精神科Q&A

【0900】ハイジャック殺人事件の精神鑑定結果と判決について(【0581】の続き)


Q: 私は46歳男性、法曹関係の仕事に就いている者です。【0581】で取り上げておられる平成11年7月のハイジャック機長殺人事件の判決文が、判例タイムス(2005.9.1.)に掲載されておりますので、既にご承知かとは思いましたが、ご連絡させていただきます。判決文と【0581】を照合いたしますと、(以下、削除)


: ご指摘ありがとうございました。質問者の特定を避けるため、質問文は林の判断で途中削除させていただきました。

「平成11年7月のハイジャック機長殺人事件」とは、当時29歳の男性がハイジャックした飛行機の機長を殺害した事件です。事件は平成11年7月29日。判決が出たのは平成17年3月23日です。

【0581】では、平成16年3月の新聞記事に基づいて私の回答を記しましたが、ご教示いただいた判例タイムス(No.1182, 2005.9.1.)に掲載された判決文全文の内容にそって、以下に私の所感を述べることにいたします。
(以下、緑の文字の文章はこの判例タイムスからの引用文です。また、カギカッコつきの緑の文章は、鑑定書からの引用として判例タイムスに記載されていた部分です)

被告人は昭和45年生れの男性です。
東京都内で出生、両親の下に育ち、私立の有名な受験校(中高一貫校)を経て、大学商学部を卒業したという学歴です。幼少時、学生時代ともに、特に大きな問題は見られませんでしたが、大学を卒業した年の4月(平成6年)に就職した貨物会社で仕事がうまくいかず、平成8年には出奔、自殺未遂に至っています。

職場での様子としては以下の記載があります:
職場での人間関係を上手く築けなかったほか、段取りの悪い仕事ぶりをやゆされたり、そつなく仕事をこなし評価が高かった同期入社の社員と比較されるなどして、仕事に対する自信を喪失していき・・・

懇親会の席で上司から注意を受けると、突然飲食店の床に土下座して謝罪をするといった行動に出、人事考課表に「一見、変わった動作をすることがあり、驚かされることがある。」などと書かれた。


このように、職場でうまくいかない状態が続き、同年8月の出奔、自殺未遂にあたっては
2度と戻らない片道旅行に出掛けます。
などと書かれた置き手紙を残しています。

自殺は未遂に終わり自宅に戻った後、
平成9年3月 (27歳) に精神科初診 しています。
この時は、全く言葉をしゃべらず、また被害関係妄想の存在が疑われ、統合失調症と診断を受けました。しかし
平成9年6月 には別の精神科を受診し、前医受診時に何もしゃべらなかったのはわざとであると説明したこと、またその他の症状は退職したときの挫折を機に生じたうつ状態であることなどから、うつ病と診断され、投薬により症状は徐々に改善、
平成9年8月には軽快との判断で治療は中断されました。しかし
平成10年3月頃、なかなか就職が決まらないことなどを背景に再度うつ状態となり、
平成10年5月に精神科再診。ここでプロザック(SSRI)を処方されています。

以後、犯行に至るまでの期間は、ひとことで言えば、症状は波をうっています。つまり、うつ状態に陥ったり、妙な興奮状態が見られたりしています。具体的には以下のとおりです:

プロザックを飲み始めてから比較的調子は良かったのですが、それでも就職がなかなか決まらないでいるうちにまたうつ状態が強くなっていき、
平成10年9月 服薬自殺未遂
この後から、興奮状態を呈するようになりました。そして以下のような経緯で一度は入院に至っています。
突然駆け出して駅の改札口を無償で突破した上、追い掛けてきた父太郎に罵声を浴びせたり殴りかかるなどして暴れ、駅員に取り押さえられたり、さらに、自転車に乗って走り出し、追い掛けてきた父太郎らに罵声を浴びせたり殴りかかるなどした上、通行人にも罵声を浴びせるなどし、警察官が駆け付けてもその状態はおさまらず、拘束具で縛られてパトカーで搬送され、結局同年9月13日に東京都小平市内のE病院に措置入院させられた。

E病院では統合失調症と診断されましたが、約1ヵ月して退院し、前に通っていた精神科を受診した際には、深刻なうつ状態に陥っていると診断され、パキシル(SSRI)を処方されました。

