精神科Q&A
【0700】再び脳の異質感について(【0606】の続き)
Q: 【0606】脳の異質感について で回答をいただいた31歳の男性です。私の質問を掲載していただき、誠にありがとうございました。
先生からご指摘して頂いたことを踏まえて、もう一度自身の問題を再考させて頂きました。その結果、以下の2点につき、ぜひ先生のご回答をいただきたく、再度質問させていただく次第です。
第一は、【0606】の先生の回答についてです。
回答の骨子は、「脳の異質感たるものについては、通常、医学的には考えられない。もしこの考えに妄想的に固執するならば、「単一症候性心気精神病」という可能性も挙がり得る」ということであるかと思います。
脳の異質感についての先生のご指摘は、もっともだと思います。
脳が脳自身の機能障害を自覚することはできない、という医学的な事実を無視することは出来ませんし、それでも自分の考えに固執するなら、ご指摘のとおり、「単一症候性心気精神病」と疑われても仕方ありません。
しかしながら、この点については、先生が「このような説明をしてくると、あなたの感じておられる脳の異質感は、単一症候性心気精神病だと私が言っているようですが、そうではありません。あなたの解釈は、妄想的といえるレベルのものではなさそうだからです。」とフォローしてくださったように、私は、「妄想的なほどこの考えに固執している。」という訳ではないと、私自身において感じています。
「単一症候性心気精神病」的な症状の方の質問文(【0623】)を読ませて頂きましたが、私の場合とは、かなり違うという印象を持ちました。
【0623】の方の症状は、より直接的な感覚に至っているように見受けられます。
つまり、この方の場合、実際に「肌がかゆい」のだと思われます。
私の場合、もう少し抽象的で、非触感的な、漠たる感覚なのだと思います。
つまり、「脳の異質感がある」という表現を使うことができるかもしれない、脳の状態なのではないか、という感じです。
私の言うところの異質感は、自分自身思うに、非常に曖昧な感覚ですし、今でもうまく表現できません。「かゆい」や「痛い」といった直接的な表現は思いつきません。
従って、医学的には考えられないとなれば、
「曖昧な感覚に基づいて、表現の飛躍が過ぎたのかもしれない」と、冷静に受け止めることができています。
このような現在の私の自覚状況について、先生にご返答させて頂きたいと思います。
ただ最後に、どうしても気になることがあります。これが第二の質問です。
近年の精神病に対する脳医学的アプローチの研究の中から、
「PTSD患者の脳の状態が、健常者の脳状態との違いがある。」
といったレポートが出された、ということを聞きました。
こうした研究成果が明らかになる中、境界性人格障害においても、脳の異変に焦点が当たるようになっていくということはないのでしょうか。
もし、境界性人格障害の脳に異変が起きているということが解明されれば、私が感じている「脳の異質感」たるものは、決して触感的な感覚ではなく、健常であった頃の脳の状態との「差異、変化、ずれ、郷愁」たるものの漠たる認識とは考えられないでしょうか。
私は依然として妄想的に、この「脳の異質感」たるものにこだわり過ぎているのでしょうか。
ただしかし、上記のような研究成果があるという事実を受けて、私の脳においても、なんらかの異変が起きているのではないかという懸念を捨てきれないのです。
つまり妄想的にではなく、客観的に、脳になんらかの異変が起きているかもしれないという認識をもって、境界性人格障害の治療に向かっていくということは、妥当性を持ち得ないことでしょうか。
この点について、林先生にお尋ねしたいと思います。
林:
まず第一点ですが、【0606】にお書きした通り、あなたの解釈は妄想的といえるレベルのものではないと思います。したがって、あなたが単一症候性心気精神病Monosymptomatic hypochondriacal psychosisとは考えられません。
それでもあえて【0606】でその可能性に言及したのは、ひとつにはサイトでの公開回答という性質によるものです。つまり、精神科Q&Aのどの回答も、質問者に答えるという形を取ってはいるものの、質問者以外の多数の読者がいらっしゃり、むしろそうした第三者の方への回答という性質を強く持っているということです。そうしますと、質問の内容から考え得る答えを、たとえ確率が低いものであっても、併記した方がいい場合もしばしばあるということになります。そうしないと予期しない誤読をされる危惧があるのです。
