精神科Q&A

【0581】ハイジャック殺人は抗うつ薬が原因だったのですか


Q: 私は40歳の男性、会社員です。2004年3月の新聞で、ハイジャック殺人事件犯人の精神鑑定の結果の記事を読みました。それによると、犯人は抗うつ薬が原因であのような事件を起こしたということですが、抗うつ薬にはそのような恐ろしい作用があるということでしょうか。

 実は、私には思い当たることがあるのです。

 今から3年前に、私の勤める小さな会社は経営が非常に危ない状態になり、何とか生き残るために社員に非常な負担がかかり、私自身も終電車での帰宅が普通であるのに加え、土日もないような状態が続き、心身の調子を崩し、メンタルクリニックでストレスによるうつ状態と診断され、休職と同時にデプロメールを75mgと、睡眠薬としてベンザリン10mgを処方されました。

 その数日後、奇妙にハイな気分になってしまったのです。
 ハイといっても、普通に楽しい気分のときのハイとは違います。でも他にどうにも表現のしようがないので、ハイというしかないのですが、なんというか、気分は明るいけどイライラしているというか、落ち着かないというか、そんな感じでした(これでもその時の私の感じにぴったりとは言えません。ぴったりの言葉がどうしても浮かばないのです)
 私としては、それまでのハードな仕事の反動かなと思っていました。休むことができてホッとして、でも後ろめたい気持ちもあって、それで複雑な気分になったのだと思っていました。

 でも、その後、些細なことで怒りっぽくなって、これは自分でもどうも変だとはっきり感じました。実はこのころに、妻に対して手を上げてしまったのです。結婚して約20年間、そんなことは一度もなかったのに・・・

 私はこれは薬のせいではないかと思い、クリニックの先生にお聞きしたのですが、
「そういうケースは見たことがないが・・・」
というお返事でした。でも念のためということで、デプロメールをドグマチールに変えていただき、その後は奇妙なハイな気分はなくなり、一ヶ月後には復職できました。それ以後はうつ状態になることもありません。ドグマチールは2ヶ月後にはやめてしまいましたが、それでも特に問題はありませんでした。

 薬を飲んだ時に出る症状と薬の因果関係は、そう簡単に証明できないことは承知しております。けれどもこの出来事はずっと心のどこかにひっかかっていました。そうしたところ、抗うつ薬が原因となった犯罪(?)の記事を目にしましたので、やはりそういうこともあるのかと思い、質問してみようという気持ちになりました。抗うつ薬には、ハイになったりする副作用があるのでしょうか。私の体験は副作用だったのでしょうか。


: あり得ることだと思います。

 まずご指摘の新聞記事を確認してみました。1999年に一人の犯人に全日空機が乗っ取られ、機長が操縦室で殺害された事件のことですね。確か一回目の精神鑑定では、被告はアスペルガー症候群という診断だったと思います。そして二回目である今回の精神鑑定の結果は、2004年3月3日の新聞に出ていました。そこには、
・被告は犯行時心神耗弱
・犯行は、被告の「本来のおとなしい性格とは全く別人格によるもの」で、犯行前から連続投与されていた興奮作用のある4種類の抗うつ剤によって暴力的な傾向が強まっていた。 
・被告はアスペルガー症候群ではない。
・犯行時は、抗うつ剤による治療の途中に生じた、鬱(うつ)と躁(そう)が混じった精神状態だった。 

という内容が記されています。(この記載は、読売新聞インターネット版、2004/3/3/03:03をもとにしてあります。以下、この記事の内容が事実である、すなわち、鑑定書の内容がこの記事の通りであると仮定して話を進めます)

 この内容から、「抗うつ剤によって暴力的な傾向が強まることはある」と読みとれます。もつとも、「興奮作用のある4種類の抗うつ薬」という文章は、二通りに解釈できます。すなわち、(1) 抗うつ薬の中に興奮作用のあるものがあり、そのうちの4種類 という解釈と、(2) 抗うつ薬はすべて興奮作用があるものである。そういう抗うつ薬のうちの4種類。
 つまり、(1) は、一部の抗うつ薬に興奮作用があるという意味、(2) は、抗うつ薬にはすべて興奮作用があるという意味になります。精神鑑定の記載がどちらを意味しているのか、少なくともこの新聞記事からはわかりません。
 いずれにせよ、ここまでは、この精神鑑定の見解です。

