精神科Q&A

【1763】顔が覚えられない。時間の認識力に乏しい。方向音痴。


Q: 42歳女性です。人の顔が覚えられません。

たとえば、2時間のレクチャーの終了後、皆が帰り始めた中で質問しようと講師を探して、顔が分からなくてみつけられないことがあります。
しかし、ハイキングなど太陽光の下で撮った笑顔の写真を使うと、初対面でも比較的容易に覚えられます。披露宴など室内灯の光の写真、免許証などまじめな顔の写真では覚えられません。
タレントの顔を覚えるのも苦手ですが、女性は美人であるほどとくに難しく、男性は壮年で灰色の背広姿だともうダメです。
人の名前を覚えるのも下手で、親しい人の名前も、時々わからなくなることがあります。
携帯ゲームで、キャラクターのイラストが順番に出てくるのを記憶し、その順番どおりボタンを押すものがあり、試してみたら、惨敗でした。2人目くらいから混乱します。

それから、小学校時代、ピカソの絵がとても好きでした。とくにゲルニカとか泣く女とか。どうして他の人がこれらの絵を難しいと言うのか、よくわからなかった覚えがあります。

何だか、顔の目や鼻などのパーツごとに、もっとも特徴的な動きをした瞬間の映像を記憶していて、頭の中で時間や角度がごっちゃになっている感じです。
時間の経過の認識能力が低いようで、一時間前から出かける準備を始めたのに、理由もわからず遅刻することがあります。また、会議で、誰がどういう順番でどんな発言をしたのか、まったく覚えられません。

方向音痴ですが、地図とコンパスさえあればどこでも行けます。
父もその傾向があるらしく、小学校2年のときに、「お前には必要だから」と遠足前夜にコンパスと国土地理院の地図を贈られ、びっくりしたことがありますが、予言どおりはぐれて迷子になり、自力で再合流しました。
ただし、道の形や今向いている方角が記憶できないので、地図を閉じると、その瞬間に迷います。
そのくせ、夕方何時ごろ、進行方向に対して何度から風が吹き、どんな匂いがするかとか、植生はどんなだったかとか、変に細かいことはよく記憶しています。多摩川べりで育ったのですが、延々と似たような土手が連なっている割に、季節や突然の工事で大きく変化するため、遊んで帰宅する際には、ほとんど風向きと匂いで、どの辺りの土手を登るか判断していたようです。(そういえば自宅と友達の家のキンメダイの煮付けの匂いの差もちゃんと認識して、方向修正してました 笑)

気も散りやすく、とくに動くものの姿や音がすると反射的にそちらを見てしまいます。友達には、私と歩くと猫や野鳥をぜったい見逃さないね、とからかわれます。
反対に発想力は妙に高く、何か仕事を言いつかると5〜10とおりの方法を思いついてしまい、かえって人間関係のトラブルになることがあります。よくわからないのですが、普通の人は平常一通りの方法しか思いつかないみたいで、当然そうするものが前提と思って話をされることがあり、私はどの方法かわからず話がかみ合わなかったり、なぜもっと良い方法にしないのかと素朴な疑問を口にして、非難されていると誤解されたりします。

病院で知能検査をしていただいたところ、図形認識能力だけ、ぽつんと低くなっていると言われました。
また、話をしていて、情報の編集能力が低いと思われると言われました。

リタリンを処方されましたが、薬を飲むとちょっと改善します。
先生には、自力で日常の対処法をいろいろ工夫するのが合っていそうなので、自分でも情報を集めてみなさいと言われました。


林: 先天性相貌失認 (発達性相貌失認 = developmental prosopagnosia) だと思います。
相貌失認とは、視力に問題があるわけでもなく、また、顔以外のものに関しては問題なく見分けたり覚えたりすることができるのにもかかわらず、顔の認知だけに問題がある (顔を見分けることにかなりの困難がある) という病態で、後天的なものは医学の教科書にも普通に出ていますが、先天的なものはほとんど知られておらず、【0683】(2004.9.5)にお書きしたように、日本には一人も存在しないとされていた時期もありました。
 その後、日本の患者についての医学論文がほんの少しは出るようになりましたが、まだまだ医学界でも認知度が低いというのが現状です。 
他方、国際的には一定のペースで研究発表がなされており (といってもまだまだ少ないですが) 、先天性相貌失認は、かつて考えられていたよりはかなり多いといわれるようになっています。
 精神科Q&Aで先天性相貌失認を解説したのはもう5年以上も前のことで、その後は散発的に2, 3 回ほど回答しただけでしたので、ここで現時点での先天性相貌失認についての医学的知見をごく簡単に説明したいと思います。


