ストレスと心身症・書斎
病はどこから
「Dr林のこころと脳の相談室」は、1997年4月に、「うつ病」と「精神科Q&A」の二つからスタートした。「ストレスと心身症」は、そのあとあせり気味に新設したページで、私としては内容にかなりの不満があった。それでもアクセス数はかなり多かったので (最近では「うつ病」「精神科Q&A」が常に一位と二位で、三位は固定していないが、「ストレスと心身症」は三位に入ることがかなり多いページのひとつだった)、なおさら気になり続けていた。今回 (2001.3.5.) ようやく更新し、ほっと一息といったところである。
それでもまだまだ不満は残っている。一番苦労したのは、
@ストレスはたくさんの病気の、おそらくすべての病気に関係する。
Aその反面、ストレスが原因と言い切れる病気はほとんどない。
という二律背反を如何に表現するかということであった。@を強調しすぎると、よくある扇動的な俗説と紙一重になってしまう。Aを強調しすぎると、なんのために「ストレスと心身症」というページを作成しているのかわからなくなってしまう。で、バランスに苦悩した結果、今回の改定版に落ち着いたのだが、まだまだ不満な点があるので、今後もそっと直していくことになるだろう。
「ストレスと心身症」は、アクセスが多いことに比例して、内容についてのメールもたくさん頂いている。特に印象に残ったのは、心身症に苦しんでおられる患者さんからの、「病は気からと言われるのは残酷でございます」というご批判だった。心身症でも、そのほかの心の病でも、患者さん自身は、まわりから「気のせいだ。気の持ちようだ。心が弱いからだ」などと言われることでとても傷つくものである。それがわかっていながら、「病は気から」というフレーズを前面に出したのは迂闊だった。もちろん解説の中には、病は気から、といってもそれだけではない、と書いてあったのだが、書いてあればいいというものでもない。文章は読む人のためのものであって、書く側のものではない。書いた側からは正確なつもりでも、読む人に間違った印象を与えたら正確な文章ということにはならない。今回、「病は気からも他からも」という小見出しにした。窮余の策である。これで十分とはとても思えないが、私としてはギリギリの妥協点である。妥協点というのは、上の@とAの妥協点という意味である。読者は、特に上に書いたメールをくださった読者はどう思われるだろうか。
もうひとつ、今回いろいろ考えたのは、ストレスという言葉の定義である。医学的に正確に定義するには、キャノンやセリエまで遡らなければならない。彼らの定義は、現在ふつうに使われている定義とは違う。しかしそこから解説を始めると、なかなか心身症やこころの病にたどりつかない。そこで今回は、特にことわりもなしに、ストレスという言葉を精神的なストレスに限ることにした。これは厳密には問題があるが、正確さとわかりやすさの、これも妥協点である。今後、医学部講堂などで、より正確な定義についても解説が必要であろう。ストレスのように、元々は医学用語だったものが日常用語になっている言葉は、いざ解説するとなると言葉の意味が曖昧なため苦労する。そういう言葉が多いのは精神医学の宿命かもしれないが。