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躁うつ病
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「あなたが本物の患者なら」について
あなたが本物の患者なら
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あなたがニセ医者になるなら、精神科医になるのがいい。
精神科医のふりをするには、診察室がひとつあればいい。診察といっても要するに話を聞くのがほとんどだから、机と椅子だけあれば充分である。まあ観葉植物くらいは置いた方がいいかもしれないが。からだの検査も本当はできた方がいいのだが、ボロが出るといけないから余計なことはしない。それに検査をするには機械や薬品がいる。そろえておくのが大変である。机と椅子だけなら元手がかからない。だいたい昨今は病院らしくない病院の方が受けがいい。精神科医の診察室は、清潔で、リラックスできればそれでいい。白衣を着ない方がいいことだってある。
診察室ができたら、患者を迎え入れることになる。ニセ医者は疑われたら終わりである。だからまず第一に患者に納得のいく医療を心がける。治すことより納得させることが大切だ。そのためには患者の希望をよく聞く。精神科に来る患者の希望は、ほとんどの場合、薬かカウンセリングのどちらかである。目の前の患者がそのどちらを求めているか、すばやく見ぬく。そして求めるものを差し出す。顧客の満足を目指すデパートの店員の姿勢がいい手本である。
患者が薬がほしいと言っていても、治すめたには本当はカウンセリングの方がいいことも多い。逆もよくある。けれどもニセ医者はそんなことを心配することははない。希望とは違う治療を勧めるのは反感を持たれやすい。「話をするだけでちっとも薬をかえてくれない。」「薬を出すだけで話を聞いてくれない。」すぐにこういう不満が出てくる。そうすると説明にも時間がかかる。ボロも出やすい。手袋を買いに着た客に帽子をすすめるデパートの店員はいない。
信頼される店員は商品知識を持っている。ニセ医者は薬の知識を持っていなければならない。もちろんあなたは医学の専門家でもなければ薬学の専門家でもない。でも心配はいらない。あなたは患者を治すわけではない。納得させることが第一なのである。患者を納得させるためだけなら、専門的な知識は必要ない。普通の本屋で売っている薬の本をよく読んでおけば充分だ。
たとえば、飲んですぐ効く薬とそうでない薬があることは知っていなければいけない。すぐ効く薬の代表は抗不安薬である。マイナートランキライザーとか、安定剤という呼び方もある。この薬は、効く時はすぐ効く。はじめに効かない時は、飲み続けたからといって効くようになることはない。だから患者が効かないと言っている時は、すぐに他の薬に代えた方がいい。本当は同じ薬の量を増やしてみる方がいいのだが、そういうやり方は嫌われることが多い。普通の人の薬に対する感覚は、薬局で売っている風邪薬の経験から来ている。風邪薬は効かないからといって量を増やしたりしない。むしろ量を増やすことは危険な悪いことである。だから薬というものは誰でも同じ量を飲むものだ、というのが固定観念になっている。そうでない薬もあることは納得されにくい。納得されにくいことはあえてしないのがニセ医者の第一の心得である。患者が効かないと言ったら、別の薬に代える。それで実際うまくいくことも多いものだ。
どの薬に代えるかは、抗不安薬についてはあまり考える必要はない。よくレキソタンが強迫神経症に効くとか、ソラナックスがうつにも効くとか書いてあるが、そんなにはっきりした差はない。抗不安薬の種類はたくさんあるから、製薬会社の競争は熾烈である。特徴のない薬は抗不安薬は売れない。だから売り出す時にはどれかの症状をターゲットにするのである。実際には大した違いはない。人によって効いたり効かなかったりするだけである。抗不安薬は、健康な人の不安にも効くから、一度自分で飲んで試してみるのもいいかもしれない。自分が飲んで効果を確かめると、説得に迫力が出る。医者の説明よりも、実際に効いたという人の話の方を、患者は信じるものだ。