 私の見解は(1) です。つまり、「抗うつ剤によって暴力的な傾向が強まることはある」、ただしそれは一部の抗うつ薬に限る、という見解です。「一部の抗うつ薬」というのは、SSRI、SNRIのことです。

 抗うつ薬に興奮作用があるか否かという問題は、何十年も前から議論のあるところです。何十年も前、ということは、まだSSRIやSNRIはない時代ですから、三環系の抗うつ薬に興奮作用があるか否か、という議論です。
 これにはまだ決着がついていません。興奮作用があるという説もないという説もあります。

 ここで念のためお断りしておきますが、「興奮作用がある」という説は、「常に興奮作用がある」という説ではありません。「興奮作用があり得る」という説です。非常にまれな副作用のひとつして、興奮作用があり得る、という意味です。ですから、仮に「興奮作用がある」という説が最終的に認められたとしても、通常の治療では全く問題になりません。まれな重大な副作用は、可能性という意味では、他にもたくさんあり、そのひとつということにすぎないからです。

 それはそうと、この議論のことですが、私の経験上は、抗うつ薬による治療中に、ハイな気分になる方は確かにいらっしゃいます。しかしその事実から、興奮作用ありと判断するまでには、いくつか考慮する点があります。

 ひとつは、どんな病気であれ、病気が良くなれば、多少はハイな気持ちになるのは自然な反応だということです。ですから、ハイになったといっても、それがどの程度なのか、病的なほどハイなのか、ということがまず問題になります。そして病的なほどハイになるケースはきわめてまれです。

 しかし、まれでもあることはあります。けれども、これが次に考慮すべき点なのですが、ではその病的なハイが、薬によるものか、それとも病気そのものの症状なのか、ということが次の問題です。ここで「病気」というのは、躁うつ病ということです。つまり、うつ病と診断して治療していたが、実は躁うつ病だった。治療によりうつは良くなったが、今度は躁うつ病の躁状態が出てきた、という可能性です。私の経験上は、病的にハイになった方は、その後の経過を注意深く見ると、すべて躁うつ病でした。(実はこれまでに一人だけ、躁うつ病か否か不明のことがありました。この方は、一年間しかフォローアップできなかったので、その後のことが不明なのです。躁うつ病だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない、ということです)

 という私自身の経験と、文献上の議論を総合して、私は現在では「三環系抗うつ薬で興奮状態になることはないか、あったとしても本当の本当に例外」と考えています。

 しかし、SSRIやSNRIとなると、話が違ってきます。これらの薬は、奇妙な興奮状態を引き起こすことがあるという印象を私は持っています。そういう印象を持っている精神科医は多いと思います。(もちろん、SSRIにしてもSNRIにしても、興奮状態を引き起こすことは非常にまれです。非常にまれですが、三環系抗うつ薬よりははっきり確率が高いと思います)

 あなたのご経験としてメールに書かれている、
ハイといっても、普通に楽しい気分のときのハイとは違います。でも他にどうにも表現のしようがないので、ハイというしかないのですが、なんというか、気分は明るいけどイライラしているというか、落ち着かないというか、そんな感じでした(これでもその時の私の感じにぴったりとは言えません。ぴったりの言葉がどうしても浮かばないのです)
は、デプロメール(SSRIのひとつです)による作用が強く疑われると思います。

 そしてハイジャック事件の精神鑑定の記事ですが、
興奮作用のある4種類の抗うつ剤
というのは、SSRIやSNRIであったのではないかと私は推測しています。もちろん推測にすぎませんが。

 とすると、あなたのご質問の中にあるように、
犯人は抗うつ薬が原因であのような事件を起こした
ということになりそうです。が、その判断はまた非常に難しいものがあります。