平成11年1月からは、気力の低下や引きこもりが目立つようになり、
平成11年3月にはエフェクソール(SNRI)を処方されました。
その前後から、やや妙な興奮状態が時おり見られるようになっています。

兄が帰省した際、食事中にテレビを見ているのを注意され、イライラした様子でテレビを切るなど、兄に対して反抗的な態度を示した。そのころから、被告人は、テレビのバラエティ番組を見て、大きな声で笑ったり、テレビに向って、お笑い芸人がやるような「ツッコミ」を入れたりするようになり、母花子が笑い声を控えるように注意した後も大きな声で笑うということがあった。(中略) また、父太郎に生活態度のことなどで注意を受けると、苛立だしげに、語気を荒げて反発することも多くなった。

平成11年5月には、主治医から入院を勧められています。
上記のエピソード以外にも、これまでと異なる活発な行動が目立つようになったこともあり、
ちょっと何をするかわからない
とカルテに記載があったとのことです。そして医師の危惧のとおり
平成11年5月末には複数回の自殺未遂がありました。このうつ状態を改善するべく
平成11年6月にはルボックス(SSRI)が処方されました。

ハイジャックはその翌月、平成11年7月です。

被告人は、かねてから航空機に興味を持っていたのですが、
平成11年6月、インターネットで羽田空港のターミナルビルの図面を見ていて、その構造に欠陥があり、今の警備体制では凶器を難なく機内に持ち込むことができることを発見しました。そして、


東京空港警察署及び大手警備会社のO株式会社、株式会社P社等にあてて、その欠陥及び対策の詳細な内容、さらに、N社及び東京航空警察署に対しては、警備状態の調査等に要した費用を請求したい旨を、O株式会社に対しては、同社が警備の委託先になった場合には警備員として就職を希望する旨を、それぞれ記載した手紙や電子メールを作成した上、自分の実名及び住所を明記して送るなどした。


警備会社から被告人には比較的速やかに連絡はあったものの、最終的には
当面警備員の増員はない可能性が高い
と通知されました。

これを受けて、ハイジャックの計画が立てられました:

自ら羽田空港の警備上の欠陥をついてハイジャックを成功させることで自己の指摘が正当であることを実証するとともに、自ら航空機を操縦し、かつ、そのことを世間に誇示するなどした上、最後は、横田基地に航空機を着陸させた後、自殺しようと考え、(中略) これらの計画について、ルーズリーフ用紙等に記載するなどした。

計画は周到でした。ハイジャックする飛行機を決めるにあたって、
・ 操縦室内の乗務員が機長と副操縦士の2名のみであるボーイング47-400D型を選ぶ
・ 気象情報を確認して降水確率の低い同月22日にハイジャックを決行することに決め
・ 遠くまで航行するために燃料が多量に搭載されていること
・ 午前中の方が雲が少なくて操縦しやすいこと

などを考慮したのです。
 凶器である包丁の購入にてまどったため、実行は7月23日になりました。犯行は計画通り遂行されました。ただ一つの計画外は、機長の毅然とした冷静な対応のため、操縦桿を奪うことができなかったことです。そこで被告人は、包丁で機長を刺殺し、操縦桿を握りました。しかし全く経験のない被告人に飛行機の操縦が出来るはずもなく、このため墜落の危機も訪れましたが、間もなく乗務員に取り押さえられ、副操縦士の操縦によってこの航空機は羽田空港に着陸することができました。

経過の記述が長くなりました。ここからが本題です。

この犯行については、精神鑑定が3回行われました:

1回目 徳井鑑定: 平成11年8月12日
2回目 山上鑑定: 平成13年7月から平成14年10月まで
3回目 保崎鑑定: 平成15年6月から平成16年2月まで

「徳井」「山上」「保崎」は、鑑定人の名前で、いずれも精神科医です。精神鑑定が3回も行われたのは、1回目、2回目の鑑定結果を、裁判所が不十分と判断したためです。ここでは裁判所が信頼できると認めた、3回目の保崎鑑定を中心に見ていくことにします。

