精神科Q&A

【1864】妄想か妄想でないかの客観的な判断方法


Q: 私は20代女性です。いつも興味深く精神科Q&Aを拝見しています。こちらのいろいろな事例を拝見していてふと思ったのですが、 例えば、林先生のよく知る知人で、明らかに統合失調症でない方に、「ストーカー被害に遭っている。家に帰った途端にストーカーから連絡が入る。毎日監視されているようだ。遠くに出かけてもついて来られる。郵便受けにごみを入れられた。他の友人に頼ってストーカーにそういった行為をやめるよう電話をしてもらったが話し合いにならず、らちがあかない。警察に相談に行ってもあまり相手にしてもらえなかった。」というような相談を受けた場合、再度証拠を持って警察などに相談に行くよう勧められるなどの対応をとられると思いますが、同じような相談を、統合失調症と診断して治療中の患者さんから受けた場合、先生はどのような対応を取られるでしょうか。統合失調症による妄想の代表的な例として、他人から監視されていると思い込むことがあると思います。しかし、統合失調症の方がストーカー被害に遭うことがありえないとは言えないと思います。 上記のような例だけでなくとも、統合失調症の患者さんだということで、なにを言っても(明らかな妄想もあると思いますが、事実も含め)他人に相手にされず、苦しい思いをしている方もいるのではないか、と思いまして質問させて頂きました。もしこの先、私が統合失調症の方と接する機会があった場合、どこまで話の内容に真剣に向き合えばいいものか、もし「きっとこの話も妄想だろうな」と思って話半分に聞いていて、重大なSOSを聞き流してしまい、とりかえしのつかないことになってしまう、なんてこともなきにしもあらずかと思いました。患者さんの状態によっては、その話が妄想か事実かを判断するための判断材料を聞き出せない場合もあるのでは・・・?そういった場合、先生はどういった判断基準を設けますでしょうか。もちろん一概には言えないとは思いますが。 たくさんの苦しんでおられる方からのご質問がある中、単なる素朴な疑問の投稿で申し訳ありませんが、ご回答くださるとありがたいです。


林: 
単なる素朴な疑問の投稿で申し訳ありませんが

いいえ、大変重要なご指摘です。ご質問文にそって、順にお答えします。

A. 
林先生のよく知る知人で、明らかに統合失調症でない方に、

まずこの問いに重大なポイントがあるのですが、これについては後回しにして先に進みます。


B.
「ストーカー被害に遭っている。家に帰った途端にストーカーから連絡が入る。毎日監視されているようだ。遠くに出かけても付いて来られる。郵便受けにごみを入れられた。他の友人に頼ってストーカーにそういった行為をやめるよう電話をしてもらったが話し合いにならず、らちがあかない。警察に相談に行ってもあまり相手にしてもらえなかった。」というような相談を受けた場合、再度証拠を持って警察などに相談に行くよう勧められるなどの対応をとられると思いますが、

この前提は誤りです。もし私が知人からこのような相談を受けた場合には、もしかすると妄想ではないかということも考慮します。妄想であるかどうかの判断は、以下のような順になるでしょう。

(1) 到底あり得ない内容かどうか
ストーカー被害の訴えは、それが到底あり得ない内容のものであれば、被害妄想であることは確実です。しかし問題は、一体なにをもって「到底あり得ない」と判断できるかということです。とはいうものの、机上の理論だけで考えればいかなることでもあり得るということになっても、現実にはよく話を聞けば、到底あり得ないかどうかはほぼ判断がつくものです。たとえば【1810】は到底あり得ないことは明らかです。
 また、質問文には、「警察に相談に行ってもあまり相手にしてもらえなかった」という想定が書かれています。本当に犯罪の可能性があれば、警察があまり相手にしないということは考えられません。したがって、「警察に相談に行ってもあまり相手にしてもらえなかった」という場合には、警察では詳しく相談を聞いた結果、到底あり得ない内容なので警察官が妄想と判断したということも考えられます。