 実はこの問題は、1989年にアメリカで大きな事件になっています。問題視されたのは、SSRIのプロザックです。ある会社を解雇された男が、うつ状態ということでプロザックを飲んでいたのですが、ある日その解雇した会社を逆恨みして侵入し、社員を数名殺害したのです。この事件はプロザックが原因ではないかとされ、製薬会社を被告とする裁判になりました。有名な事件で、詳しく書かれたもあります。そしてこの事件以外にも、プロザックの副作用についての訴訟がいくつも起きているのです。その中にはプロザックが他人への攻撃性だけでなく、自殺を誘発したとするものもあります。"Prozac kills !" という扇情的なスローガンもありました。

 遅ればせながら、日本でも同様の問題が起きたということになります。もっとも、精神鑑定は、鑑定人という個人が裁判所に提出した証拠のひとつにすぎませんから、公判でどのようになるかはまだわかりません。しかし、うつ病治療薬と攻撃性の問題が議論の中心になることは間違いないでしょう。

 「だから言ったじゃないか」という言い方は私の好むところではありませんが、新しい抗うつ薬のSSRIやSNRIが、ある意味で無節操に処方されていることの危険性を、私は随所で指摘してきました(たとえば、擬態うつ病の73ページから75ページ)。それを簡単にまとめますと、

・SSRIやSNRIが、従来の三環系抗うつ薬より良く効くという事実はない。
・SSRIやSNRIは、従来の三環系抗うつ薬に比べると、副作用のプロフィールは確かに異なるが、副作用が「少ない」とは言えない。
・その具体的内容は、消化器症状や、性機能障害である。
・その他にも、新しい薬には未知の副作用がある可能性が常にある。
・したがって、効果に差がない以上、うつ病の治療薬として、最初にSSRIやSNRIを用いるのは誤りである。

 以上のうち、最後の一項目だけは私の意見ですが、それ以外は客観的な事実です。最後の一項目は、効果に差がない場合にどれを最初に用いるか、何を基準にするか、という、いわば治療哲学の問題です。私なら新しい薬の未知の副作用を懸念して、昔からの薬を最初に使います。一方、SSRIやSNRIは、副作用が少なくて良く効くと信じている人は多いというのも事実ですから、そうした薬を飲む本人の希望を重視するという考え方もあるでしょう。ここはケースバイケースだと思います。

 話がそれてきましたが、SSRIやSNRIの最近の処方量の多さは異常だと思います。その背景には、製薬会社の宣伝戦略があります。それに乗せられている人が多いということだと思います。擬態うつ病、すなわちうつ病ではなく、本来ならSSRIやSNRIを飲むべきでない人までが、こうした薬を飲んでいるという状況が生まれています。
  ここであわててお断りしますが、私は製薬会社を非難するつもりは一切ありません。市場拡大の努力をするのは私企業なら当然のことです。問題はそれにのせられる側にあると思います。のせられているのは患者と医師の両方です。その結果、SSRIとSNRIの処方される頻度が異常に高いという現象が生まれているのです。
 ここでまたあわててお断りしますが、私はSSRIやSNRIが悪い薬だと言っているのではありません。どちらもいい薬です。けれどもどんな場合でも「いい薬」というのは、すべての人に対してすべていいというわけではありません。無節操に処方すれば、害の方が多く出るでしょう。

 ご質問の件に戻ります。抗うつ薬による興奮作用や攻撃性は、非常にまれですが、あり得ます。ただし非常にまれなので、現実には問題視することはありません。副作用のリスクより効果として期待できるもののほうが大きければ、それは適切な治療です。ただし抗うつ薬の効果が強く期待できるのは、うつ病に限ったことです。それ以外の人に抗うつ薬を処方する時には、効果への期待度が小さい分、副作用の警戒を強めなければなりません。推測にすぎませんが、ハイジャック殺人の被告はうつ病ではなかったのでしょう(二回の精神鑑定で、いずれもうつ病という診断は出されていないことからの判断です)。そして、SSRIかSNRIを飲んでいたのでしょう。もちろんこれらの推測が正しかったとしても、薬と事件の因果関係はまた別の大きな難しい問題です。しかしこの事件をきっかけに、抗うつ薬の処方のされ方が、より正しい方向に変わっていくことを私は期待しています。

その後: 精神鑑定の詳細と判決(2005.10.5.)


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