保崎鑑定では、被告人の犯行当時の精神状態を、
「抗うつ薬による治療の途上に生じた、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態であったと思われる。」
と結論しています。
 混合状態については、【0599】でも少し解説しましたが、言葉の通り、躁とうつが混合した精神状態です。
 躁とうつは、症状としては正反対ですので、それが混合するというのは机上で考えてもイメージはわきにくいとは思いますが、実際にはこの症状は時おり見られます。
 そして混合状態は、本来は躁うつ病の経過中に現れるものですが、この鑑定書では、被告人のケースは抗うつ薬の副作用であると判断しています。(鑑定書は「抗うつ薬による治療の途上に生じた」という慎重な表現ですが、内容を読めば副作用であると判断していることは明らかです)。つまり、このハイジャック事件は、抗うつ薬の副作用として引き起こされたということになります。
 なぜ鑑定医はそのように判断し、そして裁判所もそうであると認めたのでしょうか? ここが最大のポイントですので、長くなるのをいとわず判決文(鑑定書からの転記)を引用します:

「下記(ア)ないし(オ)の事情からすると、上記の躁うつ混合状態は、これらの薬物の作用の個別的あるいは複合的作用によって生じた可能性が大きいと考えられ、被告人は、本件犯行時、それ以前から服用していた薬物の影響によって躁状態になっていたことが最も疑われる。」

「(ア)被告人は、平成11年3月中旬ころから少しずつエネルギーが出てきて、徐々に行動的になるとともにイライラしやすくなってきたようであるが、自殺念慮は絶えず存在していたことから、このころから、うつ状態と躁状態の混ざった混合状態に入っていったと考えられるところ、被告人には、躁うつ病の既往やこのころに躁転する原因となる事情がない。」


平成11年3月頃に奇妙な興奮状態が見られるようになったことは既に記しました。これは軽い躁状態、または躁うつ混合状態と見ていいでしょう。そしてこれが躁うつ病によるものではない(すなわち、抗うつ薬によるものである)という判断の根拠として、躁うつ病の既往がないことが第一に挙げられています。もちろん既往がないというのは本来は躁うつ病の診断を否定する根拠にはなり得ませんが(すなわち、この平成11年3月が躁うつ病の躁状態の初発であったかもしれない)、常識的には妥当な判断と言えるでしょう。

「(イ)一般的には、抗うつ剤による躁転は、近年しばしば認められ、その場合、本症例のように躁とうつとの混合状態を示す症例も少なくなく、躁病相においては、活動欲の亢進、誇大思考などが認められ、攻撃性と最も関係の深い症状は、易刺激性、自己中心性、万能感、それに伴う他者支配欲求であり、定型躁状態よりも、興奮、不穏、焦燥、抑うつなどの混入した躁とうつの混合病象を示す例が、攻撃性を出現させやすい。」

この(イ)は、抗うつ薬の副作用としての躁状態の一般的説明になっています。このようなことがあり得るのは【0581】【0866】【0902】【0903】などに解説した通りです。ただ、【0902】にお書きしたように、このような場合に「躁転」という言葉を用いるのは不適切であると私は考えますが、それは言葉の使い方の問題にすぎませんのでここでは論じないこととします。

「(ウ)被告人が平成11年2月以降に服用していた抗うつ剤などは、いずれも躁転傾向のあるものであった。」

平成11年2月以降に服用していた抗うつ剤は、SNRIのエフェクソールとSSRIのルボックスです。【0581】での私の推測(この犯人はSSRI、SNRIを服用していた)は事実であったことがこれで確認できました。

「(エ)当時の被告人にも怒り、行動過多、誇大的現言動等がみられた。」

犯行までの経過として記したものに加え、犯行前日に次のようなエピソードもありました:

午前3時ころ同ホテルを出たが、その際、バッグ内に前記出刃包丁などがないことに気づき、代わりの刃物を購入しようとして、刃物を購入しようとして、乗り込んだタクシーの運転手に対し、「料理に使う包丁を盗まれて困っている。」などと伝え、深夜でも包丁を売っている店まで連れて行ってくれるよう頼み、運転手が分からない旨答えると、運転手に指示して無線で探させるなどした。しかし、そのような店は見つからなかったため、被告人は、羽田空港で客待ちをしているタクシー運転手の中にはそのような店を知っている者がいるかもしれないなどと考え、そのまま羽田空港に向かい、同日午前4時過ぎころ羽田空港に到着し、客待ちをしているタクシーの運転手に、そのような店を知らないかと尋ねて回った