◆ 先天性相貌失認というものは存在する

今となってはあたり前のことを言っているようですが、原点としてこれは重要です。つまり、「顔が見分けられない」「顔が覚えられない」と訴える患者さんが存在すること自体はずっと昔からのことですが、かつてはそれは相貌失認ではなく、単に視力の問題ではないかとか、記憶の問題ではないかとか (「顔が覚えられない」という訴えに対しては、「私も人の顔はそんなによく覚えられませんよ」と返されることも多いものです) 、とりたてて「相貌失認」と呼ぶべき病態ではなく「視覚失認」にすぎないのではないかとか (視覚失認の詳しい説明は省略しますが、ひとことで言うと、「視力に問題がないのに物が見分けられない」のが視覚失認で、後頭葉のある部分が脳梗塞などで損傷されると発生する病態です)、言われ続けてきました。しかし現在では、そういった説明はあたらないことは確実な先天性相貌失認というものが存在することは確定的です。

上に書いたことですが、「記憶の問題ではない」というのは、とても重要な点です。先天性相貌失認の方の中には、これは記憶の問題だと感じておられることも多いものです。たとえば【1764】の方は「人の顔が覚えられない」とお書きになっていますが、その内容を見ると、この方の問題も記憶ではなく顔を見分ける能力(相貌認知といいます)の問題であることが読み取れます。先天性相貌失認のご本人も、また、周囲の方々も、記憶力の問題であると誤解していることは多いようです。【0782】の方が

学生時代は、私は目が悪いのにメガネを嫌って授業中以外かけないために、よく見えないから人の顔の区別がつかないのかもと思っていました。

と書いておられるのは、その典型的な例と言えます。


◆ いくつもの種類がある

先天性相貌失認は存在する。それは確かですが、しかし、「顔を見分けることにかなりの障害がある」という中心症状以外にも、いくつかの症状を合併しているケースはよくあります。これは、相貌失認の脳内メカニズムを探究する上で、さらには相貌認知一般 (人が顔を見分ける能力という、大きなカテゴリー) の脳内メカニズムを探究する上で、重要な意味を持っています。また、臨床的には、たとえばここに自分が先天性相貌失認ではないかと思っている方がいらっしゃり、相貌失認のケースをお読みになって、これらケースは自分とは微妙に違うと感じたとしても、それは先天性相貌失認の種類が異なるだけであって、先天性相貌失認という診断については共通することが十分あり得るということになります。

  
◆ 方向音痴を合併することが多い。

先天性相貌失認に最も合併しやすいのは、方向音痴です。
わかりやすい言葉なので、多少問題ある言葉だとは思われますが、いまとりあえず方向音痴と言いました。医学的には地誌的見当識失認、町並失認などと呼ばれる病態を指します (「地誌的見当識失認」と「町並失認」は実際には異なりますが専門的になるので説明は省略します)。なお、英語ではtopographagnosia, あるいは navigation difficulties といいます。
 先天性相貌失認と方向音痴の合併は、【0782】【0908】【1772】などのケースで明らかです。
なお、この【1763】の方が

方向音痴ですが、地図とコンパスさえあればどこでも行けます。

と言っておられるように、地誌的見当識失認と、地図を読んで目的地に到達する能力は、別の能力です。つまり、地図を見て目的地に到達することがスムースにできても、地誌的見当識失認であるということは十分にあり得ます。
その一方、地図を読むことに大きな障害があるケース (【1509】【1772】など) もあります。このことも、「先天性相貌失認にはいくつもの種類がある」ことを示す事実です。


◆ 同じカテゴリー内のものが見分けにくいという症状を合併することもある

たとえば【0695】の方は次のように言っておられます:

また、人の顔だけではなく、他の物の区別もつきにくいです。
 仕事でよく車のCMを見るのですが、何十回と見たCMの車の特徴すら覚えられません。
 それは外でも同じで、店の駐車場などに停められた自分(或いは家族)の車を他の車と区別して探すのも困難です。
いつも色と、車の後ろに書いてある(?)車種でやっと自分の車を発見する…といった有様です。


また、【1772】の方にも同様の症状があります:

それから車が覚えられません。よく友人らに乗せてもらったときなど駐車した位置も覚えていなければどんな車だったかも色くらいしか覚えていません。

上の二つはいずれも自動車の区別がつかないという問題ですが、その他にも、「茶碗の区別がつかない」「子猫の区別がつかない」というような訴えがなされることもあり、これらは、顔を含め、「同じカテゴリー内のものの区別」とまとめることができます。そして、厳密な検査をすると、これは決して細かい部分を見分ける能力の問題ではなく、別のレベルの障害であることが明らかになるのが常です。
このような問題の合併が多いということは、人が顔を見分ける能力の本質を考えるうえで非常に重要な点です。


◆ 自閉症 (発達障害) を合併することもある。

論文には自閉症の合併例も多いことが記されています。
サイト内の実例では、【1509】のケースはアスペルガー障害と診断されています。また、
【1772】にはADHDの疑いがあると医師から言われたことが書かれており、この【1763】の方も「気が散りやすい」と自覚しておられます。
最近は、少しでも気が散りやすいとADHDではないかと言われたり、少しでも孤立傾向があるとアスペルガー障害ではないかと言わたりという、いわば過剰診断の傾向が、医師にも一般社会にも強くなっていることは確かです。過剰診断は一般論としては好ましくない傾向です。すなわち、「ADHDっぽい」とか「アスペルガーっぽい」という言い方は、本人にとっても周囲にとっても、マイナスはあってもプラスはほとんどないものです。
 けれども、先天性相貌失認のように、脳内メカニズムがまだわかっていない病態については、たとえわずかな所見であっても、病態解明のためには重要な意味を持つ可能性があります。つまり、もし先天性相貌失認の人に「ADHDっぽい」、「アスペルガーっぽい」人が有意に多ければ、それは、先天性相貌失認とADHDやアスペルガーの脳内メカニズムに何らかの共通点があることを示唆しているからです。また、先天性相貌失認もADHDもアスペルガー障害も、発達障害という意味では同じ種類ですので、何らかの共通点があっても矛盾はありません。


◆ その他、様々な(微細な)障害を合併することがある。

上にご紹介した、方向音痴、同じカテゴリー内の物を見分ける能力の障害、発達障害の傾向は、比較的多い合併症ですが、その他にも、たとえば不器用であるなど、様々な障害 (あるいは、障害というレベルには達しない程度の微細なもの) を合併することは多いです。この【1763】の方にもいくつかあるようです。その他、相貌失認のケースをご参照ください。


◆ 気づくのは思春期以後。一生気づかない人もいる。おそらくたくさんいる。

「先天性」とは「生まれつき」ということですが、先天性相貌失認の方の多くは、思春期以後になってはじめて顔が見分けにくいことに気づくようです。
その理由としては、この程度のことは自分だけでなく他の人も同じと思っていたとか、自分は目が悪いだけだと思っていた、などもありますが、おそらく最も大きな理由は、顔が見分けにくいという問題に対して、様々な代償的手段を、意識的・無意識的に用いておられる場合が多いことであると思われます(これについては次の項目で解説します)。
たとえば【1764】の方は

記憶を辿ると幼少期にこのような症状はなかったと思います。

と言っておられますが、おそらく幼少期には気づかなかっただけであると思われます。


◆ 様々な代償的手段を、意識的・無意識的に用いている。

人が目の前の人を認識する方法は、顔だけではありません。声や、髪型や、体型や、その他の特徴で、人を区別することは十分に可能です。そうはいっても普通の人は (ここでいう「普通」とは、相貌失認でない人という意味です) 、顔を最も大きな情報源として用い、他の特徴は補助情報として用いることで、人を認識しているのですが、先天性相貌失認の人は、顔そのもの以外の情報を最大限に利用しています。それが意識的に行なわれていれば、自分は顔を見分ける能力に問題があるという自覚があるのですが、無意識的に行なわれていることも多く、そうなると相貌失認の自覚が生まれません。そのため、自分が先天性相貌失認であることに気づかなかったり、気づくとしても思春期以後になることが多いのです。
先天性相貌失認の方が、様々な代償手段を用いている例をいくつか挙げてみます:

【1765】
服装や髪型やシルエットや髪の生え際などで覚えていますが、

【0683】
よく知っている人なのに、髪型が変わったり服装が変わったりすると「本当に○○さん・・だよね?」と不安になったりするのです。

【0695】
やはり【0683】の方同様、髪型や服装、会う場所が変わると途端に区別がつかなくなり、不安になります。

【0782】
特徴のある人は区別がつきました。でも、それはよく考えると、体型、ファッション、声などで区別していたと思います。

また、この【1763】の方は、

ハイキングなど太陽光の下で撮った笑顔の写真を使うと、初対面でも比較的容易に覚えられます。披露宴など室内灯の光の写真、免許証などまじめな顔の写真では覚えられません。
タレントの顔を覚えるのも苦手ですが、女性は美人であるほどとくに難しく、男性は壮年で灰色の背広姿だともうダメです。


と言っておられますが、おそらくこの【1763】の方は無意識的に何らかの代償手段 (顔についての何らかの特徴を認知して区別している) を用いていて、その代償手段が、「まじめな顔の写真」「美人」「壮年で灰色の背広姿」では利用できない性質のものであるためと考えられます。

なお、方向音痴についても代償手段はよく用いられます。最も多いのは、目印となる建物だけを覚えていて、「その建物の所で右に曲がる」、というような道の覚え方をするものです。私の知っている町並失認の方は、その目印にしている銀行が閉店になった日から、帰宅の道に迷うようになりました。十年以上、その銀行を目印にしていたのです。町並失認でなくても、建物を目印にするのはよくあることですが、しかし十年以上も通い慣れた道を、その建物がなくなった日から突然迷い、家に帰れなくなることは考えられません。逆に言えばこの方は、それだけの障害がありながらも、代償手段を用いることで、障害が顕在化することなく毎日を過ごしてこられたわけです。相貌失認でも、うまく代償手段を用いれば、障害が顕在化することなく過ごすことは可能といえるでしょう。
また、代償手段としての感覚が際立って優れているというケースもあります。この【1763】の方の体験、

夕方何時ごろ、進行方向に対して何度から風が吹き、どんな匂いがするかとか、植生はどんなだったかとか、変に細かいことはよく記憶しています。多摩川べりで育ったのですが、延々と似たような土手が連なっている割に、季節や突然の工事で大きく変化するため、遊んで帰宅する際には、ほとんど風向きと匂いで、どの辺りの土手を登るか判断していたようです。

これは、際立って優れた代償能力といえるでしょう。


◆ 脳内メカニズムはまだ明らかになっていない。

したがって、残念ながら画期的な治療法はありません。但し代償手段はいろいろ工夫されています。Webでは、ハーバード大学の相貌失認研究センターのサイトが最も充実しています。(Harvard と prosopagnosia をキーワードにして検索すればすぐに到達できます)
そのサイトからのリンクには、先天性相貌失認の方のブログがいくつもあり、代償手段を用いた経験も数多く披露されています。

なお、脳内メカニズムの探究に向けて、ここまで解説した事実、すなわち、顔以外の視覚認知との関係や、様々な合併症の頻度や性質が、重要なてがかりとなっています。


◆ 遺伝性は比較的強い。

2005年に作成した参考文献のページに、二つの論文を追加しました。一つは上に紹介したハーバード大学の研究者の論文、もうひとつは先天性相貌失認の綿密な家系調査の論文です。先天性相貌失認の遺伝性は比較的強いことは間違いないと思われます。但し、ここまで説明してきたように、自分や家族が先天性相貌失認であることに気づかないケースがおそらくたくさんあり、そのため遺伝性がはっきりわからない事例が多いと考えられます。



精神科Q&Aに戻る

ホームページに戻る