睡眠薬も、効く・効かないがはっきりわかる薬である。睡眠薬は、寝つきをよくするものと、長い時間ぐっすり眠れるようにするものの2種類があることは、ニセ医者といえども知っておく必要がある。寝つきをよくする薬は、飲んですぐに薬の血中濃度が上がり、そのあと急に下がる。長い時間眠れるようにするのは、血中濃度が長い時間高いままになる薬である。これは実験データだから、客観性がある。寝つきをよくする薬の代表はハルシオンだが、この薬は乱用する人が多いことでも有名である。医者をだまして処方させて、他人に売る商売もある。ニセ患者にだまされたらニセ医者の大恥である。
抗うつ薬も人気のある薬である。抗うつ薬は、診断が間違いなくうつ病なら、まず効くと思っていい。ただし効くまでには最低でも2週間くらいはかかる。治すためにはこのくらい知っていれば充分だが、ニセ医者にはもっと細かい知識が必要である。たとえば、本にはよく抗うつ薬のスペクトルムというのが出ている。ひとつひとつの抗うつ薬について、意欲を上げる・気分を明るくする・不安をとるなどの効果の強さを示したもので、キールホルツという人が発表したものだ。これも実際にはあまり意味はないのだが、最近の患者は本で知っていて質問してくることがあるので、答えられないとニセ医者としてはまずい。こういう抗うつ薬の効果を、セロトニンやドーパミンなどの脳内物質と関連させている本もあるが、ここに至ってはほとんどでたらめに近い。でもこれは一見科学的なので、説明に使うと学者らしく見えるから、患者から信頼を勝ち取るためには大いに使うべきだ。
抗うつ薬では、SSRIはニセ医者の必修知識である。うつの原因はセロトニンだから、セロトニンだけに作用する薬がうつの特効薬である。明快な説明だが、きわめて怪しい。うつの原因がセロトニンかどうかはまだよくわかっていない。しかしそういうことはニセ医者にはどうでもいいことだ。ニセ医者にとっては、患者が納得する説明が常に正しい。プロザックというSSRIがアメリカで売れているという事実も説得力がある。まだ日本では承認されていないことも好都合だ。手に入りにくい薬ほど人が欲しがるものはない。プロザックを個人輸入して適当な値段をつければ儲かる。悪いことではない。医者が未承認の薬を個人輸入して売ることは法律でも認められている。本物の医者だってそんなにSSRIのことがわかっているはずはない。外国人のデータを本や論文で読んだだけである。知識はあなたと同じである。高い値段で売ればいい。欲しい人がいれば、そこに価値が生じる。高価格が納得につながることもある。SSRIはほかの抗うつ薬と同じくらい効くことは確かだから、信じればもっと効くかもしれない。
ところで、カルテには病名を書かなければならない。
病名は自律神経失調症とつけておくのがいい。他の病名はまずい。分裂病とか、人格障害とか、痴呆とか言われれば誰でも嫌な気がする。侮辱されたと思う人もいる。誰でも自分が認めたくない事実には納得しない。その点自律神経失調症はあたりさわりがなくていい。本屋に行けば自律神経失調症の本はたくさん並んでいて、精神科の本では一番多いくらいである。実際の患者は分裂病や神経症の方が多いのだが、本がたくさん出ているということは、自分が自律神経失調症だと思っている人がとても多いということである。そういう病名なら患者本人もすぐ納得する。
もうひとついい点は、どんな症状でも本当に自律神経が関係していることだ。自律神経は、自分の意志とは関係なく働く神経という意味だ。不眠・食欲低下・動悸・めまい・吐気・疲労感、こういうもの全部が自律神経に関係している。ここまではウソではない、医学的な事実である。けれどもだからといってその症状の原因が自律神経そのものにあるかどうかはわからない。だから自律神経失調症という病名は、たとえていえば頭痛の人に「あなたは頭痛ですね」と診断するようなもので、ほとんど意味がない。しかし説明のためにはこんなに便利な病名はない。患者の納得を第一の旨とするニセ医者にとっては重要なレパートリーである。