このように、平成11年3月頃から平成11年7月まで、奇妙な興奮状態が消長していました。

「(オ)本件犯行により逮捕された当初はしばらくの間強気な言動がみられていたが、逮捕後は抗うつ剤の摂取がなく、徐々に穏やかな人格に戻っていった。」

これは精神鑑定を実施した医師にしか観察できないことですが、このような経過であれば、被告人の一連の躁的言動は、抗うつ薬によるものであることの強い裏づけになるでしょう。 

さらに精神鑑定書には以下のような記述もありました:

「被告人に生じていた躁とうつとの混合状態について、そのような躁状態になると、1つのことを思いつくと、一見筋を通して行動しているように見えても、自分で実行しようと考えたことは止まらないで最後までやってしまう、これ以外の方法がとれないという形であらわれる」

ハイジャックの計画と実行がまさにこれにあたります。判決文には以下のように記されています:

ゲーム上での航空機の操縦を擬似体験できるフライトシミュレーターの経験や航空機の科学技術の進歩などといった程度のことを根拠として、自分にも本件航空機が操縦できるとの非現実的な考えを持続させており・・・

ハイジャックは、極めて重大かつ危険な犯罪行為で、多数の関係者がいて強い抵抗もあり得る等の事情から単独では実行を完遂するのが難しい犯罪であり、他方、自己の指摘の正当性の証明といった目的の実現のためであれば、他に実現容易な代替的な手段が存在し、また、ジャンボ機の操縦ということ自体航空機操縦の具体的な経験のない被告人にとって極めて困難かつ危険であるのにもかかわらず、被告人は、上記のような犯行の困難性・危険性や代替的手段を考慮することなく、単独で、本件航空機のようなジャンボ機をハイジャックしようとの考えに至り、これを現実に実行に移している

まさに鑑定人の指摘のとおりと言えるでしょう。
 念のため付け加えますと、鑑定人は、だからSSRIやSNRIのような抗うつ薬は悪だと言っているのではありません。次のように明記されています:

「よい薬を適切に投与していても、各薬剤の組み合わせ、切り替えの仕方、被告人の状態等の様々な因子が複合的に影響し合って、たまたま上記のような躁転を起こすことがある。」

長くなりました。裁判所の結論です:

被告人においては躁うつ病の既往はなく、新たに躁うつ病になったとも考えにくい上、躁転する事件や出来事は認められていないことから、抗うつ剤などの影響を考えるのが最も合理的・適合的であるとする保崎鑑定の判断過程は、その議論の進め方として首肯できる

そして被告人には無期懲役の判決が下されました。

◇ ◇ ◇

以上、平成11年7月のハイジャック殺人事件の精神鑑定結果と判決について、この事件が抗うつ薬によって引き起こされたものかどうかという観点から見てきました。(そして、答はイエスです。これは抗うつ薬の影響下で起こされた事件であるというのが判決でした)

この事件の上記以外の論点について、以下に簡単に補足いたします:

(1) 他の精神鑑定結果について

前述の通り、主としてご紹介した保崎鑑定は本事件の3回目の精神鑑定で、その前に2回の精神鑑定が行われています。
1回目の徳井鑑定は、起訴前にたった一日で行われたものですので、2回目、3回目と比較するのは無理がありますが、その結論は、
「犯行は動機を持ち、正常心理的文脈を逸脱する病的な要因は認められない」
となっています。

2回目の山上鑑定は、3回目の保崎鑑定とは全く違った結論でした:

「被告人は、本件犯行当時、広汎性発達障害の一型であるアスペルガー症候群の状態にあり、この障害のために社会適応に困難を来たして自殺を決意し、自らに最もふさわしい自殺方法をとろうとして、本件犯行に及んだものである。」

被告人は、飛行機、航空への異常なまでの関心と、自殺まで飛行機に結びつけようとする強いこだわりを持っており、これは確かにアスペルガー症候群を疑わせるものです。
 しかし、アスペルガー症候群と診断するためには、幼少時に対人関係の障害(目と目を合わせない、仲間を作れないなど)があることが必要条件ですが、被告人にそのような事実がないため、この鑑定書は裁判所により却下されています。


(2) 責任能力について

あえてここまで触れませんでしたが、裁判にあたって精神鑑定が行われるのは、被告人が犯行当時責任能力があったかどうかを裁判所が判断するというのが主目的です。責任能力の判定には3種類あります:

【完全責任能力】 人は責任能力が完全であるというのが大前提です。完全責任能力とはその状態、つまり普通の状態を指します。このハイジャック殺人事件では、徳井鑑定の結論は完全責任能力を示唆すると判断できます。

【限定責任能力】 「心神耗弱(しんしんこうじゃく)」と呼ばれる状態です。理非善悪を弁識し、それに従って行動する能力が著しく減退している状態、と定義されます。この場合、刑は減刑になります。保崎鑑定はこれを示唆するもので、裁判所の結論は以下のように記されています:

被告人が、中等度のうつ状態にある中で、服用していた抗うつ剤などの影響により、被告人は、本件犯行当時、躁状態とうつ状態の混ざった混合状態に陥っており、これにより是非善悪の判断及びその判断に従って行動する能力が全く失われてはいないものの、著しく減弱していたと認められ、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあったものと認定するのが相当である。

【責任能力なし】 「心神喪失」と呼ばれる状態です。裁判所がこのように判定すると、被告人は無罪になります。その場合は、「心神喪失者等医療観察法(平成17年7月施行)」に従いその後の処遇が決められることになります。


(3) 躁状態は、薬の副作用か、それとも躁うつ病か

被告人に躁うつ病の既往がなく、また、事件後、抗うつ薬を中止してからは元々の穏やかな性格に戻ったということから、今回の躁うつ混合状態(または躁状態)は抗うつ薬によるとする判断が最も適切であるということについて、私は異論はありません。しかし、【0581】で述べたように、このようなケースで、後に実は本当の診断は躁うつ病だったとわかることも十分あり得ます。

ここで私に思い出されるのは、三島由紀夫の小説「金閣寺」の基になった、金閣放火事件です。
 これは、昭和25年(1950年)、修行僧が国宝の金閣に放火し全焼させた事件で、精神鑑定の結果は「分裂病質」で、「完全責任能力」と判定されましたが、懲役刑に服役中に明らかな統合失調症(精神分裂病)を発症し、その時点からさかのぼって考えれば、放火当時の状態は統合失調症の前駆状態または発症のごくごく初期であると判断できたというものです。(みすず書房 『日本の精神鑑定』に詳解されています)
 このように、長い経過からふりかえってみれば、最初の診断は誤りであったことがわかるという例は、このような事件に限らず、日常の診療でもしばしばあることです。しかしそれはあくまで経過をみて初めてわかることであって、診療にしても精神鑑定にしても、診断は「いま」つけなければ意味がないことですので、ふりかえってみて誤りだったという言い方が正しいかどうかは難しいところです。


(4) 被害者の方々のこと

ここまで、事実の記載に終始してきましたが、事件には被害者の方々がいらっしゃいます。最期まで航空機の安全に心を砕いておられた機長。墜落の危機に恐怖した乗務員、乗客の方々。そして亡くなられた機長のご遺族。判決文には[量刑の理由]の項があり、そこにはご遺族の苦悩、お嘆きの様子が描写されています。ご遺族が死刑を希求しておられることも鑑み、判決文には
極刑をもって臨むのもやむを得ない事案で考えられる
としたうえで、
被告人は、本件犯行当時、抗うつ剤などによる治療の途上に生じた躁うつ混合状態による心神耗弱の状態にあったから、法律上その刑を減軽することになるが、(中略) 被告人のために斟酌すべき事情を十分考慮しても、被告人に対しては無期懲役の刑に処するのが相当であると考えられ、(中略) 主文のとおり量刑した。
という結論になっています。

 それから、判決の中には触れられていませんが、抗うつ薬の影響で犯罪者となってしまった被告人のご両親の苦しみも筆舌に尽くし難いものがあることが察せられます。

 犯罪の背景は複雑に錯綜しており、それらをすべて考慮し刑を言い渡すのは、裁判官の高度に専門的な判断以上に適切なものはあり得ないでしょう。そして、医学的な事実を正確に裁判所に報告するのが精神医学者の重大な役割であると、このような事件を目の当りにすると強く感じざるを得ません。


機長様のご冥福をお祈り申し上げます。





参考: 判例タイムス No.1182 ( 2005.9.1.)



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