(2) 受けているという被害以外の話の内容も有力な判断材料になります。統合失調症であれば、ストーカーの被害妄想以外にも、何らかの症状がありますので、よく話を聞けばそれが明らかにすることができます。

(3) 統合失調症に特有の被害妄想のパターンというものがありますので、そのパターンがあれば、それは症状である可能性が高いです。【1863】などでも説明しましたが、自分の行動に逐一あわせて嫌がらせをされる、というのも、代表的なパターンの一つです。(但し、【1863】は、それ以外の情報に乏しく、判断が困難でした)

(4) 話し方、訴え方の様子。抽象的で漠然としていますが、実際の臨床ではこれも非常に大きな判断要素です。文章で書くと同じように見える被害妄想でも、実際の話し方、訴え方を精神科医が見ると、それは統合失調症らしいか、そうでないかが、ある程度まではわかるものです。どういう点がそうなのかと聞かれてもそれはうまくお答えできないのですが、妄想を持つ病気である統合失調症などの人とたくさん接する中で感じ取れるものです。それは精神科医でなくても経験があれば感じ取れるもので、おそらく【1866】の質問者の方も、話を少し聞いた時点でこれは妄想か妄想でないかの判断がある程度まではおできになるのだと思います。

妄想か妄想でないか。この【1864】の質問者は「客観的な」判断基準をお尋ねになっています。妄想に限らず精神症状というものは、厳密に「客観的な」基準は本来存在しません。精神科には診断基準というものがあり、それは一見すると客観的な基準のように見えますが、実際に適用してみれば、診断基準に合うか合わないかを判断する際には、主観がかなり入り込んでくることは避けられないものです。
 精神科Q&Aのようにメールの情報だけで判断する場合には、上記のうち(4)の情報は皆無です。また、(1)(2)(3)についても、それがメールに書かれていれば情報として活用できますが、書かれていない場合には、存在しないから書かれていないのか、それとも実は存在するが書かれていないだけなのかが不明です。ですから精神科Q&Aの回答は、実際の臨床に比べてかなりの制約があります。精神科Q&Aに質問する方へに「すでに医師にかかっていて、私の回答と主治医の見解が矛盾する場合、迷わず主治医の見解を信用してください」と記してあることの主な理由はそこにあります。精神科Q&Aの回答は、あくまでもメールの内容以外には重要な情報はないことを仮定してのものにすぎません。さらにいえば、メールに書かれている内容についても、それが事実かどうかは確認する手段がありませんので、「メールに書かれている内容は事実であると仮定」しての回答ということになります。


C.
同じような相談を、統合失調症と診断して治療中の患者さんから受けた場合

対応はB.と同じです。つまり、その人が統合失調症であろうとなかろうと、対応は同じです。これは当然といえば当然のことです。
 
 妄想かどうかが難しい場合の判断過程の実例は統合失調症 患者・家族を支えた実例集の92ページと132ページに記してあります。この【1864】の回答の冒頭にお書きしたとおり、【1864】は非常に重要なご質問です。統合失調症の本の中にもこれは必ず記さなければならないと私は考え、しかし記そうとするとかなり専門的になってしまうので、統合失調症 患者・家族を支えた実例集 ではコラムの形を取ったという次第です。たった2ページのコラムですが、ある意味でこの【1864】への回答のすべてを含んだ内容になっています。


D.
統合失調症の患者さんだということで、なにを言っても(明らかな妄想もあると思いますが、事実も含め)他人に相手にされず、苦しい思いをしている方もいるのではないか、と思いまして

それはあり得ることです。ですから、その人が統合失調症であるというだけの理由によって、訴えの内容を軽視するのはあってはならないことです。ですから上記、B, C に記した通り、その人が統合失調症であってもそうでなくても、訴えの内容が妄想か否かを判断する基準は全く変わりません。変わってはならないことです。