実は自律神経失調症というのは、外国にはない病名である。日本でもまともな医学の教科書には出ていない。ということは本当は存在しない病気のはずだが、面白いことに厚生省はこの病名を認めている。自律神経失調症に効くと公認されている薬もある。こうなると医療全体がニセという気もしてくるが、ニセ医者のあなたがそれに憤慨してはいけない。
たとえ患者を納得させるためでも、ニセ医者がしてはいけないことがある。厚生省が決めた範囲を超えて薬を使うことである。どの薬にも適応症というものがある。最大投与量も決められている。しかし実際には適応症以外の病気に薬が効くこともよくある。たとえば分裂病やてんかんの薬がうつ病に効くこともある。投与量も個人差が大きい。人の二倍以上飲んではじめて効く人もいる。本気で治そうと思ったら、そういう使い方も必要なこともある。しかし厳密にはどちらも違法である。倍量処方というのもある。二週間分しか処方が認められていない薬を、二倍の量処方することで四週間分にすることである。症状が安定していれば患者にとってはその方がありがたい。しかしこれも違法である。いったん不正のレッテルを貼られたらニセ医者はアウトである。自分の安全より患者の治療や便宜を優先するようでは、ニセ医者としては失格である。
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あなたがニセ患者になるなら、精神科にかかるのがいい。
精神科の仮病は簡単である。「気分が落ち込む」とか「眠れない」とか、ただ症状を言えばいい。からだの病気だと検査されればばれてしまうが、こころの病気は症状があると言い張れば大丈夫だ。脳波をとっても、異常が出るのはてんかんくらいだから、仮病がばれることはない。心理テストはウソを答えるとばれるようにできているが、それは全体的にウソを答えた場合で、症状がウソかどうかまではわからないから心配いらない。血液検査もやると言われたら受けておけばいい。精神科でやる血液検査は、からだに異常がないことを念のため確かめるためにやっているだけだから、それで仮病がばれることはない。健康保険で健康診断ができて得だと考えておけばいい。
ニセ患者をやる目的が薬だったら、薬の知識が必要だ。ただしほしい薬をうまくもらうにはワザもいる。○○という薬をください、というのはストレートすぎてだめなことは言うまでもない。薬物依存と思われるだけである。自分は○○という病気だと思うから、○○という薬がいいと思う、というのも勧められない。素人が何をわかったようなことを言っているのか、と思われる。薬をもらうためにニセ患者をやっていると見ぬかれるかもしれない。前の病院で飲んでいた○○という薬が自分には合っていた、というのはいい線いっている。薬の効果や副作用には個人差があるから、前に効いていた薬があればそれが一番いいと大体の医者は考える。ただしこの方法だと、前の病院での治療経過を聞かれるとウソの上塗りをしなければならず、ばれる危険性が高くなる。
時間はかかるが安全な方法は、まず症状を言って薬をもらい、気にいらない薬だったら副作用が強いといって変えてもらうことである。ただし眠くなるとか、喉が渇くとかの訴えだとなかなか変えてもらえないかもしれない。副作用があっても、症状そのものを治す効果の方が大きければ、その薬を続けるのが常識だからだ。すぐ変えてもらうためには、発疹が出たとか、熱が出たとか言うのが確実だ。こういう副作用は体質によるアレルギーで、無視して飲みつづけると大変なことになる可能性が大である。間違いなく薬は変えてもらえる。ただしこのウソは二回は通用しない。滅多にない副作用だから、一発でウソだとばれる。そうでなければ、本当にまれな特異体質と判断されて薬がもらえなくなる。
さて、まんまとほしい薬を手に入れたらこっちのものである。ただし、ずっと飲みつづけるからには、副作用に注意しなければならない。本物の患者なら医者にチェックしてもらえばいいが、ニセ患者は自分でチェックする必要がある。一応その薬の添付書類を読んでおいた方がいい。見ると副作用が山のように書いてあるが驚くことはない。飲み始めに出なかった副作用が途中から出てくることはまずない。年に1、2回肝臓の検査くらい受けておけば、害が出ることはない。薬によっては「習慣性あり」と書いてあるものもあるが、これも気にするほどのことはない。今の薬はそう簡単に依存にはならない。万が一やめられなくなった時に備えて、製薬会社が責任逃れのため一応注意書きをしているだけである。依存性ということでは、アルコールの方が今あるどの薬より強い。アルコールのラベルに「依存性あり」と書いてない方が妙な話である。よく睡眠薬を飲むと癖になると心配する人がいるが、寝酒の方がずっと危険なのである。