一例を挙げてみます。これはあなたのご質問には全く無関係な例なのですが、【0546】の回答を読まれたある読者からのメールの文面に、「林先生のお考えでは奇声を発する人は統合失調症(精神分裂病)とのことですが・・・」という記載があって、私は唖然としたことがありました。これでは奇声を発する人間はすべて統合失調症(精神分裂病)という病気であると私が判断しているようです。【0546】をきちんと読んでいただければ、そんな判断はしていないことは明らかなのですが、誤読されるような回答は極力避けるべきであるとも言えるでしょう。ただしそのために確率の低い病気の可能性まで回答に含めてしまうと、結局どう判断していいかわからず、明快な回答からは程遠いものになってしまいます。ですからあくまでケースバイケースということになるかとは思います。
すみません、話がそれましたが、あなたの【0606】のケースでは、単一症候性心気精神病という可能性にも触れておいた方がいいと私は判断したということにすぎません。ですから本心から言えば、あなたのメールの記載からは、あなたが単一症候性心気精神病である確率はかなり低いと私は思っています。(これは決してあなたをフォローするための回答ではありません。サイトの方針は事実を伝えることですので、質問者をフォローするための回答は基本的に私は致しません)
ご質問の第2点にいきます。つまり、
妄想的にではなく、客観的に、脳になんらかの異変が起きているかもしれないという認識をもって、境界性人格障害の治療に向かっていくということは、妥当性を持ち得ないことでしょうか。
このご質問です。答えは端的に「妥当性を持っています」です。
あなたはPTSDの研究結果の例を挙げておられます。PTSDに限らず、あらゆる(文字通りあらゆる)こころの病において、健常者との脳の状態の違いの研究が進んでおり、すでに相当なデータが蓄積されています。治療に応用されているデータもあります。
あなたが例として挙げておられるPTSDは、中でも特に研究が進んでいる例です。PTSDで客観的に認められる脳の状態の変化が、PTSDの臨床症状、たとえばトラウマの記憶の喪失や、フラッシュバックの基盤にあるという推定はかなり妥当性を持っているものです。大量の論文の中から、いくつかをご紹介しておきます。
「あらゆるこころの病」ということは、当然ながら境界型人格障害も含まれています。研究内容は、専門的になってしまうため、ここでは解説は致しませんが、参考文献だけご紹介しておきます。
したがいまして、あなたのご質問に戻りますと、
境界性人格障害においても、脳の異変に焦点が当たるようになっていくということはないのでしょうか。
すでに脳の異変に焦点を当てた研究は数多く行われています。
上記のような研究成果があるという事実を受けて、私の脳においても、なんらかの異変が起きているのではないかという懸念を捨てきれないのです。
これは全く正当な考え方です。なんらかの異変はあると考えるべきでしょう。
境界性人格障害の脳に異変が起きているということが解明されれば、私が感じている「脳の異質感」たるものは、決して触感的な感覚ではなく、健常であった頃の脳の状態との「差異、変化、ずれ、郷愁」たるものの漠たる認識とは考えられないでしょうか。
しかし、これはやや誤った考え方と言えます。「脳に客観的な異変がある」ということと、「主観的に脳の異変を感じる」ということは、全く別の事柄です。【0606】の回答の一部を再掲します。
「脳神経のどの部位であれ、その機能障害が局所的な異質感として自覚的にとらえられることは、通常はあり得ません。」
これが現代の医学常識なのです。(その医学常識の限界も【0606】に記した通りです)
以上、あなたのご質問の第2点への回答を要約しますと、
(1) 境界型人格障害では脳になんらかの異変が生じているのではないかというあなたの推定は妥当です。
(2) しかし、その異変が「脳の異質感」として自覚されているのではないかというあなたの推定は妥当ではありません。