E.
私が統合失調症の方と接する機会があった場合、どこまで話の内容に真剣に向き合えばいいものか、もし「きっとこの話も妄想だろうな」と思って話半分に聞いていて、重大なSOSを聞き流してしまい、とりかえしのつかないことになってしまう、なんてこともなきにしもあらずかと思いました。

という慎重なお気持ちがあれば、そういうご心配はあまりないと思います。むしろ逆に、話の内容が事実に思えても、実際は妄想というケースがかなりあり得るということにも同様に注意していただくことが必要だと思います。(統合失調症の高い発症率からすれば、そういうケースは「かなり」を超えた率で存在していることをご理解いただけると思います)

たとえば今回の質問文でも、「よく知っている人からストーカー被害の相談を受けた場合、再度警察に行くように促す」ことが全く当然であるかのように書かれていますが、そのような促しは、もしその人が統合失調症だった場合、妄想の発展を助長するおそれがあります。妄想を持っている人はそのようなアドバイスを受けると、「私の友人も、私の受けている被害は事実だと認めてくれた。だから被害を受けているのは間違いないのだ」というような話を他の人にするのが常です。


F.
患者さんの状態によっては、その話が妄想か事実かを判断するための判断材料を聞き出せない場合もあるのでは・・・?

B.(1)〜(4)で、大部分のケースで判断可能です。本人の話だけでは無理でも、ご家族や周囲の方からの情報があれば、判断可能でないケースは例外中の例外といえます。(それに対して精神科Q&Aは、メールというきわめて少ない情報量しかありませんので、判断不可能なことはよくあります。が、そのようなケースは、たまには掲載することもありますが、多くは掲載を見合わせますので、掲載内容だけをお読みになると、多くのケースが明快に判断されているようにあるいは見えるかもしれませんが、それは錯覚にすぎません)

なお、【1835】で概略をご説明した妄想性障害の中には、判断が困難な場合も時にあります。妄想性障害では、妄想以外には症状がありませんから、上記B.(2)(3)(4)は適用できません。(実際には(4)はある程度までは適用できるという印象を私は持っていますが、原則としてできないというべきでしょう)
するとB.(1)の妄想内容が重要ということになりますが、これもあり得ないとまではいえないような妄想もしばしばあります。すると、訴えの内容が事実かどうかが唯一の判断基準となり、家族や周囲の人からの情報が最重要になります。

この時しばしば問題になるのが嫉妬妄想です。嫉妬妄想とは、配偶者が不貞を働いているという妄想ですが、それが事実か否かは、当の配偶者しかわからないことがあり、そして当の配偶者は、不貞を働いている場合でも、医師に対しても「自分は不貞は働いていない」と話す可能性がかなりありますので、もはや判断基準は全くないということになります。この事情から、嫉妬妄想は、それが妄想かどうかの判断に長い時間を要することも稀ではありません。
また、【1836】のような例では、そこに書かれているお母様が妄想を持っていることは確かですが、だからといって「夫が浮気をしている」という訴えも妄想であるとは限りません。この例に限らず、現実のケースでは様々な要素が入り込んできますので、それらを総合しなければ判断はできません。


さてここで冒頭のA.に戻ります。A.は、

林先生のよく知る知人で、明らかに統合失調症でない方に、

という文章でした。この文章そのものに大きな問題があります。ここまでの回答をお読みになればお気づきかと思いますが、その問題とは、

明らかに統合失調症でない

という前提はあり得ないということです。たとえ私がよく知っている知人でも、昨日までなら明らかに統合失調症でないということはあるかもしれません。けれども、【1864】の質問文にあるような被害の訴えがあれば、その時点で統合失調症の疑いが発生します。誰でもいつ統合失調症を発症するかは誰にもわからないわけですから、昨日までその人が明らかに統合失調でなかったという事実があっても、それは今日のその人が統合失調症でないと判断する根拠にはなりません。その人が誰であれ、回答のC.の通り、B.にそった手順で、妄想か否かを判断することになるでしょう。



今回の更新(2010.10.5.)について

(2010.10.5.)


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