ただし今の薬でも、思い入れが強すぎると依存になることもある。薬が中心の生活になったら、それは依存症である。あなたがニセ患者になろうと思った理由が薬だったら、あなたはすでに依存症かもしれない。依存症になると薬を出してもらいにくくなる。薬にあまり詳しいと依存症と思われる。薬を落としたとか失くしたといってもう一度出してもらおうとするのは依存症の常套手段だから、すぐに見破られる。ではどうしたらいいか。これはもうニセ患者ではなく本物の依存症患者の問題なので、ここには書けない。
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あなたが精神科の本物の患者なら、治してくれる医者にかかった方がいい。
最大の問題は、どの医者が治してくれるかなかなかわからないことだ。納得できる説明をしてくれる医者が本当に治してくれるという保証はない。こころの病を扱う精神医学は、まだまだ発展途上である。脳とこころについては、わかっていないことの方が多い。だからわかりやすい説明にはウソがあると思った方がいい。目からウロコが落ちるような説明は、もちろん本当に正しいこともあるけれど、あとでよく考えると怪しいことも多いものだ。納得のいく説明で、しかも治れば理想的だが、いつもいつもそううまくはいかない。どちらを優先するかということになれば、迷わず「治る」ということをとるべきだ。あなたが本当の患者なら。
治るためには薬がいいか、カウンセリングがいいか。これはなかなかわからない。あなたの好きな方があなたに適しているとは限らない。本を調べてもなかなかわからない。たとえばあなたがひどい気分の落ち込みで悩んでいるとする。本やインターネットを開けばうつ病の自己診断チェックリストがある。やってみるとうつと出る。うつ病は抗うつ薬で治るとどの本にも書いてある。それでは医者に抗うつ薬をもらえばいいと考える。残念ながらこれは間違っている。どこが間違っていたのか。チェックリストでうつ病と診断できると考えたことが間違っていたのである。
人のこころはアナログである。デジタルで判断しようとすると、大切なものはほとんどがこぼれ落ちてしまう。良心的な本なら、自己診断は目安にしかならないと書いてあるはずだ。「眠れますか」「食欲はありますか」「意欲はありますか」精神科医も症状をひとつひとつ質問するかもしれない。けれどもこれは単にリストをチェックしているのではない。あなたの答の切実さや表情、そのほか全体的なものを観ているのである。そうしなければ診断はできない。
診断と治療が正しければ、あなたの病気は治る。治ったら、その医者を信頼するべきである。いいですか、ここが大切なところです。本物の患者であるあなたにとって、いい医者というのは治してくれる医者であって、説明がうまい医者ではありません。ここを間違えるといつまでたっても治らないことになりかねない。治る治療法が、あなたに適した治療法なのである。それ以外の基準はナンセンスだ。
いったん治ったら、今度は再発しないようにしなければならない。そのためには薬を飲み続けるべきかどうか、これはむずかしい問題である。治っても飲み続けなければならない薬もある。やめていい薬もある。副作用も気になる。どうしたらいいのか、今や信頼できる医者になった自分の主治医に聞くのが一番いい。ほかの人の意見は無視。治してくれない人の意見が何になるのか。
あなたが本物の患者なら、いい医者を見つけたら、他人に教えてはいけない。ラーメン屋も行列ができるようになると味が落ちる。患者が多くなれば、待ち時間が長くなり自分の診察時間は少なくなるだけで、何の得もない。あなたは自分が治ることだけを考えればいいのである。
「あなたが本物の患者なら」について
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