
そして最近は死を怖がっています、
クモ膜下出血になりそうな予感と、交通事故に巻き込まれそうな予感と風呂釜や電化製品が爆発して大怪我を負いそうな予感と工事現場のクレーンが倒れてきそうな予感がして、それらが倒れたり爆発したりした場合に破片が届きそうな位置に近づくことが出来ません。
また、何よりも怖いのが「目に入る大きさの棒状のもの」です。
軸足を中心にして私がフラリと倒れたときに目に入る棒が目に届かない位置にしか立てません。
ガードレールも目をズバーっと裂きそうで近寄れません。
これらは、被害妄想的な体験という表現もできますが、妄想気分がおそらくもっともぴったりした言葉でしょう。妄想気分も、統合失調症の初期症状として昔から知られているもので、何か異様なことが起こりつつあるという確信を持ってしまい、しかしその「何か」が何であるかを特定できず、外界に漠然とした不気味さや、言いようのない不安感を抱くというものです。これを「妄想の準備野」と呼ぶこともあります。つまり、このような漠然とした気分の中から、ある形の妄想が姿を現してくることがしばしばあるのです。その多くは被害妄想で、このケースではたとえば、上のような恐ろしい体験は、自分に悪意を持った誰かによる陰謀だと確信するという形が考えられます。そこまでいけば被害妄想と呼ばれますが、この【1302】の段階ではそこまではっきりしたものとは言えず、妄想気分とするのが適切でしょう。
そしてさらに、
最近は食品に毒が入っていないか、すごく怖いのです。
一番怖いのがスーパーの無料水、そして無料氷です。
ときどきですが、水道の蛇口からも毒が出てくるのでは、という恐怖感もあります。
毒見のためにラットと金魚を飼うことも検討しています。
あと、毒見係ではありませんが サリンのときに活躍したセキセイインコも飼ったほうがいいかな、と思っています。
これは、妄想の準備野である妄想気分から、被毒妄想(被害妄想の一型です)が現われたとみることができます。妄想に対しては、本人なりの対処法を取ることがよくあります。多くみられるのは、盗聴や監視に対して、ドアや窓をしめきって、時には目張りをして防衛するというものです。
この【1302】では、毒見の動物を飼うという対処法をお考えになっています。
しかし、
でも鳥は好きなので普通にペットとして飼うことになると思います。
小鳥を飼ったほうがいいでしょうか。
これは、ある種異様な結び言葉と言わざるを得ません。「自分の命が危ない」という切迫した不安と、「小鳥を飼ったほうがいいでしょうか」が釣り合わないことは明らかでしょう。このまとまりのなさ(連合弛緩と呼ぶこともあります)も、統合失調症、特に初期の統合失調症の特徴です。
仮にこの方が、不安にかられて小鳥を買ってきたら、周囲の人から見ればわけのわからないことをやっているとしか見えないでしょう。(この時期には、周囲の人を自分に危害を加える一味であると思っていることも多いので、小鳥を飼う理由を本人の口から説明されることはないと予想されます。すると、いかにも不安な様子で、無言のまま小鳥を買ってくるという行為が観察されるだけになります。これに似た例としては【0271】があります。【0271】は服装の異常ですが、このような場合に、本人の口からは語られないものの、妄想が背景にあることは統合失調症ではしばしばあります)
精神科Q&Aの質問メールに、しばしば、「わけのわからないことをやっている」「わけのわからないことを言っている」と書かれていることがありますが、このように、「わけのわからないこと」の背後には、複雑な症状・体験があるものです。ですから、「わけのわからないこと」の具体的内容が、精神科の診断にはきわめて重要で、単に「わけのわからないこと」と書かれていても、そこからは何もわからず、したがって回答も出来ないということになります。
以上、ひとつひとつの症状を解説してきましたが、実際の診断では、この回答の冒頭にお書きしたように、全体の雰囲気が実は非常に重要です。
メールではなかなかその雰囲気まで読み取れないことが大部分なのですが、この【1302】はそれがありありと読み取れる稀な例と言えます。(【0814】などもその雰囲気が読み取れる例です。【1361】もその例にいれていいかもしれません。また、【0869】は、初期ではなくかなり進行した統合失調症の雰囲気が読み取れる例といえます)
この【1302】の方が、適切な治療を受けていることを願っています。もし受けておられない場合は、もう一年たっていますので、かなり悲惨な経過が心配されるところです。